【HND-仙台】センスの良い馬鹿にひとは集まる。
1・自分の心を軽く扱う人達を相手にしてはいけない。
自分の心を軽く扱う人達を相手にするほど、自分も他人の心を軽く扱うようになる。同じように、自分を大切に扱ってくれる人達と同じ時間を過ごすほど、自分も他人を大切に扱えるようになる。大切なものは大切な人達との時間であり、自分の心を軽く扱う人達を相手にしてはいけないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 12
2・「ケチ臭い考え方」を捨てる。
どれだけ多くを持っていても、何かひとつでも失うことを恐れ、必死に溜め込もうとするひとは、要するに貧しいひとだと思う。潔く、清々しく生きるためには「ケチ臭い考え方」を捨てることだ。必死に溜め込もうとする根性は、多分、人間的な卑しさを生む。気前良く与えるひとが、豊かなのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 11
3・愛情か、打算か。
結婚の動機は、愛情か打算だと聞く。これは、仕事も恋愛も創作も日常会話もツイッターの投稿ひとつとっても、あらゆることに言えるのだと思う。そして、世の中は自分が投げたものが返ってくるように作られている。愛を投げれば愛が返ってくるし、打算を投げれば打算が返ってくるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 11
4・茶室は宇宙。
岡倉天心の茶の本を読んでいたら、軽自動車のバンの後部座席を茶室に改造して、適当な寝具を積み、各種SNS等から自分の現在地と目的地を発信して、移動した先でお茶を点てながら随筆を綴る鴨長明と売茶翁のハイブリッドみたいな生き方(通称・野点カンタービレ)は面白そうだと思った。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 9
5・寂しさが溢れてくる。
こんなにさみしいはずなのに、
ひとりになりたいのはなぜだ。 pic.twitter.com/Hf5641cbwW
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 12
6・誰かといられるほど、強くない。
機嫌が悪くなるほどに、邪気の影響を受けやすくなる。相手を傷つける言葉を使うほどに、自分の心も傷つけている。思い込みを強く持つほどに、片寄った自己解釈だけの世界に閉じ籠りがちになる。疲れた時は、眠ることだ。静けさを取り戻せば、心は何度でも蘇えるように出来ているのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 14
7・優しさこそ、ほんとうの強さだ。
優しさこそ、ほんとうの強さだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 14
8・中途半端な未練を断ち切ること。
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心を入り口に扉を開けるのではなく、勇気をもって開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 8
9・北風よりも太陽になろう。
北風よりも太陽になろう。何かを強制するのではなく、自ら進んで何かをやりたくなるような、自発的な空気感を醸成していこう。多分、いま、世の中には北風が溢れ返っている。寛大な包容力を持った太陽が足りない。他人に厳しくあるためにではなく、お互いを元気づける為に使ってこその命だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 11月 13
10・センスの良い馬鹿に人は集まる。
真面目な人間ではなく、センスの良い馬鹿にひとは集まるのだと思った。「なんだこいつは!」と心の底から思えた時、それを見る人の心は自由を感じている。ひとの心を動かすものは『正しさ』よりも『楽しさ』で、根本的に人間は「楽しみたい(よろこびに触れたい)」と思っているのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 12