いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

真理とは「ひとを自由にする」ものだ。

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所持金が511円になった私は、いばやの保科さんに500円をあげた後に110円の缶コーヒーを飲みたくなったので100円を貰って缶コーヒーを購買し、残額は1円になった。昨夜、東京の国立市で開催されたイベントは非常にありがたいことに満員御礼となり、主催者のやたさんが「坂爪さんを生かしたいと思うので、よろしかったらドネーションをお願いします」と、参加者の皆様にお布施(!)を募ってくださった。

生きていると、とてもじゃないけれどブログには書けないような出来事が頻発する。それでも私が生きていられるのは、多くの方々の支えがあってこそだということを痛感している。昨夜のイベントには、いばやの保科さんとMAYUCHAPAWONICAさんも参戦をしてくれた。彼らに共通しているのは「お金はないけど妙に元気だ」ということで、私は、彼らから大きな力を貰っている。

生きているということは「大丈夫である」ということ。

三年前、私は、高校の同級生でもあるMAYUCHAPAWONICAさんと一緒に合同会社いばやを設立した。いばやとは「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプト(?)だけがある合同会社で、設立当初は事業内容も何も決めていなかった。ただ、自分たちがやばいと思うことをやっていれば、それを面白がってくれるやばい人達が現れて、化学反応が起きて、結果的にとんでもないわっしょい状態になるであろうと思っていた。

いばやには「自分たちの活動が未来にとって必要なものであれば、それを見たひとが『こいつらを餓死させてはいけない!』と思い、私たちを生かしてくれるはずだ。しかし、自分たちの活動が未来にとってまるで必要のないものであれば、私たちは餓死をするだろう」という仮説がある。それを実証するために存在しているようなものだけれど、生きているということは「まだ大丈夫である」ということになる。

金になるかどうかはわからない(おそらくならないであろう)、それでも自分がやりたいと思ったことをやる、自分の心が「これは楽しそうだ!」と思ったことだけをやるのだという、それだけの思いが共通したメンバーで構成されているものがいばやになる。久しぶりに再会を果たした三人は、お互いに、笑ってしまうほどにお金を持ち合わせていなかった。それでも「生きているということは大丈夫である」という希望の通奏低音を感じることのできる、非常に稀有な仲間の存在には、何度も力を貰っている。

「不安だから何かをやる」ということは絶対にしない。

イベントの最中、参加者の方から「お金がないことで不安になることはないのですか?」という質問をいただいた。それに対するMAYUCHAPAWONICAさんの返事が素晴らしかったので、以下に簡単にまとめます。私の文体が硬いために実物とはことなる印象を伝えてしまうかもしれませんが、ひまわりみたいな女の子が非常にポップな調子で話している姿を想像しながら読んでいただければ幸いです。

私は、いま、カメラマンのちーちゃんと一緒に『CHAPAWONICA【ちゃぱうぉにか】』という活動をしています。CHAPAWONICAのコンセプトについての説明をはじめると超絶長くなるので省略をしますが、私は絵を描くので、車の中に寝泊まりできる道具と画材とカメラ機材を積んで、呼ばれた場所に車で行って撮影をしたりイラストを描くというような生き方をしています。
この前も、東北の方に行く必要があったのですが、お金が10000円とかしかなくて「このままだと東北に到着できないかもしれない」ということになりました。一緒にいたちーちゃんは「何かイベントなどを企画してお金をつくらないと!」と焦りましたが、私は、断固として「不安だから何かをやるということは絶対にしない」と、何を言われてもひたすらに拒み続けました。
お金に対する考え方はひとそれぞれで、そのことで「やばい、死ぬ!」と感じるひともいるかもしれませんが、私の場合は「うおー!このままだと東北に行けない、いよいよ面白くなってきた!」という感じで、アガります。この時は、奇跡的に「宿泊とか移動とか大変だと思うからこれを使ってよ」と言ってくれる神様があらわれて、私たちは「超絶あざす!!!!!!」ということで受け取り、結果的にどうにかなりました。

「不安だから何かをやる」ということは絶対にしないと話すMAYUCHAPAWONICAさんを見て、ああ、このひとは常に自分の筋を貫いているなあと感服した。MAYUCHAPAWONICAさんの好きな所は、全身からハッピーなオーラが溢れている【端的にかわいい】ということで、言っていることは同じでも、言っているひとから不穏なエネルギーが出ている場合は、どうしても耳を貸すことはできない。

ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とは何か。

いばや設立当初には、様々なひとからお叱りを受けた。MAYUCHAPAWONICAさんは「会社をつくったときは、おじさんたちから『事業内容はどうするんだ』とか『そんなんじゃやっていけないよ』的なことを結構言われました。私は『会社ではあるけれど、ギャグみたいなものだから』と答えていたけれど、わかってくれるひとはあまりいませんでした」と(無邪気に笑いながら←これ大事!)話した。

私も、設立当初のことを懐かしく思い出していた。いばやを設立して、家のない生活をはじめた頃からこのブログ【いばや通信】を書きはじめて、ある時は「お前はいつまでこんな生活をしているつもりなんだ」と言われることもあった。要するに「ちゃんとしなさい」ということなのだけれど、私は、心の中では「ちゃんとできるような人間だったら、はじめからこんな生活はしていません」と思っていた。

ちゃんとできないから「いばや」を必要としたのであり、ちゃんとできないから「家のない生活」をはじめたのであり、ちゃんとできないから「ちゃんとできない自分でも、それでも(死なないためではなく)生きたいと思う生き方」を探したのである。はじめからちゃんとできるような立派な人間だったら、このような愚かな生き方はしていないのだ【自分のスタートラインは非常にネガティブなものだった】ということを、ノスタルジックに思い出していた。

『スピリチュアル・コンパス』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、サティシュクマール著作『スピリチュアル・コンパス』です。日本語版のタイトルが駄目すぎて悲しい気持ちになるのですが、内容は素晴らしいものであると思います。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、青森県にわたりました ※※※

「神を知ること」

説教では聖書を読めという
神を知るためには
跪いて祈ろう
神を知るためには
義に従おう
神を知るには・・・

しかし私はきのう
蝶を見た
枯れた葉の上にとまっていた
ちょうど日の沈むときだった
そのとき私は神を知った

マオリ族の瞑想から

サティシュクマール『スピリチュアル・コンパス』【徳間書店


真理とは「ひとを自由にする」ものだ。

家のない生活をはじめた頃から、初対面のひとから食事をご馳走になったり、初対面のひとのご自宅に宿泊をさせていただくなど、ひとの優しさに触れる機会は目に見えて増幅した。おそらく、私はいばやの活動や家のない生活を通じて「人間を含めた地球全体に対する共同体感覚」を得たのだと思う。多分、人間とは「関係性のいきもの」であり、家や金や仕事を失くしても死ぬことはないけれど、社会的な繋がりを失ってしまった(と思い込んでしまった)時、ひとは、強い孤立感や分離感に苛まれることになる。


家や金のない生活は、最悪の場合は「森にテントを張って暮らせばいい」「日本全国を托鉢しながら生きればいい」「困ったときはひとに助けてもらえばいい【自分が助けてもらっているように、自分もひとを助けていけばいい】」のだと教えてくれた。静かな充足感を与えてくれるものたちは、どれもお金のかからないものだということを、どのような状態に置かれていたとしても、万人に等しく与えられているよろこびはあるのだということを教えてくれた。


私にとって、真理とは「ひとを自由にする」ものだ。こうでなければいけないという規律の縄でひとの自由を制限する思考の裏側には「人間【世界】に対する不信感」がある。私には、このようなものが真理であるとは思えない。それに触れた瞬間、思わずうれしさがこみ上げてしまうような、自分もそうでありたいと思えるもの、生きていることのよろこびを肌で感じることのできるものが、私にとっての真理になる。それを表現したいと思う時に、たとえば私は文章を綴り、ひとと話をしたいと思う。


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
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