いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【HIJ-大崎上島】神は「お前は頭が固すぎる。もっと遊べ」と言っている。

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神津島を経由して広島空港に向かい、竹原港から瀬戸内海に浮かぶ大崎上島に入った。数日前、島に在住中のカルロスさんから「交通費を負担するので遊びに来てください」と声をかけてもらったことがきっかけで、生まれて初めて芸予諸島に足を運んだ。午前中は海岸で軽いピクニックをして、昼飯はお世話になった方のご自宅で手作りのピザをいただき、その後は車で島内を軽く巡りながら、権現山に登った。夕日が綺麗だった。

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その後、昼飯に広島県尾道ラーメンを食べ、夜は京都で開催されたイベントに出演してから満身創痍の状態で京都駅前の漫画喫茶で(客室の狭さに悪態をつきながら)夜を明かし、翌朝、新幹線で岡山駅まで移動をして「晴れ間」で開催されたイベントに出演し、夜は「良かったら遊びに来てください」と声をかけていただいた方と共に、倉敷の美観地区を散策しながらべらぼうに美味いおでん屋さんで夕御飯をご馳走していただき、その後、ご自宅に泊めさせてもらって爆睡をした。

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そしていま、香川県の豊島を経由して岡山県の津山に入り、昨夜は山奥にある農家民宿さんに一泊した後に、津山駅の隣にあるホテルのレストランからこの記事を更新している。非常に元気である。どんなに疲れても、寝れば元気だ。この一週間は、漫画喫茶で三回眠り、素晴らしい環境で四回眠ることができたので、結果的には勝ち越した。農家民宿の古民家から眺める星空は綺麗で、秋山の景色も素晴らしく、心穏やかな時間を過ごした。

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最近思うことあれこれをまとめます。

1・人間関係の不幸の原因の9割は過干渉(余計なお世話)


多分、他人のせいで不幸になる人間はいない。

2・神様は何も禁止なんかしていない。


私は過去に東京のはなまるうどんで「神様になる」という、非常に稀有な体験をした。そして「神は好きなように生きなさいと言っている」のだということを謎に思うようになった。往年のアイドル・川本真琴風に言えば、神様は何も禁止なんかしていない。私はまだ懲りていないし、大人じゃわからない。届かないって言われたって、このままジャンプをしていたいのだ。


3・宗教は答えで、哲学は問い。


最近は「宗教と哲学」に興味がある。現在の私の感想を乱暴にまとめると「宗教は答えで、哲学は問い」であると思っている。そして、これから(別にいまにはじまったことではないけれど)宗教や哲学がブームになるような気がしている。理湯は単純で、様々な価値観や常識が変わろうとしている中で、自分を見失うひとが大量に発生する予感がしているからだ。

4・コミュニケーションの醍醐味は「答えを共有する」より「問いを共有する」ことの中にある。


同じ答えを持つことはできないし、同じ答えを持つ必要もないとは思うけれど、同じ「問い」について考えることができているという実感の中には、嬉しさがある。多分、コミュニケーションの醍醐味は「答えを共有すること」ではなく「問いを共有する」ことの中にある。答えの共有は『強制の要素』を帯びるが、問いの共有は『連帯の要素』を帯びはじめる。

5・静けさの中には安定がある。


青色には興奮を押さえ、落ち着きを取り戻す力があるという。私は「静けさ」を持ったものが好きだ。瀬戸内の海面を揺蕩う、深い青色が綺麗だった。

6・人間の価値は存在に宿り、人間の功績は行動に宿る。


身体が異変を訴えている時、それは「何かを変える合図」なのだと思う。人間の価値と、人間の功績は別物で、何もしていない自分には何も価値がないという考え方は幻想だ。自分の価値を自分の功績で補おうとすると、多分、潰れる。

7・「やりたいことをやりながら生きる」は無理なのか。


やりたいことをやる勇気と同じくらい、やりたくないことはやらないことも勇気だと思う。やりたくないことはやらないと決めた途端、自分に言い訳ができなくなる。日々が本質的にならざるを得なくなる。やりたくないことをやりながらでも生きることができるのならば、やりたいことをやりながら生きることは、実は、物凄い余裕なことなのではないだろうか。

8・大事なことは「出発する」こと。


私は、多分、乗り物が好きなのだと思う。大型客船のデッキに吹く風を全身で浴びていると、それだけで「他には何も要らない」という気持ちになる。太陽に照らされた海面が輝いている。汽笛が鳴る。大海に向けて船が出発する。雲が流れて行く。遠くの島を眺めている。大事なことは「出発すること」なのではないだろうか、そういう気持ちになる。

9・不完全な人間だけど、完全な自分だ。


自分なりの幸福を感じる瞬間、その瞬間には「すべてが揃っている」という感覚よりも「足りていないものは何もない」という感覚がある。自分は目に余るほど不完全な人間だけれど、その不完全さが、完全に自分であるという感覚。完璧だから幸福を感じている訳ではなく、そのままでいい、そのままがいいという感覚(不完全さも含めてまるごと許容している感覚)が、自分なりの幸福に結びついているのだということを感じる。

10・神は「お前は頭が固すぎる。もっと遊べ」と言っている。


この世の中に神と呼ばれるものがいたとしたら、神は「ああしなさい」とか「こうしなさい」とか、そういう命令や強制で人間をガチガチに縛ったりはしていないと思う。基本的には「なんでもあり」で「好きにやってくれ(この世界を自由に楽しんでくれ)」と言っているのではないだろうか、悩むのが好きなら悩めばいいし、苦しむのが好きならば思う存分苦しめばいいけれど、楽しみたいと思うのならば、よろこびに触れたいと思うのならば、この瞬間から幾らでもはじめることができるのだということを、思い出させてくれる存在が神様になると思っている。

神は「お前は頭が固すぎる。もっと遊べ」と言っている。

21世紀の最高概念は「遊ぶ」だと思う。頑張る必要もないし、いい子(いい親)を演る必要もなければ、表現する必要も何かを達成する必要もない。必死とか努力とか我慢とか、そういう類のものではない、肩の力を抜いた状態で「どれだけ遊び抜けるか」が試されているテーマパークとして、これから、世界は再認識されるようになると思っている。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com