自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない。
1・ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。変化を求める【口先を変える】のではなく、自分自身が変化になる【行動を変える】こと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
2・自分が「これだ!」と思った生き方を貫くこと。
いまの私に肩書きはない。私の生き方を見て、作家とか旅人とか芸術家とか哲学者とかロックとか建築家とかダメ人間とか社会不適合者とか落伍者とか、様々なひとが様々な言葉を与えてくれる。私は、答えよりも問いになりたいと思う。答えがあるから生きるのではなく、問いがあるから生きるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
3・「あなたに会うため」に生きている。
なぜ生きるのかという問いに対して、きっと、答えはひとの数だけあるのだと思う。私は、大袈裟だけれど「あなたに会うため」だと思うことがある。なぜ生きるのか、なぜ働くのか、なぜ書くのか、なぜ歩くのか、なぜ考えるのか、それは「あなたに会うため」だと思う時、自分はひとりではないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
4・人生とはボーナスタイムである。
昔から、自分自身に「傷つく前に傷つくな」と言い聞かせていた。傷つくことを恐れる気持ちは、実際に傷つくことよりも苦しいものだと、多分、直観的に感じていたのだと思う。自分のこころの中に住む怪獣を退治するために、ひとは、冒険に出るのだと思う。怪獣の名前は「不安」や「恐怖」なのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月3日
5・よし、失敗してやろう。傷ついてやろう。
うまくやろうとか考えてしまうから行動が鈍る。成功するためではなく「よし、失敗してやろう。傷ついてやろう」と思って突撃すれば、意外と清々しい結果になることが多い。大切なのは「うまくやること」なんかではなく、「俺はやった」という自分自身に対する絶対的な手応えなのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月4日
6・無邪気なわがままは最高の美徳。
好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは意外と少なく、逆に、自分の感覚を押し殺してまで自己犠牲的になっている時ほど、周囲を負のスパイラルに巻き込むことが多い。帰りたい時は帰る、嫌なものは嫌だと言う、自分の欲求は勇気を出してはっきりと口にするなど、潔い我儘は最高の美徳だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月21日
7・自分だけは、自分の中にある純粋性を守らなくちゃいけない。
自分だけは、自分の中にある純粋性を守らなくちゃいけない。職場や学校に行きたくないと思う時、それは我儘でも弱さでもなく、真っ当な精神の防衛反応だと思う。必要なのは精神を押し殺す努力ではなく、的確に言語化する努力だ。嫌だなあと思うことを受容し続ける日々を送ると、最悪の場合、魂が腐る。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月8日
8・自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない。
自分の力で「どうにかしなきゃ!」と肩肘を張ってしまうこともあるけれど、人生の大半は「【自分の力を超えた所で】どうにかなってしまう」ものだと思う。日々を信頼して身を委ねていけば、きっと、世界は幾つもの輝きに溢れた瞬間を見せてくれる。 pic.twitter.com/FIXy3OAUc3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月7日
9・中途半端な未練を断ち切ること。
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月22日
『君あり、故に我あり』
もし我々の社会が、尊厳を保ち後ろ向きの考えを持たない、ある程度心の平和を達成している人々で溢れていれば、当然、人々はどんな『敵』も恐れないだろう。しかし、我々が個人的恐れを精神的に克服できないなら、外部の敵を恐れるように仕向けることは政府や軍事指導者にとってはやさしいことだ。彼らは毎日、敵について我々に語りかける。それが彼らの利益にかなうのだ。彼らは恐怖を作り出し、我々をその中に置こうとする。我々は恐怖に支配されてしまう。隣人を恐れ、ヒンズー教徒を恐れ、イスラム教徒を恐れ、キリスト教徒を恐れ、外国を恐れるようになる。自分の妻や夫、子供すら恐れるようになる。軍備に世界の資源の多くを費やす指導者を我々が持っているのは、不思議なことではないのだよ。精神的平和と政治的平和、内面の平和と世界の平和の関係を理解するのは容易ではないかもしれないが、これらの二つの側面は不可分であり、完全につながっている。ー サティシュクマール『君あり、故に我あり』【講談社学術文庫】
10・弱いからこそ、足りない部分があるからこそ、誰かとつながることができる。
生きる気力をなくした時は、
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月10日
・好きな歌を歌う
・好きな道を歩く
・好きな人を思う
この三つが効果的でした。 pic.twitter.com/G6tLwA0ELL
みっともなさばかりが溢れる夜は、感謝できることを探そう。今夜寝る場所があり、明日食うに困らないカネもある。家族は元気で、友達もいる。好きな音楽がある。好きな自然がある。両足があって、指先がある。愛を語る口があり、愛を語る言葉がある。俺はまだ生きていて、何かを伝えたがる熱量がある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月3日
自分を責めてはいけないのだと思う。生きているだけで、充分、頑張っている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月3日
夕陽を眺めながら「弱点を克服する必要はないのだ」ということを思った。弱さを克服することが強さなら、弱さを認めることも、弱さを曝け出すことも、同じように強さだと思う。弱いからこそ誰かを必要とし、弱いからこそ誰かと繋がり得るのだと思う。 pic.twitter.com/EQdpIQdnEo
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月4日
大事なことは、自分の人生を、自分自身を肯定していこうとする姿勢だ。
新潟の鈴木さんが、30万円で建てたご自宅にお邪魔しています。鈴木さん曰く「寝る直前まで靴を履いているよ」「先送りする人生はやめたんだよ」「生きていることが、嬉しくてたまらないんだよ」https://t.co/9McYmhORMv pic.twitter.com/4A0owzj6VI
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月1日
30万円で自作をした山小屋。
本はタイトルが10割。
瞳の輝いているひとを信じる。
王様のイスと湧き水。
秘密のログハウス。
大事なことは、自分の人生を、自分自身を肯定する姿勢だ。
過去も未来も忘れさせる空だ。 pic.twitter.com/tP5gtYkWCY
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
いままでは、ひとりでいないと自分を護れないからひとりになる、そんな時間が多かった。最近では、大切なものを大切にするためにひとりになる、そんな時間が増えてきた。当たり前のことかもしれないけれど、ひとりが好きと、ひとが嫌いは別物なんだ。 pic.twitter.com/262dWzN48F
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月19日
この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。中途半端な思いではない、自分から前のめりになって愛していけるひとやものを大切にすること。誰かに何かを言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を大切にすること。 pic.twitter.com/9lCC1ykZgU
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年10月2日
平和とは『こころの状態』だと思う。世界平和を願うなら、まずは自分の平和を実現することだ。憎悪や恐怖や猜疑心などの否定的な感情は、簡単に敵を生み出してしまう。自分の平和を維持することができた時、敵は消える。勇気とは、武器を手に入れることではない。勇気とは、多分、武器を捨てることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月30日
死なないためのユーモア。
1・動物占いだけが俺を肯定してくれた。
2・新潟のひとは優しくて陰湿。
ロンドンやモスクワや新潟などの雪国には、似た雰囲気を感じる。多分、寒い国ほど「文学が育つ土壌に恵まれている(ひとの頭がおかしくなる)」のだと思う。南国では色々なことがどうでもよくなるけれど、寒い国では「死を身近に感じる」のだと思う。 pic.twitter.com/S9IltqoZVK
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月19日
3・カウンセラー殺人事件。
4・ヨガの先生はヨガをやった方がいい。
5・青いスーツのおばさん。
死なないためのユーモア。
誰の中にも『菩薩ボタン』みたいなものは隠されていて、美しいものを見た瞬間、ひとの善性に触れた瞬間、ある種の真理に触れた瞬間、菩薩ボタンは発動して「今なら、すべてに優しくなれる」的な気持ちになる、そんなボタンがあると思う。多分、私は「人類の菩薩ボタンを連打する生き方」をしたいのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月29日
イライラしないコツは「すべてはベストタイミングである」と信じることだと思う。雨が降ることの中にも、電車に乗り遅れることの中にも、苦手な人と同じ空間を共にすることの中にも、多分、何かしらのヒントは隠されている。神様からの謎解きみたいなものだと思えば、毎瞬間は宝物探しみたいなものだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
母親が不本意な生活のなかで苦しんでいるとき、その母親の苦しみを目撃するだけで子どもには虐待にあたるというフレーズを目にした。家族や友達や恋人には、不完全でも構わないから楽しそうに生きていて欲しい。自分を楽しませることは決して自己満足ではない、多分、最優先事項だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月24日
毎日が深刻になりそうな時は、勇気を出して、阿呆になるのが一番です。 pic.twitter.com/ne6AUBGRwt
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月14日
野垂れ死にこそ、男のふるさと。
こどもの仕事が遊ぶことならば、大人の仕事は「もっと遊ぶこと」。
アムステルダムに到着しました。隣のユトレヒトではベーシックインカムが導入されていて、何となく「ひとの幸せを中心に考えている」雰囲気がある。こどもの仕事が遊ぶことならば、これからのおとなの仕事は『もっと遊ぶこと』になるのかも、と思う。 pic.twitter.com/5TLqcupbvs
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月21日
大事なことは、ゆっくり進むこと。
ゆっくり進むと、はっきり見える。 pic.twitter.com/PiOtVQpv7b
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月24日
道端で眠ったからこそ、布団のありがたみがわかるのだ。
土に還るまでが人生です。
来し方を全肯定する空の青だ。 pic.twitter.com/JmoJuQWceI
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月26日
二人の間の空気感が停滞している時は、お互いに「言いたいことを言えていない」場合が多い。破綻を覚悟で自分の本音を告げた瞬間、関係性にある種の突破口が開く。結果はどうであれ、本音を口にした清々しさは残る。それで関係性がダメになる場合は意外と少なく、予測不可能な展開を迎えることは多い。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月24日
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月22日
奇跡は余白に舞い込む。
わたりBBQ in LONDON 修羅場に大小はない。
WALKING IN THE WOODS
ロンドンからアムステルダムまでの一連の流れ。
奇跡は余白に舞い込む。
好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは意外と少なく、逆に、自分の感覚を押し殺してまで自己犠牲的になっている時ほど、周囲を負のスパイラルに巻き込むことが多い。帰りたい時は帰る、嫌なものは嫌だと言う、自分の欲求は勇気を出してはっきりと口にするなど、潔い我儘は最高の美徳だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月21日
これは俺たちの旅であって、俺たちだけの旅ではない。みんなの旅、生きとし生けるものの旅になるんだ。
圭吾さん、こんにちわ!◯◯◯です。
昨日学校帰りにボーリングボーイズの動画を爆笑して観ていたらお金を拾いました。
面白さって最強なんだな!と思いました。
そこで面白募金をしてみたいなと思い、
誠に勝手ながら圭吾さんに振り込みたいんですが振込先を教えていただけませんか?
iPhoneから送信
パリの街並み。
これは俺たちの旅であって、俺たちだけの旅ではない。みんなの旅、生きとし生けるものの旅になるんだ。
恩は「次のひとにまわしていくもの」
多分、恩は返すものではなくて「次のひとにまわしていくもの」だと思う。それを相手に返すものだと考えてしまうから(あるいは相手に返すことを強要されるから)受け取り辛くなるのだろう。恩や愛情の本質は投げっぱなしジャーマンであり、与えることが愛ならば、受け取ることも愛だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月13日
現状を打破する道はただひとつ、自分が恐れていることをやることだ。
逢初庵【あいぞめあん】〜 無料の宿屋 〜
恐怖の実体とは何だろうか。
傷つく前に傷つくな。
遊園地の意味を考えるところからはじめます。
自分の予定帳を眺めながら「人生とは、自分を楽しませることである」ということを思った。自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。川本真琴風に言えば神様は何も禁止なんかしていないし、ほんとうは「何をしてもいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月11日
命は生きたがっている。
明日死ぬかもしれないんだ。これを言ったら恥ずかしいとか、クサいなとか、イタいなとか、そんなことを言っている場合じゃない。自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をするということだ。湧き上がる気持ちを、勇気を、命を、出し惜しみしている場合じゃないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月19日
よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたい。
1・幸福が好きなひともいれば、不幸が好きなひともいる。
幸福が好きなひともいれば不幸が好きなひともいるし、重く考えることが好きなひともいれば軽やかな生き方が好きなひともいるし、心配や批判が好きなひともいれば信頼や励ましが好きなひともいる。こういうのは全部趣味が違うだけのことだから、端的に「趣味の合うひとと一緒にいればいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
2・絞り出すものではなく、溢れ出すもの。
無理をするということは、まるで自分を雑巾のように扱うことで、最後の一滴が出なくなるまで、絞り出して、絞り出して、最後には絞りカスになってしまうまで自分を苦しく締め付けてしまう。きっと、純粋な幸福感や動機は『絞り出すものではなく、溢れ出すもの』なんじゃないのかな、と思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月2日
3・心配よりも信頼をしよう。
心配をすることは「あなたには力がない」ということを伝える否定的な力があり、信頼をすることは「あなたには力がある」ということを伝える肯定的な力がある。心配よりも信頼をしよう。自分を信頼することは相手を信頼することに、人間を信頼することは世界を信頼することになるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月29日
4・真実はひとを自由にする。
好意的な感情の原点は、常に「あなたが生きているだけでうれしい」のだと思う場所に留めていたい。何かをしてくれるから好きだと感じる愛情は、簡単に「何かをしてくれないから嫌いだ」の愛憎に転じてしまう。真実は、お互いを固く束縛し合うものではなく「人間を自由にする」ものだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
5・天に恥じない生き方をすること。
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。変化を求める【口先を変える】のではなく、自分自身が変化になる【行動を変える】こと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
6・静かな充足感を与えてくれるものたちは、どれもお金のかからないものだった。
朝の森を散歩することや植物の世話をすること、音楽を奏でることや静かな環境で文章を綴ること、珈琲を飲みながら読書をすることや沈む夕日を眺めること、ひとと話をすることや虫の声を聞きながら夜の空を眺めること、静かな充足感を与えてくれる者達は、どれもお金のかからないものだった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
7・静かな時間の中で「自分」に出会う。
満員電車の裏側で、都会の喧騒の裏側で、大音量の音楽の裏側で、明滅を繰り返すネオンライトの裏側で、世界の何処かでは、この瞬間も、静かな時間が流れている。大切を護るためには、自分で自分を調律するためには、静かになれる時間が必要みたいだ。 pic.twitter.com/Rw61JrBXG3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月31日
8・よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたい。
昔から、自分自身に「傷つく前に傷つくな」と言い聞かせていた。傷つくことを恐れる気持ちは、実際に傷つくことよりも苦しいものだと、多分、直観的に感じていたのだと思う。自分のこころの中に住む怪獣を退治するために、ひとは、冒険に出るのだと思う。怪獣の名前は「不安」や「恐怖」なのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月3日
9・よし、失敗してやろう。傷ついてやろう。
うまくやろうとか考えてしまうから行動が鈍る。成功するためではなく「よし、失敗してやろう。傷ついてやろう」と思って突撃すれば、意外と清々しい結果になることが多い。大切なのは「うまくやること」なんかではなく、「俺はやった」という自分自身に対する絶対的な手応えなのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年9月4日
10・生きとし生けるものの前途を祝福する。
イライラしないコツは「すべてはベストタイミングである」と信じることだと思う。雨が降ることの中にも、電車に乗り遅れることの中にも、苦手な人と同じ空間を共にすることの中にも、多分、何かしらのヒントは隠されている。神様からの謎解きみたいなものだと思えば、毎瞬間は宝物探しみたいなものだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
生きとし生けるものの前途を祝福する、金色のメダルみたいな夕日でした。 pic.twitter.com/rIc9fMNAd3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月31日
ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。
世界が目覚めました。 pic.twitter.com/fCcLxtC71x
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
美しい自然と、美しい人間。
強さの中に優しさがあり、優しさの中に強さがある。
『アルケミスト』
宝物を見つけるためには、前兆に従って行かなくてはならない。神様は誰にでも行く道を用意していて下さるものだ。神様がおまえのために残してくれた前兆を、読んでゆくだけでよいのだ。ー パウロ・コエーリョ『アルケミスト【角川文庫】』
ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。
心配をすることは「あなたには力がない」ということを伝える否定的な力があり、信頼をすることは「あなたには力がある」ということを伝える肯定的な力がある。心配よりも信頼をしよう。自分を信頼することは相手を信頼することに、人間を信頼することは世界を信頼することになるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月29日
どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。
今夜20時頃から、70万時間テレビ「まずは自分を救え」を開幕致します。いばや関係者の皆様、宜しくお願いします!!
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
70万時間テレビ「まずは自分を救え」https://t.co/Uc0wpQEGI5
70万時間テレビ前夜告知動画https://t.co/s6NhK8xZUa
まずは自分を救え。
生きていることを目撃し合っている。
ひとりの人間に思いを馳せるということ。
自分が一番伝えたいと思うのは、「怒り」や「恨み」や「憎しみ」は人を救わないということで、できれば「理解」や「許す」といった方向へ舵を切ってほしいのだということ。
— みっつ (@mitzparty) 2016年8月27日
まずは自分を救え ~加害者は元被害者~ https://t.co/wBJWuI6Ccv
【70万時間テレビ〜まずは自分を救え〜】
— まゆ@横浜 (@harapekoyama) 2016年8月28日
それぞれの大往生を描き、各地から70万時間分のパワーが届いています!!ありがとうございます💖今日も何が起こるかわからない、70万時間分の"いま"をお届けします⭐️よろしくお願いします💖💖💖 pic.twitter.com/DHmWAZ5e82
『人はなんで生きるか』
ここに収められた五つの短編はトルストイ(1828-1910)晩年の執筆になるもの。作者はこの時期いちじるしく宗教的・道徳的傾向を深めていた。そして苦悩に満ちた実生活を代価としてあがなったかけがえのない真実が、幾多の民話となって結晶していったのである。これらの作品には、素朴な人間の善意に対する確かな信頼が息づいている。ー トルストイ民話集「人はなんで生きるか(表紙文章より引用)【岩波文庫】」
どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。
幸福が好きなひともいれば不幸が好きなひともいるし、重く考えることが好きなひともいれば軽やかな生き方が好きなひともいるし、心配や批判が好きなひともいれば信頼や励ましが好きなひともいる。こういうのは全部趣味が違うだけのことだから、端的に「趣味の合うひとと一緒にいればいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
自分にできていないことを相手にしてあげることはできないし、自分に許せていないことを相手に許してあげることもできない。相手の意見を尊重することの100倍くらい、多分、私たちは自分の意見を尊重してもいいのだと思う。受け入れることが愛ならば、相手ではなく、まずは自分を受け入れることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月28日
あなたは詩人ですねと言われた時、私は「あなたが詩人にしてくれたのだ」と思った。書くひとがいて、読むひとがいて、はじめて『詩』は成立する。多分、人間が生きるということも同じだ。それを見てくれるひとがいて、はじめて完成するものが人生だ。 pic.twitter.com/xB0PoIlmDx
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
真理とは「ひとを自由にする」ものだ。
生きているということは「大丈夫である」ということ。
「不安だから何かをやる」ということは絶対にしない。
私は、いま、カメラマンのちーちゃんと一緒に『CHAPAWONICA【ちゃぱうぉにか】』という活動をしています。CHAPAWONICAのコンセプトについての説明をはじめると超絶長くなるので省略をしますが、私は絵を描くので、車の中に寝泊まりできる道具と画材とカメラ機材を積んで、呼ばれた場所に車で行って撮影をしたりイラストを描くというような生き方をしています。
この前も、東北の方に行く必要があったのですが、お金が10000円とかしかなくて「このままだと東北に到着できないかもしれない」ということになりました。一緒にいたちーちゃんは「何かイベントなどを企画してお金をつくらないと!」と焦りましたが、私は、断固として「不安だから何かをやるということは絶対にしない」と、何を言われてもひたすらに拒み続けました。
お金に対する考え方はひとそれぞれで、そのことで「やばい、死ぬ!」と感じるひともいるかもしれませんが、私の場合は「うおー!このままだと東北に行けない、いよいよ面白くなってきた!」という感じで、アガります。この時は、奇跡的に「宿泊とか移動とか大変だと思うからこれを使ってよ」と言ってくれる神様があらわれて、私たちは「超絶あざす!!!!!!」ということで受け取り、結果的にどうにかなりました。
ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とは何か。
『スピリチュアル・コンパス』
「神を知ること」説教では聖書を読めという神を知るためには跪いて祈ろう神を知るためには義に従おう神を知るには・・・しかし私はきのう蝶を見た枯れた葉の上にとまっていたちょうど日の沈むときだったそのとき私は神を知ったマオリ族の瞑想からサティシュクマール『スピリチュアル・コンパス』【徳間書店】
真理とは「ひとを自由にする」ものだ。
朝の森を散歩することや植物の世話をすること、音楽を奏でることや静かな環境で文章を綴ること、珈琲を飲みながら読書をすることや沈む夕日を眺めること、ひとと話をすることや虫の声を聞きながら夜の空を眺めること、静かな充足感を与えてくれる者達は、どれもお金のかからないものだった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
思い悩む原因のひとつは比較、それも「得体の知れない普通との比較」によるものが多い気がする。普通ならこうするとか、普通とは違っているとか、ひとと同じであることに重点を置くと、簡単に自分自身を見失ってしまう。普通だから正しい訳ではないし、普通じゃないことは間違っている訳でもないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月24日
好意的な感情の原点は、常に「あなたが生きているだけでうれしい」のだと思う場所に留めていたい。何かをしてくれるから好きだと感じる愛情は、簡単に「何かをしてくれないから嫌いだ」の愛憎に転じてしまう。真実は、お互いを固く束縛し合うものではなく「人間を自由にする」ものだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。
人間を分類することはできない。
道徳の上に経済があるのであり、経済の上に道徳があるのではない。
他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。
『短歌ください』
天に恥じない生き方をすること。
綺麗だ。 pic.twitter.com/j3w34XcX3Z
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月22日
誰にも言えない悲しみを、夜空に放つひとがいる。弱音や愚痴や悲しみは、触れるひとの心に影を落としてしまうから、生きているひとには話せないことがある。大切なひとだからこそ、言葉にできないことがある。そうした時に、ひとは言葉を夜空【星になった者達】に放つ。その姿を、とても美しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。変化を求める【口先を変える】のではなく、自分自身が変化になる【行動を変える】こと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
坂爪圭吾様
8月20日(土)にお家の場所を電話で伺いたどり着けなかった、○○市の○○○○○と申します。
お手数おかけしてすみませんでした。
早朝に思い立って、住所にたどり着けばなんとかなるだろうと車で出発してしまいましたが…観光シーズンの熱海をなめてました!
渋滞にはまった挙げ句、空いてる駐車場を見つけられず退散となりました。
最初のお電話からずいぶん時間も経ってしまい、ご心配おかけしてしまいました。
ただ、私的にはとても充実した一日を過ごせたのでそれをお知らせしたくてメールしました。
朝3時にふと目覚めて熱海に行くのを決めて、私の実家(静岡県西部地区)の緑茶を水出しにしたものをぜひ誰かに飲んで欲しい!と思ったのです。
この地域のお茶は深蒸し茶といって、茶葉の蒸し時間を長くして甘味とまろみを引き出したものなのですが、それを水出しにするとさらに爆発的な味わいになります。
夏場の来客にはいつもお出ししてお褒めの言葉を頂けます、が…
これを初対面の人に飲んでもらえたらどんな反応が返ってくるだろう?
その人がお茶菓子とか持ってきていて、一緒に飲んだらどんなに楽しいだろう?
そう考えただけでワクワクが止まらなくて、家にある容器を総動員してお茶を入れました。
準備しているうちに「あれも、これも手土産に持っていこう」とひらめいたり。
道中も、どう紹介したらわかりやすく興味を持ってもらえるか言い回しの練習をしたり、どんな方々が集まってくるのか想像したりと脳みそフル回転でした。
結局たどり着くことはできませんでしたが全然ガッカリ感は無く、心地よい疲労感となぜか達成感がありました。
何でかと考えたら、
〉どう紹介したらわかりやすく興味を持ってもらえるか言い回しの練習をしたり、どんな方々が集まってくるのか想像したりと脳みそフル回転でした。
これはいつも夫の役目なんです。私は子供の面倒を見ながらそれを見守ったり同行したり。
でも今回は全部自分でトライ&エラーをしたからこんなに楽しかったんだと思いました。
小さい子供がいるから自由に行動できないと思考停止していたのに気づいてびっくりです。
坂爪さんの設定してくれた場のおかげで、すごく自由になれました。
それに、私の周りには人に自信を持って紹介できる素晴らしいものがたくさんあるのだと気づくことができました。
自分にとって当たり前でも、実はとても価値あるものだったのだと。
今、得体の知れない幸せに包まれています。
ありがとうございました。
長文失礼しました。
また次の機会にぜひ伺いたいと思います。
(今度は計画的に…(^o^;))
今年は残暑が続くようです。ご自愛くださいませ。
○○○○○
居場所とは、場所ではなくて人間だ。
1・優れたパティシエになる近道は美味しいケーキを食べること。
自分が淹れた珈琲が世界でいちばん美味しいと思うんですと照れながら笑う女性が淹れた珈琲が、過去に飲んだ珈琲の中で本当にいちばん美味しかった。自分も、自分の文章が世界でいちばん面白いのだと思うことにしよう。そして、誉めてくれるひとがいたら「でしょ!」と答えて、一緒に笑おう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月28日
2・生き延びることよりも「生きたいと思う」こと。
就職に有利な資格を得るとか、手に職をつけるとか、収入源を増やすとか、人的なネットワークを築くとか、死なない為のスキルは頻繁に耳にするけれど「生きたいと思う為のスキル」を耳にすることは少ない。生き延びることよりも「生きたいと思う」ことの方が、多分、何億倍も大事だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月22日
自分に問いを突きつけられた時は嬉しくなる。今ある答えに満足するだけではなく、今ある答えを進化させるために問いが必要なのだと思う。自分に問いを突きつけられた時、自分を進化させるために考えたり悩んだり苦しんだりするのだろう。その時、心の奥底では「もっと生きていたい」という気持ちが爆発している。
自分に「もっと生きていたい」と思わせてくれるものは、全てにおいて「アート」であり、「問い」だ。自分はもっと問いに出会いたくて、生きている。
アートはいつだって、もっと生きたいと思わせてくれるものだ。
3・おかしいと思う自分がおかしいのだろうか。
「純度の高い人間」としか呼ぶことのできないような、そのひと自身の内側からあふれる光のような輝きを感じることがある。純度の高いひとは、言葉や、表情や、存在を通じて、それに触れるひとの純度まで高めてくれる。濁りのもとになるような見栄を、世界に対する不信感を洗い流してくれる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月1日
4・自分を殺さないで良かった。
コミュニケーションは「何を言うか」ではなく「どのような気持ちで言うか」の方が、多分、何億倍も大切だと思う。心のない言葉はどれだけ正論でも空疎に響くし、無様でも、心のある言葉には真実の響きが宿る。言葉はただの容れ物で、感情と合致した瞬間に『言葉は音楽になる』のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月8日
5・幸福は全体感、不幸は分離感。
その人が何をしたかで価値を決められるのであれば、何もしていない人間に生きている価値はないということになるのだろうか。そんなことはない、と思う。多分、功績と価値は別物だ。人間の功績は行動に宿るもので、人間の価値は存在に宿るものだ。更に言えば、存在とは「何よりも純真な生命の行動」だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月18日
6・自分を強く主張するほど、惨めになる。
やりたいことを見つけないといけないとか、あの人を忘れないといけないとか、自分を受け入れなければいけないとか、みんなと仲良くしなければいけないとか、常に元気でいなければいけないとか、充実した時間を過ごさないといけないとか、しなきゃいけないことなんて本当は何ひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
7・何者でもなく生きる姿勢が、自分の中心を生きる軸になる。
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。やりたいことは何もなくても「何かをやりたいと思う」瞬間は、誰のもとにも必ず訪れる。そうしたくなった、その気持ちを大切にして欲しいと思う。しなきゃ、という気持ちに負けないで欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
8・ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
元気を出さなきゃとか、明るくいなくちゃとか、やりたいことを見つけなくちゃだめだとか、そんな言葉で自分を苛めてはいけないと思う。生きる力は、ボロ雑巾のように絞り出すものではなく「溢れ出す【溢れ出てしまう】」ものだ。元気なんか出さなくていいし、みんなと仲良くする必要もない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
9・無様でも、不器用でも、愛情を表現していこう。
頭の中に「愛があれば大丈夫だ」という言葉が鳴り響き、悩んだり苦しんだり自分の未来を疑いそうになることがあったとしても、そこに愛があればきっとうまくいくのだと、そういうことを考えていた。無様でも、不器用でも、自分なりの愛情を精一杯に表現していこう。きっと、それが生きるということだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月18日
『イリュージョン』
「人間が本当に愛するものを見つけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そういうふうに導かれているんだと信じることだね。だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ」「人間は大体、目に見えるものしか信じないでしょう?たとえば、汽車の二本のレールは地平線のとこで絶対にくっついて見える。そういうふうに見えるからそう信じているけど、そうじゃないんだね。飛行機で線路の上を飛ぶと、二本のレールは、行けども行けども平行なわけだ。また、雨が降って、地上では傘をさしている。人々は頭上に太陽があることを忘れているわけだ。だけど、ひとたび飛行機で上に上がってしまえば、そこに太陽は、あるわけなんだよ」「人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドラゴンワールド(現実の、悪意に充ちた世界)なわけだ。地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、おまえはその三十億プラス一の余り物にすぎない、おまえのことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ」「どうやってそれに対抗するかといったら、やっぱり自分の歌をうたい続けることだと思うね。『うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ』かなんか言われて、それでだめになっちゃうことだってあるけど、張り倒されても、まだ歌い続けることだ。もちろん、ドラゴンワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうしようなんていうわずらいもある。それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながらでも、自分の歌だけはうたい続けるわけだ」「これからの『神』というのは、決してわれわれに信じて貰うことを要求するのではなく、結局、この世の中はひとつのゲームであって、そのゲームをできるだけエンジョイするためにわれわれは生きているんだということを認識させるために存在する、そういう形での神でしかあり得ない、と僕は思っている」
10・居場所とは、場所ではなくて人間だ。
居場所とは、場所ではなくて人間だ。何かを愛する自分の心だ。自分のことを愛してくれる何かを求めるのではなく、自分から進んで愛していける何かを見つけること。愛される前に愛することができるようになった時、きっと、そこが自分の居場所になる。 pic.twitter.com/rIlcyOOOJc
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月17日
落ち着けば、大概のことはどうにかなる。
人生はギャグだ(と思うことがあります)
坂爪圭吾さんが語る「家をなくしてわかった5つのこと」が名言すぎて涙が出る https://t.co/0AzxVlXh8e @misterspotlightさんから
— さ え か (@sssssxxe) 2016年8月16日
静かに流れる日々の美しさだ。 pic.twitter.com/m0iArxZ6Hk
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月15日
深刻さを吹き飛ばしてくれるもの。
『ベルギー近代美術の精華展』
『見てる、知ってる、考えてる』
僕が素敵だと思う大人は、自分を生きている。子供みたいに生きている。嫌なことは駄々をこねるように嫌と言い、嬉しい時は子供みたいに喜んでいる。ようするに僕はこのままでいいということ。嫌なことは駄々をこねるように嫌といい、嬉しい時には子供のまま喜ぶ。中島芭旺「見てる、知ってる、考えてる」【サンマーク出版】
落ち着けば、大概のことはどうにかなる。
毎日が深刻になりそうな時は、勇気を出して、阿呆になるのが一番です。 pic.twitter.com/ne6AUBGRwt
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月14日
頭の中を黙らせるための魔法がある。落ち着け、落ち着け、落ち着けと三回唱えながら、頭の中でぐるぐる回転していることを自分の腹に落とす。その後、静かな心でしりとりをはじめる。落ち着け。ケチるな。なるようになる。この瞬間【落ち着け。ケチるな。なるようになる】の魔法は完成する。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月25日
複雑に物事を考えることが好きなひとは、人生全般を複雑なものに変えてしまう。だけど、自分には難しいからできないと感じる大半のことは、実際は「そんなことはない」のだと思う。多くの場合、取り越し苦労をしているだけなのだと思う。難しそうに感じるほとんどのことは、実際は「難しくない」んだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月16日