【SIN-クアラルンプール】傷つく前に傷つくな。
バトゥ洞窟にあるヒンズー教寺院に来ました。 pic.twitter.com/E8vFA0OOxT
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 3
1・真っ向から自分の意見を否定されても、それでも、自分が好きなものには好きだと言えるか。
自分を持つということは、真っ向から自分の意見を否定する人があらわれたとしても、それでもなお、自分が好きなものには好きだと言える強さだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 29
2・本来、人間の衝動は説明不可能なものだ。
自由でありたいと思うならば、自分を批判してくるひとの「批判する自由」も認めないといけない。批判に屈するでもなく、認めた上で、言うことを聞かない。ごめん、やっぱり俺はこうだわという感じで、自分の道を歩けばいいのだと思いました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 4
3・「よし、失敗してやろう。駄目になってやろう」と覚悟を決める。
うまくやろうとするから駄目なんだ。成功するためではなく「よし、失敗してやろう。駄目になってやろう」と覚悟を決める。そうすると、不思議な力が湧いてくる。駄目なら駄目で構わない。未熟なら未熟なりに、未熟なままで飛び出していく。自分を守るのではなく自分を壊す。その方が面白い。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 4
4・自分が駄目だと思う道は、自分が行きたい道なのだ。
「大丈夫?」という心配よりも「大丈夫!」という信頼をしよう。職場や家庭内で目にすることが多いけれど、多分、心配は人間の可能性に蓋をする。恐れることと注意深くあることは別物で、不安ベースの『心配』よりも、希望ベースの『信頼』を軸に行動すれば、人間は意外と大丈夫だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 3
5・駄目なら駄目でも構わない。
所詮、生まれてから死ぬまでの人生なのだ。何も持たずに真っ裸で生まれてきて、何も持たずに真っ裸で死んでいくのだから、自分の持ち物は「全部借り物」だと思う。これは自分の物であるという所有の幻想が、恐怖や執着(失うことを恐れる感情)と呼ばれるものを生み出しているのかもしれない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 2
6・傷つく前に傷つくな。
傷つく前に傷つくな。
自意識過剰を克服する ー定期的に読みたい文章 - UZ通信 http://t.co/YQrzIPSK1t
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 2
7・自分が嫌いなものではなく、自分が好きなものに使ってこそのエネルギーだ。
嫌いなひとに「あなたのことが嫌いです」と伝えることの何億倍以上、大好きなひとに「あなたのことが大好きです」と伝えることの方が、何億倍も気持ちのいいことだろう。くだらないことで大切なエネルギーを枯渇させてしまうから、愛の足りない、妙に元気のない人達が増えてしまったんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 2
8・自分を守ろうとするから弱くなる。
さみしさや怒りや悔しさに共通している感覚は「どうすることもできない自分に対する無力感」だと思う。そして、自然に触れた時や、何かに完敗すること(この人には敵わないと思える人間との出会い)の中には、不思議な喜びがある。自分に対する無力感は、時に悲しみを生み、時に喜びを生む。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 2
9・自分が嫌いなものではなく、自分が好きなものに使ってこその命だ。
嫌いなひととの付き合い方とか、嫌いな仕事との付き合い方とか、嫌なことを無理をしてでも好きになるための努力論が溢れているけど、本当は『好きなひとと過ごすこと』と『好きな仕事を追求すること』の方が圧倒的に重要で、好きなことをやるのに自分を擦り減らす努力なんて要らないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 30
10・神は賑やかな場所を好まない。ー 自分の中に静寂を養うこと。
この人でもいいかなじゃなくて、この人といたいと思える人といること。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 1
こうでなければいけないということなんて、本当は、なにひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 29