1・人間関係の不幸の原因の9割は過干渉(余計なお世話)
人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計なお世話)」だと思う。期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。他人の生き方にああだこうだと口を出すより、自分の日々に集中すること。周囲に期待することをやめた瞬間から、みんなが幸せになるような気がする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 19
2・神様は何も禁止なんかしていない。
あなたは自由でいいですねと言われるたびに、自由じゃないひとなんてひとりもいないと思う。仕事が嫌なひとは「嫌な仕事をする自由」を行使しているし、家族仲が悪いひとは「そういう関係性の中に自分を置く自由」を行使している。大概は『自分が望むような人生』になっているのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 19
3・宗教は答えで、哲学は問い。
最近は、宗教と哲学の違いについて考えさせられる機会が多い。私の活動(?)を見て「宗教みたいですね」と言われることがあるけれど、個人的には『宗教は答えで、哲学は問い』であるように感じている。現在の私は、答えよりも問いでありたいと思う。 https://t.co/EXZjwmdgRz
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 15
4・コミュニケーションの醍醐味は「答えを共有する」より「問いを共有する」ことの中にある。
新しい何かを目撃した時、人間の反応は「面白がって色々と尋ねる(知ろうとする)」ことと「自分が持っている知識の範囲内で理解したつもりになる(知ろうとしない)」ことの二種類に別れる。前者は問いを持っているからこそ対話が楽しめるが、後者は決めつけてくるので対話が成立しない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 26
5・静けさの中には安定がある。
香川県の豊島に来ました。 pic.twitter.com/oZ6a1vEIPD
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 19
6・人間の価値は存在に宿り、人間の功績は行動に宿る。
先日話した「前職がキツすぎて円形脱毛症が三つ出来てヒゲも生えてきた女性が、その仕事が好きだと思っていたけれど実際はしがみついていた(仕事で自分の価値を補おうとしていた)だけだと気づいた」時の話が面白かった。人間は自分の好きをごまかすと、自分の嫌いもわからなくなるらしい。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 17
7・「やりたいことをやりながら生きる」は無理なのか。
「やりたいことをやりながら生きるなんて無理だよ」的な発言を頻繁に耳にするけれど、やりたくないことをやっていても生きていくことができるならば、やりたいことをやりながら生きることは、(自分の本領も最高の熱量も発揮できることだし)実は、物凄い余裕なことなんじゃないだろうか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 16
8・大事なことは「出発する」こと。
毎日が出発で、毎日がゴールだ。。。 pic.twitter.com/nbqfC8j677
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 16
9・不完全な人間だけど、完全な自分だ。
「常に完璧でなければ誰にも受け入れてもらえない」というのは大嘘で、完璧だからひとに好かれる、完璧じゃないからひとには好かれないということは、自分が好きなひとのことを思い出せば「真っ赤な嘘だ」と、簡単に分かる。愛されるのは『晒け出された弱点(不完全な部分)』だったりする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 17
10・神は「お前は頭が固すぎる。もっと遊べ」と言っている。
21世紀の最高概念は「遊ぶ」だと思う。頑張る必要もないし、いい子(いい親)を演る必要もなければ、表現する必要も他人を蹴落とす必要もない。必死とか努力とか我慢とか、そういう類のものではない、肩の力を抜いた状態で「どれだけ遊び抜けるか」が試されている遊技場として、世界は再認識される。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 18
神は「お前は頭が固すぎる。もっと遊べ」と言っている。
人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計なお世話)」だと思う。期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。他人の生き方にああだこうだと口を出すより、自分の日々に集中すること。周囲に期待することをやめた瞬間から、みんなが幸せになるような気がする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 19