ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。
世界が目覚めました。 pic.twitter.com/fCcLxtC71x
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月30日
美しい自然と、美しい人間。
強さの中に優しさがあり、優しさの中に強さがある。
『アルケミスト』
宝物を見つけるためには、前兆に従って行かなくてはならない。神様は誰にでも行く道を用意していて下さるものだ。神様がおまえのために残してくれた前兆を、読んでゆくだけでよいのだ。ー パウロ・コエーリョ『アルケミスト【角川文庫】』
ひとを愛する才能は、きっと、誰の中にもある。
心配をすることは「あなたには力がない」ということを伝える否定的な力があり、信頼をすることは「あなたには力がある」ということを伝える肯定的な力がある。心配よりも信頼をしよう。自分を信頼することは相手を信頼することに、人間を信頼することは世界を信頼することになるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月29日
どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。
今夜20時頃から、70万時間テレビ「まずは自分を救え」を開幕致します。いばや関係者の皆様、宜しくお願いします!!
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
70万時間テレビ「まずは自分を救え」https://t.co/Uc0wpQEGI5
70万時間テレビ前夜告知動画https://t.co/s6NhK8xZUa
まずは自分を救え。
生きていることを目撃し合っている。
ひとりの人間に思いを馳せるということ。
自分が一番伝えたいと思うのは、「怒り」や「恨み」や「憎しみ」は人を救わないということで、できれば「理解」や「許す」といった方向へ舵を切ってほしいのだということ。
— みっつ (@mitzparty) 2016年8月27日
まずは自分を救え ~加害者は元被害者~ https://t.co/wBJWuI6Ccv
【70万時間テレビ〜まずは自分を救え〜】
— まゆ@横浜 (@harapekoyama) 2016年8月28日
それぞれの大往生を描き、各地から70万時間分のパワーが届いています!!ありがとうございます💖今日も何が起こるかわからない、70万時間分の"いま"をお届けします⭐️よろしくお願いします💖💖💖 pic.twitter.com/DHmWAZ5e82
『人はなんで生きるか』
ここに収められた五つの短編はトルストイ(1828-1910)晩年の執筆になるもの。作者はこの時期いちじるしく宗教的・道徳的傾向を深めていた。そして苦悩に満ちた実生活を代価としてあがなったかけがえのない真実が、幾多の民話となって結晶していったのである。これらの作品には、素朴な人間の善意に対する確かな信頼が息づいている。ー トルストイ民話集「人はなんで生きるか(表紙文章より引用)【岩波文庫】」
どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。
幸福が好きなひともいれば不幸が好きなひともいるし、重く考えることが好きなひともいれば軽やかな生き方が好きなひともいるし、心配や批判が好きなひともいれば信頼や励ましが好きなひともいる。こういうのは全部趣味が違うだけのことだから、端的に「趣味の合うひとと一緒にいればいい」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
自分にできていないことを相手にしてあげることはできないし、自分に許せていないことを相手に許してあげることもできない。相手の意見を尊重することの100倍くらい、多分、私たちは自分の意見を尊重してもいいのだと思う。受け入れることが愛ならば、相手ではなく、まずは自分を受け入れることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月28日
あなたは詩人ですねと言われた時、私は「あなたが詩人にしてくれたのだ」と思った。書くひとがいて、読むひとがいて、はじめて『詩』は成立する。多分、人間が生きるということも同じだ。それを見てくれるひとがいて、はじめて完成するものが人生だ。 pic.twitter.com/xB0PoIlmDx
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
真理とは「ひとを自由にする」ものだ。
生きているということは「大丈夫である」ということ。
「不安だから何かをやる」ということは絶対にしない。
私は、いま、カメラマンのちーちゃんと一緒に『CHAPAWONICA【ちゃぱうぉにか】』という活動をしています。CHAPAWONICAのコンセプトについての説明をはじめると超絶長くなるので省略をしますが、私は絵を描くので、車の中に寝泊まりできる道具と画材とカメラ機材を積んで、呼ばれた場所に車で行って撮影をしたりイラストを描くというような生き方をしています。
この前も、東北の方に行く必要があったのですが、お金が10000円とかしかなくて「このままだと東北に到着できないかもしれない」ということになりました。一緒にいたちーちゃんは「何かイベントなどを企画してお金をつくらないと!」と焦りましたが、私は、断固として「不安だから何かをやるということは絶対にしない」と、何を言われてもひたすらに拒み続けました。
お金に対する考え方はひとそれぞれで、そのことで「やばい、死ぬ!」と感じるひともいるかもしれませんが、私の場合は「うおー!このままだと東北に行けない、いよいよ面白くなってきた!」という感じで、アガります。この時は、奇跡的に「宿泊とか移動とか大変だと思うからこれを使ってよ」と言ってくれる神様があらわれて、私たちは「超絶あざす!!!!!!」ということで受け取り、結果的にどうにかなりました。
ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とは何か。
『スピリチュアル・コンパス』
「神を知ること」説教では聖書を読めという神を知るためには跪いて祈ろう神を知るためには義に従おう神を知るには・・・しかし私はきのう蝶を見た枯れた葉の上にとまっていたちょうど日の沈むときだったそのとき私は神を知ったマオリ族の瞑想からサティシュクマール『スピリチュアル・コンパス』【徳間書店】
真理とは「ひとを自由にする」ものだ。
朝の森を散歩することや植物の世話をすること、音楽を奏でることや静かな環境で文章を綴ること、珈琲を飲みながら読書をすることや沈む夕日を眺めること、ひとと話をすることや虫の声を聞きながら夜の空を眺めること、静かな充足感を与えてくれる者達は、どれもお金のかからないものだった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
思い悩む原因のひとつは比較、それも「得体の知れない普通との比較」によるものが多い気がする。普通ならこうするとか、普通とは違っているとか、ひとと同じであることに重点を置くと、簡単に自分自身を見失ってしまう。普通だから正しい訳ではないし、普通じゃないことは間違っている訳でもないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月24日
好意的な感情の原点は、常に「あなたが生きているだけでうれしい」のだと思う場所に留めていたい。何かをしてくれるから好きだと感じる愛情は、簡単に「何かをしてくれないから嫌いだ」の愛憎に転じてしまう。真実は、お互いを固く束縛し合うものではなく「人間を自由にする」ものだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。
人間を分類することはできない。
道徳の上に経済があるのであり、経済の上に道徳があるのではない。
他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。
『短歌ください』
天に恥じない生き方をすること。
綺麗だ。 pic.twitter.com/j3w34XcX3Z
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月22日
誰にも言えない悲しみを、夜空に放つひとがいる。弱音や愚痴や悲しみは、触れるひとの心に影を落としてしまうから、生きているひとには話せないことがある。大切なひとだからこそ、言葉にできないことがある。そうした時に、ひとは言葉を夜空【星になった者達】に放つ。その姿を、とても美しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。変化を求める【口先を変える】のではなく、自分自身が変化になる【行動を変える】こと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月19日
坂爪圭吾様
8月20日(土)にお家の場所を電話で伺いたどり着けなかった、○○市の○○○○○と申します。
お手数おかけしてすみませんでした。
早朝に思い立って、住所にたどり着けばなんとかなるだろうと車で出発してしまいましたが…観光シーズンの熱海をなめてました!
渋滞にはまった挙げ句、空いてる駐車場を見つけられず退散となりました。
最初のお電話からずいぶん時間も経ってしまい、ご心配おかけしてしまいました。
ただ、私的にはとても充実した一日を過ごせたのでそれをお知らせしたくてメールしました。
朝3時にふと目覚めて熱海に行くのを決めて、私の実家(静岡県西部地区)の緑茶を水出しにしたものをぜひ誰かに飲んで欲しい!と思ったのです。
この地域のお茶は深蒸し茶といって、茶葉の蒸し時間を長くして甘味とまろみを引き出したものなのですが、それを水出しにするとさらに爆発的な味わいになります。
夏場の来客にはいつもお出ししてお褒めの言葉を頂けます、が…
これを初対面の人に飲んでもらえたらどんな反応が返ってくるだろう?
その人がお茶菓子とか持ってきていて、一緒に飲んだらどんなに楽しいだろう?
そう考えただけでワクワクが止まらなくて、家にある容器を総動員してお茶を入れました。
準備しているうちに「あれも、これも手土産に持っていこう」とひらめいたり。
道中も、どう紹介したらわかりやすく興味を持ってもらえるか言い回しの練習をしたり、どんな方々が集まってくるのか想像したりと脳みそフル回転でした。
結局たどり着くことはできませんでしたが全然ガッカリ感は無く、心地よい疲労感となぜか達成感がありました。
何でかと考えたら、
〉どう紹介したらわかりやすく興味を持ってもらえるか言い回しの練習をしたり、どんな方々が集まってくるのか想像したりと脳みそフル回転でした。
これはいつも夫の役目なんです。私は子供の面倒を見ながらそれを見守ったり同行したり。
でも今回は全部自分でトライ&エラーをしたからこんなに楽しかったんだと思いました。
小さい子供がいるから自由に行動できないと思考停止していたのに気づいてびっくりです。
坂爪さんの設定してくれた場のおかげで、すごく自由になれました。
それに、私の周りには人に自信を持って紹介できる素晴らしいものがたくさんあるのだと気づくことができました。
自分にとって当たり前でも、実はとても価値あるものだったのだと。
今、得体の知れない幸せに包まれています。
ありがとうございました。
長文失礼しました。
また次の機会にぜひ伺いたいと思います。
(今度は計画的に…(^o^;))
今年は残暑が続くようです。ご自愛くださいませ。
○○○○○
居場所とは、場所ではなくて人間だ。
1・優れたパティシエになる近道は美味しいケーキを食べること。
自分が淹れた珈琲が世界でいちばん美味しいと思うんですと照れながら笑う女性が淹れた珈琲が、過去に飲んだ珈琲の中で本当にいちばん美味しかった。自分も、自分の文章が世界でいちばん面白いのだと思うことにしよう。そして、誉めてくれるひとがいたら「でしょ!」と答えて、一緒に笑おう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月28日
2・生き延びることよりも「生きたいと思う」こと。
就職に有利な資格を得るとか、手に職をつけるとか、収入源を増やすとか、人的なネットワークを築くとか、死なない為のスキルは頻繁に耳にするけれど「生きたいと思う為のスキル」を耳にすることは少ない。生き延びることよりも「生きたいと思う」ことの方が、多分、何億倍も大事だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月22日
自分に問いを突きつけられた時は嬉しくなる。今ある答えに満足するだけではなく、今ある答えを進化させるために問いが必要なのだと思う。自分に問いを突きつけられた時、自分を進化させるために考えたり悩んだり苦しんだりするのだろう。その時、心の奥底では「もっと生きていたい」という気持ちが爆発している。
自分に「もっと生きていたい」と思わせてくれるものは、全てにおいて「アート」であり、「問い」だ。自分はもっと問いに出会いたくて、生きている。
アートはいつだって、もっと生きたいと思わせてくれるものだ。
3・おかしいと思う自分がおかしいのだろうか。
「純度の高い人間」としか呼ぶことのできないような、そのひと自身の内側からあふれる光のような輝きを感じることがある。純度の高いひとは、言葉や、表情や、存在を通じて、それに触れるひとの純度まで高めてくれる。濁りのもとになるような見栄を、世界に対する不信感を洗い流してくれる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月1日
4・自分を殺さないで良かった。
コミュニケーションは「何を言うか」ではなく「どのような気持ちで言うか」の方が、多分、何億倍も大切だと思う。心のない言葉はどれだけ正論でも空疎に響くし、無様でも、心のある言葉には真実の響きが宿る。言葉はただの容れ物で、感情と合致した瞬間に『言葉は音楽になる』のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月8日
5・幸福は全体感、不幸は分離感。
その人が何をしたかで価値を決められるのであれば、何もしていない人間に生きている価値はないということになるのだろうか。そんなことはない、と思う。多分、功績と価値は別物だ。人間の功績は行動に宿るもので、人間の価値は存在に宿るものだ。更に言えば、存在とは「何よりも純真な生命の行動」だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月18日
6・自分を強く主張するほど、惨めになる。
やりたいことを見つけないといけないとか、あの人を忘れないといけないとか、自分を受け入れなければいけないとか、みんなと仲良くしなければいけないとか、常に元気でいなければいけないとか、充実した時間を過ごさないといけないとか、しなきゃいけないことなんて本当は何ひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
7・何者でもなく生きる姿勢が、自分の中心を生きる軸になる。
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。やりたいことは何もなくても「何かをやりたいと思う」瞬間は、誰のもとにも必ず訪れる。そうしたくなった、その気持ちを大切にして欲しいと思う。しなきゃ、という気持ちに負けないで欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
8・ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
元気を出さなきゃとか、明るくいなくちゃとか、やりたいことを見つけなくちゃだめだとか、そんな言葉で自分を苛めてはいけないと思う。生きる力は、ボロ雑巾のように絞り出すものではなく「溢れ出す【溢れ出てしまう】」ものだ。元気なんか出さなくていいし、みんなと仲良くする必要もない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
9・無様でも、不器用でも、愛情を表現していこう。
頭の中に「愛があれば大丈夫だ」という言葉が鳴り響き、悩んだり苦しんだり自分の未来を疑いそうになることがあったとしても、そこに愛があればきっとうまくいくのだと、そういうことを考えていた。無様でも、不器用でも、自分なりの愛情を精一杯に表現していこう。きっと、それが生きるということだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月18日
『イリュージョン』
「人間が本当に愛するものを見つけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そういうふうに導かれているんだと信じることだね。だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ」「人間は大体、目に見えるものしか信じないでしょう?たとえば、汽車の二本のレールは地平線のとこで絶対にくっついて見える。そういうふうに見えるからそう信じているけど、そうじゃないんだね。飛行機で線路の上を飛ぶと、二本のレールは、行けども行けども平行なわけだ。また、雨が降って、地上では傘をさしている。人々は頭上に太陽があることを忘れているわけだ。だけど、ひとたび飛行機で上に上がってしまえば、そこに太陽は、あるわけなんだよ」「人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドラゴンワールド(現実の、悪意に充ちた世界)なわけだ。地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、おまえはその三十億プラス一の余り物にすぎない、おまえのことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ」「どうやってそれに対抗するかといったら、やっぱり自分の歌をうたい続けることだと思うね。『うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ』かなんか言われて、それでだめになっちゃうことだってあるけど、張り倒されても、まだ歌い続けることだ。もちろん、ドラゴンワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうしようなんていうわずらいもある。それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながらでも、自分の歌だけはうたい続けるわけだ」「これからの『神』というのは、決してわれわれに信じて貰うことを要求するのではなく、結局、この世の中はひとつのゲームであって、そのゲームをできるだけエンジョイするためにわれわれは生きているんだということを認識させるために存在する、そういう形での神でしかあり得ない、と僕は思っている」
10・居場所とは、場所ではなくて人間だ。
居場所とは、場所ではなくて人間だ。何かを愛する自分の心だ。自分のことを愛してくれる何かを求めるのではなく、自分から進んで愛していける何かを見つけること。愛される前に愛することができるようになった時、きっと、そこが自分の居場所になる。 pic.twitter.com/rIlcyOOOJc
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月17日
落ち着けば、大概のことはどうにかなる。
人生はギャグだ(と思うことがあります)
坂爪圭吾さんが語る「家をなくしてわかった5つのこと」が名言すぎて涙が出る https://t.co/0AzxVlXh8e @misterspotlightさんから
— さ え か (@sssssxxe) 2016年8月16日
静かに流れる日々の美しさだ。 pic.twitter.com/m0iArxZ6Hk
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月15日
深刻さを吹き飛ばしてくれるもの。
『ベルギー近代美術の精華展』
『見てる、知ってる、考えてる』
僕が素敵だと思う大人は、自分を生きている。子供みたいに生きている。嫌なことは駄々をこねるように嫌と言い、嬉しい時は子供みたいに喜んでいる。ようするに僕はこのままでいいということ。嫌なことは駄々をこねるように嫌といい、嬉しい時には子供のまま喜ぶ。中島芭旺「見てる、知ってる、考えてる」【サンマーク出版】
落ち着けば、大概のことはどうにかなる。
毎日が深刻になりそうな時は、勇気を出して、阿呆になるのが一番です。 pic.twitter.com/ne6AUBGRwt
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月14日
頭の中を黙らせるための魔法がある。落ち着け、落ち着け、落ち着けと三回唱えながら、頭の中でぐるぐる回転していることを自分の腹に落とす。その後、静かな心でしりとりをはじめる。落ち着け。ケチるな。なるようになる。この瞬間【落ち着け。ケチるな。なるようになる】の魔法は完成する。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月25日
複雑に物事を考えることが好きなひとは、人生全般を複雑なものに変えてしまう。だけど、自分には難しいからできないと感じる大半のことは、実際は「そんなことはない」のだと思う。多くの場合、取り越し苦労をしているだけなのだと思う。難しそうに感じるほとんどのことは、実際は「難しくない」んだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月16日
生きろではなく「生きたいと思わせろ」
洞窟のオフィス【屋内から屋外へ】
崖っぷち書道【ひとりの人間が複数の仕事を持つ】
生きろではなく「生きたいと思わせろ」
コミュニケーションは「何を言うか」ではなく「どのような気持ちで言うか」の方が、多分、何億倍も大切だと思う。心のない言葉はどれだけ正論でも空疎に響くし、無様でも、心のある言葉には真実の響きが宿る。言葉はただの容れ物で、感情と合致した瞬間に『言葉は音楽になる』のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月8日
人は「もっと生きていたい」と思わせてくれるものに出会うために生きているのだと思う。もっと生きて、この目で、この心で見届けたいと思うものに出会った時に人は救われる。自分の身近にいる人たちは自分にもっと生きたいと思わせてくれる人たちだ。
— みっつ (@mitzparty) 2016年8月12日
何かをしなければいけないとか、こうでなければいけないとか、そんなことはひとつもないのだと思う。形を変えながら飛ぶ雲のように、人も、命も、留まることなく流れ続けている。何処にでも行ける、何にでもなれる。人間の想像力には翼があるんだ。 pic.twitter.com/a3hdj70Eq5
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月11日
生きているだけでいい、それ以外はおまけだよ。
無料の喫茶店最終日のテーマは「生きているだけでいい、それ以外はおまけだよ」です。 pic.twitter.com/nDCbUcZ1RP
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月6日
三日間の無料喫茶店【Envelope】を終えて。
無料の喫茶店を開かれるということで、もしよろしければ・・・と思い、お送りしました。私は編みものが好きで、小物やセーターなどを編むのですが、これを「無料でいろんな人にあげてみたい」と思ったのです。理由は、ただ単に「売ったり買ったり」するよりも、「あげる・もらう」の方が嬉しいな!と思ったからです。なので、少しなのですが、バッグとアクセサリーを送ります。バッグは、実はMAYUさん(坂爪注・MAYUとは、いばやの共同代表者です)の絵をイメージして作りました!よければ「わたりニット」?として、Cafe Envelopeの一角に置いていただけたら本当にうれしいです。今は暑いので夏素材ですが、冬にはマフラーや手袋もお送りできたらな・・・と妄想しています!暑い日が続きますが(熱海の気候はどんな感じでしょうか?)お身体に気をつけてくださいね。これからもブログ楽しみにしています!
無料の喫茶店【Envelope】の、これから。
『もたない、すてない、ためこまない。身の丈生活』
冷蔵庫があったころは、いつも庫内の使いかけの食材や賞味期限の近いものを気にして、献立を考えていました。今は、その日に食べたいものを買い、食べることができます。毎日の食事作りや買い物のストレスが減りました。冷蔵庫を手放した一番の収穫は、ありすぎることの不便さに気付けたことでした。(本文より)【主婦の友インフォス情報社】
生きているだけでいい、それ以外はおまけだよ。
人に嫌われるかもしれないとか、誰かに馬鹿にされるかもしれないとか、安定した生活を送れないかもしれないとか、自分の気持ちを理解してもらえないとか、自分には力がないとか、自分には金がないとか、自分には自信も技術も勇気も足りないとか、もう、そんなことはどうでもいいじゃないか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月6日
ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
人生も喫茶店も「なるようになる」
不安や恐怖より「衝動や喜び」
『聖なる予言』
ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
やりたいことを見つけないといけないとか、あの人を忘れないといけないとか、自分を受け入れなければいけないとか、みんなと仲良くしなければいけないとか、常に元気でいなければいけないとか、充実した時間を過ごさないといけないとか、しなきゃいけないことなんて本当は何ひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。やりたいことは何もなくても「何かをやりたいと思う」瞬間は、誰のもとにも必ず訪れる。そうしたくなった、その気持ちを大切にして欲しいと思う。しなきゃ、という気持ちに負けないで欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
どれだけ頭が良くても、どれだけ大量のお金を集めても、どれだけ豊富な武勇伝を持っていたとしても、多分、可愛げのある人間には敵わない。頑張るとか頑張らないとか、勝ち組だとか負け組だとかそんなことよりも「チャーミングであること」の方が、より一層のハッピーな日々を運んでくれるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月2日
【Cafe Envelope】優れたパティシエになる近道は美味しいケーキを食べること。まずいケーキを食べてそれが何故どうまずいか分析するのは遠回り。
飲食店をやりたいんじゃなくて、空間【無料の喫茶店】という作品を残したいのだと思う。デザインは「答え」で、アートは「問い」であると聞く。自分でもまるで良くわかっていないのだから、ひと様に説明なんてできるはずがない。ただ「説明できることではなく、説明できないこと」がやりたかったんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月2日
なぜ、無料の喫茶店【循環スタイル】なのか。
Cafe Envelope【逢初庵】
生きるために一番大切なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感があれば、多分、人間は何度でもやり直せる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
わたり文庫みたいに「誰かに無理やりにでも食べさせたい食材」を送りたい人が送ればいいと思う(* ̄∇ ̄)ノもし何も無くなったらシンプルに白湯を出して頂ければ(笑)それに、無料でもお金払うことも自由なんだし☆面白いことだけは確かだと思う。 https://t.co/xjx0mPklzo
— kaori (@kaoriPIYOMARU) 2016年8月2日
『動物たちの惑星』
美味しいケーキを食べること。
好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは意外と少ない【世界は信頼に値することを痛感する】。逆に、自分のやりたいことを押し殺して自己犠牲的になっている時ほど、周囲を負のスパイラルに巻き込むことが多い。潔い我儘は最高の美徳だと思う。 https://t.co/lPia2ajGWD
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月29日
「長所はぐんぐん伸びるから長所、短所は頑張ってもたいして伸びないから短所って言うの」
— nic (@pmelektor) 2016年8月3日
「優れたパティシエになる近道は美味しいケーキを食べること。まずいケーキを食べてそれが何故どうまずいか分析するのは遠回り」
と言われたの思い出した。 https://t.co/XUX2hYPf2Q
嫌いなひととの付き合い方とか、嫌いな仕事との付き合い方とか、嫌なことを無理をしてでも好きになるための努力論が溢れているけど、本当は『好きなひとと過ごすこと』と『好きな仕事を追求すること』の方が圧倒的に重要で、好きなことをやるのに自分を擦り減らす努力なんて要らないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月3日
【Fast alone, Far together】早く行きたければひとりで行け。遠くに行きたければみんなで行け。
絶滅危惧種は大切にされる。絶滅しろ!
ひとりの人間に大きく揺さぶられる人生。
Fast alone, Far together.
自身の実感を通じて出る言葉と、ただの噂話や受け売りから出る言葉と、言葉に宿る力がまるで異なることを感じている。他人の権威を借りた賢人であることよりも、自分のままでいる裸の愚者であることを選びたい。私は、わからないことに対して「わからない」と言えるひとの素直さが好きだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月28日
大人が無邪気だと、こどもも安心するみたいだ。いい年だからって躊躇をしないで、何度でもこどもの気持ちに戻ろう。夏の空気を胸いっぱいに吸い込んで、日が暮れることも忘れて、虫や空や大好きなあの人を追いかけよう。夏は、危険な冒険の共犯者だ。 pic.twitter.com/wxQxae3WCL
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月30日
空が綺麗だ。 pic.twitter.com/wFLY5chRSU
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月1日
自分が淹れた珈琲が世界でいちばん美味しいと思うんですと照れながら笑う女性が淹れた珈琲が、過去に飲んだ珈琲の中で本当にいちばん美味しかった。自分も、自分の文章が世界でいちばん面白いのだと思うことにしよう。そして、誉めてくれるひとがいたら「でしょ!」と答えて、一緒に笑おう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月28日
この世界に立ち向かう勇気。
清々しい敗北感のど真ん中。
敵が味方になる。
この世界に立ち向かう勇気。
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月27日
圭吾さん、こんにちわ!○○○○です
いつもブログ読ませていただいてます^ ^
圭吾さんのブログを読んだ後、あーいいなぁ〜って爽やかな風が吹くんですけど、これなんなんだろうなって考えた時ふと思った事があったのでメールを送らせてください。
今回のブログで書かれてた
与えられたこの命は、ひとつだけのこの命だけは、精一杯に生かしてやりたいと思う。そう思う時に、私は言葉を綴りたいと思う。そして、これからも言葉を綴っていきたいと思う。
この誰かのためでなく!徹底的に自分のために書かれた真っ直ぐな言葉たち
自分のために生きる姿にあーいいなぁって感じていて
誰かのために!と生きていた時の私は
あなたの為なら多少無理してもいい!自己犠牲が美しい!それが愛‼︎と思い込んでいました
それは今思えば決して楽ではなく、そんな自分を本当の意味で好きではなかったんだなと。
圭吾さんや自分のために生きる人たちの姿や言葉には、以前クレイジーハウスダラットを観た時に書かれてた
「この世の中にこうでなきゃいけないということなんて、本当は何もないのだ」
という風が私にも吹いて気持ちを楽にさせてくれる、好きなように生きていい、
それでいいのか〜っていう爽やかな風を感じるんだな…と思いました。
それで、そこから芋づるのようにつながって思ったんですけど
なんかそういう気持ちを楽にしてくれるものを見ると自分は無性に嬉しくなるんです。
そんな嬉しい気持ちの自分自身が私は好きで
自分を好きになる(満たされる?)と人に優しい気持ちになったりして
毎日生きてく中で常に前向きなんて無理で、嫌な感情も汚い思いも後悔もあるけど
その瞬間、自分を好きになって、人もまた同じように好きになれるのかなって。
誰も、私の代わりに私の命を生きることはできないけど
あなた(私)の命を生きることが私(あなた)の喜びになることはできるのかな…
なんて思いました^ ^
そんな気持ちにさせてくれた圭吾さんに大感謝です!
本当にいつもありがとうございます‼︎
私はこれからも自分を生きる喜びで爆発させていきます
長々失礼しました!
圭吾さんにとって素敵に躍り狂う日々でありますように!
ありがとうございました^ ^
生き延びることより「生きたいと思う」こと。
1・ダサい人間が感謝をされることは少ない。
これは物凄い大切なことだと思うのだけど、仕事でも家事でも人間関係でも『感謝しながらやっている人』と『感謝されたくてやっている人』の二種類がいる。感謝されたいということは「感謝させたい」ということで、支配的な欲求は受け取る側に強制な抵抗感【感謝の強制や押し付け】を与える。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月23日
2・最優先事項は「自分を楽しませること」
母親が不本意な生活のなかで苦しんでいるとき、その母親の苦しみを目撃するだけで子どもには虐待にあたるというフレーズを目にした。家族や友達や恋人には、不完全でも構わないから楽しそうに生きていて欲しい。自分を楽しませることは決して自己満足ではない、多分、最優先事項だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月24日
3・人生とは、自分との心理戦である。
明日死ぬかもしれないんだ。これを言ったら恥ずかしいとか、クサいなとか、イタいなとか、そんなことを言っている場合じゃない。自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をするということだ。湧き上がる気持ちを、勇気を、命を、出し惜しみしている場合じゃないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月19日
4・愛想笑いは「生きる力」を剥奪する。
元気を出さなきゃとか、明るくいなくちゃとか、やりたいことを見つけなくちゃだめだとか、そんな言葉で自分を苛めてはいけないと思う。生きる力は、ボロ雑巾のように絞り出すものではなく「溢れ出す【溢れ出てしまう】」ものだ。元気なんか出さなくていいし、みんなと仲良くする必要もない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
5・静けさが、知性や品性を醸成する。
言葉は風景を持たない詩ならば、
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月19日
風景は言葉を持たない詩だ。 pic.twitter.com/D8Df9yN0aX
6・好きなひとに好きだと言うために生きている。
確信!生きるということは「好きなひとに好きだということ」だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月12日
7・「自分は自分でいいのだ」と腹を据えて生きる。
何もしていない自分には価値がないと感じる時、生きているだけではいいと思えなくなる。生きているだけではダメになり、生きていることそのものが負い目になる。しかし、私達が自然を美しいと思うとき、それは「自然のままでそこにある」からだ。自然を愛するように、自分を愛したいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月15日
8・生きるために一番大切なもの。
生きるために一番大切なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感があれば、多分、人間は何度でもやり直せる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
9・過去を嘆くこともなく、未来を憂うこともない。
過去を嘆くこともなく、未来を憂うこともない。ただ、この瞬間に生きることだけを意識しているひとがいる。精一杯の感受性を開いて、風に、星に、季節の移ろいを感じている。悲しみのないひとがいるのではなく、悲しみに「いない」ひとがいるだけだ。 pic.twitter.com/qZsPMdAwIE
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月16日
10・誰も、私の代わりに「私の命を生きる」ことはできない。
就職に有利な資格を得るとか、手に職をつけるとか、収入源を増やすとか、人的なネットワークを築くとか、死なない為のスキルは頻繁に耳にするけれど「生きたいと思う為のスキル」を耳にすることは少ない。生き延びることよりも「生きたいと思う」ことの方が、多分、何億倍も大事だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月22日
踊ることさえもできなくなる日が、必ず来る。
飛行機からの景色に見惚れていた。宇宙規模で考えれば、地球それ自体が小さな宇宙船みたいなもので、この瞬間も私達は(地面を這っているように見えて)宇宙の真っ只中を漂っている。喜びは、置き去りにされた「日常」の中に隠されているみたいだ。 pic.twitter.com/rGNG2HW4Ik
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月20日
旅【生きること】と同行【従うこと】
馴れ合って足を引っ張り合うよりは、強くなった彼を見送る方がずっといい。
『夜市』
踊ることさえもできなくなる日が、必ず来る。
明日死ぬかもしれないんだ。これを言ったら恥ずかしいとか、クサいなとか、イタいなとか、そんなことを言っている場合じゃない。自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をするということだ。湧き上がる気持ちを、勇気を、命を、出し惜しみしている場合じゃないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月19日
永遠の前の一瞬。
昨夜収録した音声配信を公開しました。多分、誰もが天邪鬼な部分を持っていて、やれと言われるとやらない【やるなと言われるとやっちゃう】ものだと思う。@chiaki100410 真逆説謝謝!!https://t.co/qo0HtAq7aV https://t.co/F4dz7Z2YGd
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
元気なんか出さなくていい。
花と水の街「ホイアン」
毎日が出発で、毎日がゴールだ。 pic.twitter.com/hn0BxjJ5FS
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月18日
青空文庫「こころ」
私は冷やかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働き掛ける事ができるからです。
私が帰った時は、Kの枕元にもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭い烟で鼻を撲たれた私は、その烟の中に坐っている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来この時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても差支えないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいともいわれるでしょう。私にも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、私はむしろ私の経験を私の生命と共に葬った方が好いと思います。実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。ー 夏目漱石「こころ」【青空文庫】
永遠の前の一瞬
過去を嘆くこともなく、未来を憂うこともない。ただ、この瞬間に生きることだけを意識しているひとがいる。精一杯の感受性を開いて、風に、星に、季節の移ろいを感じている。悲しみのないひとがいるのではなく、悲しみに「いない」ひとがいるだけだ。 pic.twitter.com/qZsPMdAwIE
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月16日
元気を出さなきゃとか、明るくいなくちゃとか、やりたいことを見つけなくちゃだめだとか、そんな言葉で自分を苛めてはいけないと思う。生きる力は、ボロ雑巾のように絞り出すものではなく「溢れ出す【溢れ出てしまう】」ものだ。元気なんか出さなくていいし、みんなと仲良くする必要もない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
生きるために一番大切なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感があれば、多分、人間は何度でもやり直せる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日