ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
熱海の自宅で開催している、無料の喫茶店【Envelope】初日が終わった。前日の告知にも関わらず、愛知や大阪や北海道(!)から来てくれた人達もいて度肝を抜かれた。それだけの行動力があれば、あなたたち、きっと何処でもやっていけると思います!という気持ちになった。フットワークの軽いひとの特性は「風」だ。遠方から足を運んで来たひとの存在は、空間を吹き抜ける新鮮な風になる。
以前、京都で出会った旅好きの女性が「最近は仕事が忙しくて旅に出る時間がないので、自宅を無料の宿として開放(カウチサーフィン)をして、来てくれたひとを通じて旅の気分を味わっています」と話していた。ひとつの場所に固定をされてしまうと、どうしても視野は狭くなり、小さく限定的な思考の枠にはまってしまう。自分なりの対処法【思考の枠を外す方法】を実践しているひとは、素敵だ。
人生も喫茶店も「なるようになる」
私は、多分、何かを「こうである」と決めることが非常に苦手な人間だ。自分から喫茶店をやるといっておきながら、固定のメニューを決めることができず、固定の座席を用意することができず、固定のルールを設定することができず、結果的に「自由に好き勝手にやっちゃってください」ということになる。いい加減な自分の特性を、非常に便利な言葉で言い換えると「流動的でありたい」と思っている。
結果的に、喫茶店という名目でありながらメニューは『おいしい水(HOT or COLD)』のみで開店をするという、ある種の醜態を晒した。しかし、晒した醜態が功を奏し(?)て、さすがにそれはちょっとアレだろと思ってくださった東京在住の方が、台湾で購買したという非常に高価な茶葉と茶器を贈呈してくれた。おかげさまでメニューが増えた。この、流動的【行き当たりばったり】感が大好きだ。
手土産に「場合によっては2時間以上も並ぶことがある銀座CENTREのパンと洒落乙な北欧の紅茶」を購買してきてくださった女神様の登場により、ただの給水所と化していたEnvelopeが喫茶店になりはじめた。愛知から来てくれた方はかりんとうを、北海道から来てくれた方はバウムクーヘンを、東京から来てくれた方は「水出しアイスコーヒーの器具と珈琲豆」をEnvelopeに贈呈(!)してくれた。
私は、心の底から「水だけで開店してよかった」と思った。ほんとうは、何かをやるにはそれなりの準備を整えてからやるものだろうという常識的なサムシングが自分の中にもあったものだから、水だけの状態で開店をするのはいかがなものだろうかと感じる部分も少なからずあった。が、蓋を開けてみたらこのようになった。人生は「どうにかする」ものではなく「どうにかなる」ものなのかもしれない。
不安や恐怖より「衝動や喜び」
Envelopeに来てくれた女性が「わたしは、こうしてお菓子の差し入れを持ってきてはいるのですが、正直に言えば『持って行きたいから持ってきただけではなく、自分をいいひとに見せたい(何かを持っていかないと悪いひとになる)』から持ってきているように感じています。坂爪さんは様々なものを貰う機会が多いと思うのですが、皆、純粋な善意だけで与えているものなのでしょうか」という問いを投げた。
私は、しばらく考えた後に「わかりません」と答えた。純粋な善意だけで与えるひともいれば、何かしらの見返りを求めて与えるひともいるし、自分を良く見せたいある種の見栄やプライドの為に何かを与えるひともいるのだと思う。どのような気持ちが乗っかっているのかは(女性の話を聞くまでは女性がそのような気持ちで差し入れを持ってきたこともわからなかった)私は、多分、何も知らないのだと思う。
私は、あらゆるひとに対して「そうしたくなった、その気持ちを大切にしてください。しなきゃ、に負けないでください」ということを願っている。何かをしなければいけないというある種の脅迫的な感情に従うのではなく、これをやりたい、こうしていきたいと思う前向きな感情に従って欲しいと願っている。不安や恐怖を動機に何かをするのではなく、衝動や喜びを動機に生きていて欲しいと願っている。
『聖なる予言』
今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、J・レッドフィールド著作『聖なる予言』です。こちらの本は、関西在住の女性から「わたしの人生を大きく支えてくれた一冊です。必要とされる方に、必要なタイミングで届きますように」という言葉と共に、熱海に届きました。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡をいたします。
※※※ こちらの本は、長崎県にわたりました ※※※
【参考HP】わたり食堂・わたり文庫
ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
多分、私はEnvelopeという空間を通じて「迷惑をかけない訓練をするのではなく、楽しく迷惑をかける【明るい混乱を起こす】練習をしているのだ。我慢をする訓練をするのではなく、無邪気に我儘である【ポジティブに甘える】練習をしているのだ。強くなる為の訓練をするのではなく、余計な見栄を投げ捨てる【安心してダメになる】練習をしているのだ」と思う。
やりたいことを見つけないといけないとか、あの人を忘れないといけないとか、自分を受け入れなければいけないとか、みんなと仲良くしなければいけないとか、常に元気でいなければいけないとか、充実した時間を過ごさないといけないとか、しなきゃいけないことなんて本当は何ひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
こうでなければいけないということなんて、本当は、ひとつもないのだと思う。いままで「これはこういうものです」と定められてきたほとんどのものも、もしかしたら、すべてはデタラメなのかもしれない。地動説が天動説に変わるように、世界の常識が一瞬でひっくり返る出来事が、人生にはたくさんある。つまらない常識で自分をダメにしてしまうことほど、勿体無いことはないのだと思う。
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。やりたいことは何もなくても「何かをやりたいと思う」瞬間は、誰のもとにも必ず訪れる。そうしたくなった、その気持ちを大切にして欲しいと思う。しなきゃ、という気持ちに負けないで欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
正しさを追い求めると重くなる。楽しさを追い求めると軽くなる。どれだけ正しいことを言えるひとでも、一緒にいる時間が楽しくなければ、こころは簡単に疲れてしまう。私は「明るい混乱を起こす」ひとが好きだ。「ポジティブに甘える」ひとが好きだ。「無邪気に我儘である【邪気のあるものはNG!】」ひとが好きだ。ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
どれだけ頭が良くても、どれだけ大量のお金を集めても、どれだけ豊富な武勇伝を持っていたとしても、多分、可愛げのある人間には敵わない。頑張るとか頑張らないとか、勝ち組だとか負け組だとかそんなことよりも「チャーミングであること」の方が、より一層のハッピーな日々を運んでくれるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月2日
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu