いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

馬鹿のままでいい。馬鹿のままがいい。

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岐阜県多治見のデニーズにいる。県境を超えると「うおー!」となる。今日はイエローモンキーばかりを聞いている。頻繁に思い出す歌詞に『せめて身体だけはキレイに』というものがある。野性を取り戻すだとか獣になるだとか、そういうことをテーマに日々を生きている。しかし、獣になればなろうとするほど、獣になりきれない自分を見る。美女と野獣。多分、一人の人間のなかには両面がある。獣になればなろうとするほど、自分のなかにある美しさを知る。獣のままではいられないし、美しいままでもいられない。その屹立が『人間であること』の証明だと思う。

 

 

どれだけ社会から弾き出されても、身体だけはキレイにしておきたいと思う。そう思うことで、かろうじて人間でいられる気がする。強制収容所無人島に漂着した人々の中で、生存率が高いのは『身だしなみを整え続けた人々』だったと聞く。人間であることを投げ出した時、人間は、人間以外のものになる。そういう話を昨日出会った男性にしたら、彼は言った。昔、どこにでもいるような普通の女の子と付き合っていたことがある。ある日、彼女は『せめて手だけはキレイにしておきたいと思って』と、手の手入れだけは毎日しっかりしているのだと聞かせてくれた。その話が、私にはなんだか物凄いグッときて、彼女がとてもかけがえのないものに思えた。」と。身体をキレイにすること。それは、言い換えれるならば『慈しむ』ということだ。自分自身を慈しむ。祈りにも似ている。人間的な行為だと思う。

 

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敬虔さを取り戻す。

長野県では複数の登山家と出会った。私は、登山家の雰囲気が好きだ。地に足がついている落ち着き。物腰は柔らかく穏やかだが、言葉のひとつひとつが静謐で深い。巨木と話している感覚になる。ある登山家は言った。私は山が好きだ。山に行くことで自分がひとつの生命体であることを思い出す。森林限界に足を運ぶと、こんな世界もあるのかと厳粛な気持ちになる。しかし、最近は忙しいためにあまり山を登れていない。具体的に次はあの山を登りたいと目指す気持ちもあるが、実際、大事なことは『自分の山を登れているか』どうかだと思う。と。私は、ああ、いいなあと思った。自分の山を登るということ。自分は、自分の山を登れているだろうか。その後、登山家に問われた。坂爪さんは自然が好きなように見える。では、なぜ、自然に足を運ぶのだと思いますか。

 

私はしばらく考えた。自然に足を運ぶことと、本を読むこと、音楽を聞くこと、ひとと話すことは似ている。それは『敬虔さ』を取り戻すことだ。自然の中に足を運ぶと、時折、どうしようもない感動に打ち震えて何も言葉が出てこない瞬間がある。大げさだが『神に触れた』としか形容ができないような瞬間。その時、私は敬虔さを胸に抱く。ひとと話している時も同じだ。いま、自分は魂に触れることができたと思える瞬間の中には、たまらない喜びを覚える。逆に言えば、敬虔さから遠く離れた日々を過ごすと、自分の内側に『驕り』が蓄積する。俺が、俺が、の思考にまみれて、結果つまらない人間になる。競争・優劣・比較などの相対的評価の中でしか自分自身を確認することができない、頼りない矮小な存在になる。目の前にある自然に対するリスペクトを失い、転じて、自分自身に対するリスペクトを失う。慈悲を失う。慈悲のない誇りは傲慢である。そのことを容易に忘れてしまう。

 

私は連絡先を公開している。様々な方々から連絡が届く。頻繁に感じることは「自己受容度の圧倒的低さ」で、これだけ物質的に豊かな日本で健全な自己肯定感を抱けている人間は圧倒的に少ない。なぜだろう。幼少期から、勇気をくじかれるような体験を重ねたからだろうか。なにが人間の勇気をくじくのか。なにが『そのひとが、そのひとであることを阻害する』のか。自身の無さや無価値観は、大きな何かと切り離されている感覚を生む。自然に足を運ぶと、大きな何かとのつながりを取り戻す。何かに対して敬虔な気持ちを抱くとき、自分自身もまた、同じ創造物のひとつであることを知る。自分が尊いように、他のすべても尊いのだ。そう思えた時、ひとは健全な自己肯定感を胸に抱く。が、いま、この世の中ではそれを抱くことがとても難しいことになっている(ように思う)。否、難しいと書いたが「難しいことはない」と思う。ちょっとしか考え方の切り替えで、ひとは簡単に自分【世界】を肯定することができる。では、そのスイッチはどこにあるのだろうか。

 

わたり文庫『はたらく動物と』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、金井真紀著作『はたらく動物と』です。長野県辰野町でお会いした女性Y様から「この本は素晴らしいので、友人に配るために大量に購買したのでわたり文庫にもぜひ!」とお譲りいただいたい一冊です。まだ半分しか読めていないのですが、名著の香りがぷんぷんします。Y様には、その日、辰野町名物『まつくぼ』の爆盛りソースカツ丼もご馳走していただきました。最高だったので辰野町に行く機会があれば是非。ながたの湯の回数券までいただきました。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな

 

芭蕉先生もそうおっしゃっている。

鵜ががんばってとった鮎を人間サマがかすめとる。それを、やんややんやとはやしたてる鵜舟のお客。愉快な夏の風物詩だ。でも、なぜだろう。はじめはおもしろいんだけど、だんだんかなしくなってくるのである。

 

(中略)

 

どんな人もその人にしかできない経験をしていて、その経験ゆえの物の見方や物語をもっている。わたしは、その断片を拾い集めるのが好きだ。それも教訓めいた立派なものじゃなく、すこし間が抜けているもの、にんまりできるおmの、癖のあるものにひかれる。

 

今回、拾い集めたのは、犬、ニワトリ、馬、そして鵜といったはたらく動物とその周辺に生きる人たちの物語。

 

はたして、鵜はかなしかったのか ー

 

金井真紀『はたらく動物と』【ころから】

 

馬鹿のままでいい。馬鹿のままがいい。

犬の調教師曰く「凶暴な犬も、多くの人に触ってもらうことでおとなしい犬になる」らしい。人間も同じだ。私は男で、女性と抱き合っている時にエネルギーの循環を感じる。よく「エネルギーが充電されるぅ」とか言うが、違う。エネルギーはすでにある。ただ、停滞しているだけだ。抱き合うことでエネルギーが循環する。循環の感覚をいいなと思う。愛するムラキテルミさんのブログを見たら「逆立ちをしたらハゲが治った」的な驚愕の話を聞いた。ハゲに悩む企業の社長さんが、あらゆるハゲ対策を試した結果『要するに頭に血を流せばいいのだ』と思って逆立ちをしながら読書をした結果、毛が生えた。ふさふさである。逆立ちは最高だ。踊りとかもいいのだと思う。自転車移動中、疲れた時に腕をぶんぶん振ると結構元気になる。要するに血流だ。腕も、腰も、人生も、ぶんぶん振り回していくことが大事なのだ。

 

突然だけど今月末に一緒に関東から長野県大町市に行けるひとを募集する。11月28日〜30日のどこかで、目的は「長野県大町市にある土地の件について、実際に大家さんに会って具体的なお話を聞く」というものになる。何度か足を運んだものの、大家さんも非常に忙しい所ジョージさんのような人柄であるためにまだ会えていない。が、この日程なら時間を作ってくださるとのこと。大家さんという呼称だと「堅苦しい人なのか…」って身構えちゃう部分もあるかもしれないけど、恐れるなかれ、半端なくいいひとであること間違いなしです(なんて偉そうに書いてしまって超絶ごめんなさい…!!)。日帰りでもいいし、野営道具などを持参して数日長野に滞在してもいい。理想は車で行けることなのだけれど、いま、ごちゃまぜの家に車はない。誰か「車を出すよ!」とか「レンタカー借りるからみんなでいくか!」とか、フレキシブルに対応できる方がいたらご連絡をいただけましたら超絶うれしいです。人数が集まり次第、日程や待ち合わせ場所を決めていけたらと思います。場合によっては、速攻で『森ジム』作りにはいるかもしれません(インディアンのテントを張って、焚き火をして、とりあえず暮らせるようにしたい)。

 

連絡先・坂爪圭吾

keigosakatsume@gmail.com

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これから一応名古屋に向けて自転車を漕ぐが、宿のあてもなにもない。俺はどこに行くのだろうか。一回休むと歩き出すためにエネルギーを要するが、一回、自転車を漕ぎはじめたら野生アゲインである。ゴリラみたいな顔をして自転車を漕ぐと「大概のことは、どうでもいいことだ」みたいな気持ちになる。宿がない。飯がない。金がない。仕事がない。夢がない。目標がない。友達がいない。彼女がいない。社会的信用がない。希望がない。未来が見えない。それがどうした。それがなんだっていうんだ。そんなこと、どうでもいいじゃないか。目の前に壁があるとする。壁を前に嘆くことは簡単だ。しかし、簡単なことに価値はない。壁に落書きをするのも、壁をぶち壊すことに楽しさを覚えるのも、壁をすり抜ける忍術を覚えるのも、生き方はそれぞれの自由だ。今朝、長野を出たときは小雨が降っていた。しかし、現在の岐阜は快晴である。雲間から太陽が覗く。それだけでたまらない開放感に包まれたりする。そんな単純無欠の自分を、いいな、などと思ったりする。

 

 

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俺はどこに行くんだろう。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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