【Fast alone, Far together】早く行きたければひとりで行け。遠くに行きたければみんなで行け。
熱海や辻堂や蒲田や平塚界隈を行ったり来たりしながら、怒涛の日々を過ごしていた。自分は自分の考えなり思想なり生き方のスタイルをそれなりに持っているつもりだった(「俺は俺だ」という自分軸をそれなりに持っているつもりだった)けれど、最近、これが自分だと思っていた大部分が音を立てて崩れはじめている。
ひとりの人間とひとりの人間が本気で向き合う瞬間の中には、多分、人間を別人に変えてしまう力がある。お互いに持っている魂とか生命とか呼ばれるような何かが空間に流れ出て、グチャグチャに溶けて混ざり合うからなのだろう。「これが自分だ」と思っていた部分が大きく変わろうとすることは時に恐怖にもなるけれど、同時に、生きていることの醍醐味にもなる。要するに、いま、私は恋をしている。
絶滅危惧種は大切にされる。絶滅しろ!
数年前に「いばや【とにかくやばいことだけやる】」という団体のようなものをはじめてから、今世の自分は、いわゆるまともな生活はできないだろうなと思っていた。家のない生活をしていたり、生活のためではなく生命のために生きるなどと鼻息を荒くしていた時期など、恋愛とか、就職とか、結婚とか、いわゆる「普通の生活」と呼ばれるようなものとは無縁の今世になるだろうなと思っていた。
私は、昔から「絶滅危惧種は大切にされる。だから、大切にされたければ絶滅をしなければいけない」という偏った考え方を持っている。佐渡島のトキが大切にされるのも、トキが残り一羽とかギリギリの状態にいるからこそ大切に保護される訳で、これが「100匹とか200匹とか繁殖に成功しました!」となってしまったら、おそらく、いまほど大切にはされないだろうなと思っている。
これを自分の人生にあてはめて考えてみたとき、おそらく、自分がギリギリの状態から遠ざかってある種の安定を手にした瞬間から、私は、いわゆる「退屈な人間」に成り下がってしまうのではないだろうかという謎の恐怖感がある。大切にされたければ、尋常ではない生き方を望む(人類の可能性を探求したい)のであれば、常にギリギリの状態で生きなければならないという非常に面倒臭い考え方を持っている。
ひとりの人間に大きく揺さぶられる人生。
それが、である。たったひとりの人間の登場によって、自分の人生が大きく揺さぶられているのを感じている。自分にとって重要な『何か』との出会いは、人生におけるいままでの優先順を大きく変えてしまう力がある。たとえば、私の場合は「坂爪圭吾というひとりの人間の生き方」をどこまでも深く探求してみたいと思っていたけれど、いま、その辺りが大きく変わろうとしているのを感じている。
チューリップの青春の影という曲の中に「自分の大きな夢を追うことがいままでの僕の仕事だったけど、君を大切にするそれこそがこれからの僕の生きるしるし」という歌詞がある。手放しで「自分も同じ気持ちです!」とは言えないけれど、いま、似たような心境にある。いままでの自分の人生の主語は「私は」というどこまでも個人的だったものが、いま、「私たちは」というある種の共同体的な思想に変わろうとしている。
家のない生活をはじめたのがいまから2年半前、家をいただいたのがいまから約半年前、ある程度の安定期にある中で、そろそろ「次のステージがはじまる」予感はある。どのように自分の人生が展開していくのかはわからないけれど、いま、岐路に立っていることは間違いないのだと思う。迷いの気持ちは意外と少なく、ああ、自分は変わっていくのだろうなあという不思議な静けさに包まれている。
Fast alone, Far together.
アフリカの諺に「早く行きたければひとりで行け。遠くに行きたければみんなで行け」というものがある。自分の言葉で言い換えることはできないけれど、多分、きっと、そういうことなのだろうなと思う。いままでの自分の日々は、ただ、自分のことだけを考えていればそれだけで良かった。誰の顔色も伺う必要もなく、ただ、自分の心の思うままに足を運んでいればそれだけで良かった。
自身の実感を通じて出る言葉と、ただの噂話や受け売りから出る言葉と、言葉に宿る力がまるで異なることを感じている。他人の権威を借りた賢人であることよりも、自分のままでいる裸の愚者であることを選びたい。私は、わからないことに対して「わからない」と言えるひとの素直さが好きだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月28日
その日々が悪いものだったとは思わない。ひとりでいることの中にも、ひとりでいるなりの孤独や疲労もそれなりにあって、それらは、自分を逞しく鍛える為のトレーナーとなった。ただ、である。これからも、あくまでも主語は「私【I】」というもので貫くのか、それとも「自分たち【WE】」というある種の共同体的なものへと発展させていくのか、いま、まさに分岐点に立っている感覚を覚えている。
大人が無邪気だと、こどもも安心するみたいだ。いい年だからって躊躇をしないで、何度でもこどもの気持ちに戻ろう。夏の空気を胸いっぱいに吸い込んで、日が暮れることも忘れて、虫や空や大好きなあの人を追いかけよう。夏は、危険な冒険の共犯者だ。 pic.twitter.com/wxQxae3WCL
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月30日
明日、8月2日(火)は大安の新月で、新月の夜には「(これから月が満ちていくのに掛けて)新しい何かを願ったりはじめたりするのに最適な時期」だと言われている。自分は、これからの自分の日々に何を願うのだろう。わかることは「これからのことは何もわからない」ということと、そして、どのような道を選んだとしても希望しかないということだ。熱海にある家の目の前には海が広がっていて、夏の空には大きな雲が流れている。「空があるから、私はどんな時も大丈夫だと信じられる」という、オノヨーコさんの言葉を思い出している。
空が綺麗だ。 pic.twitter.com/wFLY5chRSU
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月1日
自分が淹れた珈琲が世界でいちばん美味しいと思うんですと照れながら笑う女性が淹れた珈琲が、過去に飲んだ珈琲の中で本当にいちばん美味しかった。自分も、自分の文章が世界でいちばん面白いのだと思うことにしよう。そして、誉めてくれるひとがいたら「でしょ!」と答えて、一緒に笑おう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月28日
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