長野県の
上田市を経由して、東京都に入った。伝説のマイフレンド・みっつさんと様々な会話を交わしたので、対話形式でまとめます。
1・死ぬことは生きていること以上に気持ちが良いことかもしれない。
坂爪「みっつさん聞いてください」
みっつ「はい」
坂爪「最近、いろいろなことがわからなくなってしまったのです」
みっつ「はい」
坂爪「というのも、いままでの俺は『生きているだけでいい』って思っていたのね」
みっつ「はい」
坂爪「生きているだけでよくて、存在しているだけでよくて、有名になるとか充実した日々を過ごすとか、そういうものはおまけみたいなもので、基本的にはやりたいようにやっていればいいと思っていたのね」
みっつ「はい」
坂爪「でもね、もしかしたら、死ぬことは生きていることよりも気持ちがよいことかもしれないし、まったくそんなことはないかもしれないし、とにかく『死ぬということがどういうことかもわからない』のに、生きていることが良いとか悪いとか言えないんじゃないだろうかみたいになってきていて」
みっつ「はい」
坂爪「もちろん『生きているだけでいい』とも思うんだけど、極論、生きていなくてもいいんじゃないだろうかみたいになってきていて、自分でもわけがわからないことになってきていて、いまは『生きているだけでいい』というよりも『生きててもいい』みたいな感じになってきていて」
みっつ「はい」
坂爪「でね、いろいろなことがわからなくなってしまったので、今日はみっつさんと『坂爪圭吾の、最近わからないこと』について話せたらと思ったのです」
2・「死にたい」のではなく「死にたいと思うこの気持ちについて話がしたい」と思っている。
坂爪「でね、こういうことを言っておきながらもね、自分の意思とはまったく別のところで『生命は生きたがっている』ということも同時に感じているの」
みっつ「はい」
坂爪「なんかね、感じるんだよ。心臓は生きるためにビートを刻み続けているし、傷口も勝手に治るし、いくら自分が『死にたい』とか思っていても、腹は減るし、なんていうか肉体は生きようとしているというか、最後の瞬間まで、自分を徹底的に使い倒そうとしているというか」
みっつ「はい」
坂爪「完全燃焼しようとしている何かを感じるんだよ。そして、これは完全に余談だけど、たとえば俺は結構頻繁に『死にたい』という欲求を持つことがあるんだけど、でも、実はこれって自分の欲求を的確に捉え切れていないと思っていて、本当は『死にたいと思うこの気持ちについて、誰かと話したいと思っている』って言う方が的確だと思うのね」
みっつ「はい」
坂爪「死にたいとか言うと『死にたいとか言うな』みたいに言われてしまうけれど、でも、本当は『死にたいと思うこの気持ちについて、誰かと話したい』ということだと思うんだ。言い換えると『死ぬため』じゃなくて『生きるため』に、死にたいという言葉を使っているのだと思ったのです」
3・ブログの役割は「発信」よりも「更新」するため。
坂爪「わからないついでに話をするとね」
みっつ「はい」
坂爪「たとえば、俺はこうしてブログ記事を更新しているんだけど、読者の方々から稀に『今日も素晴らしいメッセージをありがとうございます!』って言ってもらえることがあるのね」
みっつ「はい」
坂爪「でね、正直に言うとね、俺は『メッセージを発しているつもりはない!』って思ってしまうのね」
みっつ「はい」
坂爪「俺は別に誰かに何かを伝えたいとか思っていないし、言いたいことがある(メッセージを発している)訳でもないし、たまに『どうすれば坂爪さんみたいに上手な発信をすることができますか?』とか尋ねられることがあるんだけど、そもそもで発信をしているつもりがないから、物凄い困るの」
みっつ「はい」
坂爪「何かを発信しているつもりはないんだけど、でも、自分を更新している感覚はあるの。いまの自分はこうですよ、こういうことを考えていますよということを、場に提示している感じがあるの。でもね、こういうことを言うと『それなら、わざわざ大勢が見るブログとかに書くんじゃなくて、自分しか読めない日記に書けばいいじゃないですか』とか言われることがあるんだけど」
みっつ「はい」
坂爪「違うんだよ」
みっつ「はい」
坂爪「日記とは違うんだよ」
みっつ「はい」
坂爪「でも、何が違うのかがわからないんだよ」
4・あなたとわたしは同じだけれど、あなたとわたしは同じではない。
坂爪「わからないついでに更に話すと」
みっつ「はい」
坂爪「稀に『坂爪さんのブログを読んだときに、自分と同じようなことを考えているひとがいたことにびっくりして、同じだ、ってすごい思ったんです。だから、今日は、坂爪さんから何かを教えて欲しいとか、自分の話を坂爪さんに聞いてもらいたいとか、そういうことじゃなくて、同じだって思ったあなたに会いたくて会いにきたんです』みたいなことを言ってもらえることがあって」
みっつ「はい」
坂爪「でね、一目見た瞬間に思っちゃうんだけど、俺と同じだって言うひとを見て『俺と同じだ』って思ったことが、いままでで一回もないの。正直に言えば『あなたと俺は全然違うぞ』とか思っちゃうし、『あなたと俺を一緒にしないでくれ』ってすごい思っちゃうの」
みっつ「はい」
坂爪「たとえばさ、俺は俺の考えを自分なりの言葉で、どうにかして言語化しているつもりなんだけど、それにそのまま『わたしも同じだよー!』って乗っかられてしまうと、それはずるいんじゃないのかなあって思うの」
みっつ「はい」
坂爪「少なくとも、俺は俺の感情を自分で言語化しているつもりなんだけど、そう言ってくる人は(自分では何も言語化しないで)そのまま乗っかってこようとする、その態度に違和感を覚えるというかなんというか、わかるかな、わからないよね、だって、俺もいまいちよくわかっていないんだもの」
みっつ「はい」
坂爪「全然うまく言えないんだけど、あなたとわたしは同じですと言われたときに、違う、何かが違うと確実に自分のこころが感じていることだけはわかるんだ」
5・カテゴライズをして理解したつもりになることの退屈さ。
坂爪「わからないついでに更に更に話すと」
みっつ「はい」
坂爪「たとえば、俺は『家のない生活』とかしているけど』
みっつ「はい」
坂爪「大抵の人は、すぐに俺をカテゴライズしようとしてくるのね。あ、君はホームレスなんだね、とか、君は
ニートなんだね、とか、俺のブログをイケハヤさん経由で知った人は『イケハヤ系なんだね』とか、
乙武さん経由で知った人は『
乙武系なんだね』とか、すぐに何かで括ろうとするの」
みっつ「はい」
坂爪「そういう態度を見ると、多くの人にとって、知らないことって怖いことなんだろうなあって思うの。だから、自分が知っている知識の範囲内で目の前の人間をカテゴライズして、理解したつもりになって安心するみたいなメカニズムってあると思うんだ」
みっつ「はい」
坂爪「で、謎なのが、どうして自分が知っている知識がすべてだと思うんだろうか、どうして自分が知っている知識ですべてが括れる(理解できる)などと思えるのだろうか、どうして、わからないことはわからないままにしておけないんだろうか、みたいなことを思うんだ」
6・「楽しんだ者勝ち」という違和感。
坂爪「もっと言うとね」
みっつ「はい」
坂爪「いまの世の中には『楽しまなければいけない』みたいな、謎のムードがあると思うのね。楽しんだ者勝ちみたいな言葉が俺はすごい苦手なんだけど、なんで楽しまなければいけないのかがわからないの。楽しみたいやつが勝手に楽しんでいれば、別にそれでいいと思うんだけど」
みっつ「はい」
坂爪「イベントとかに呼ばれていくと『盛り上がってますかー!』みたいな、謎のテンションで迫ってくるひとが結構いるんだけど、そういう人を見ると『俺は、俺が盛り上がりたいと思ったタイミングで勝手に自分で盛り上がるので、申し訳ありませんが放っておいてください』みたいな気持ちになるのね」
みっつ「はい」
坂爪「基本的にテンションの高いひとを見ると、ああ、この人は無理をしているなあって感じることが多いんだけど、楽しむこととテンションが高いことがイコールになっているような気がして、それって嘘だよなあって思うの。静かに楽しむひともいるし、ひとりで楽しむひともいるし、だけど、なにかこう『みんなで盛り上がっている』ことだけが楽しいみたいになっている気がすることがあって」
みっつ「はい」
坂爪「わからないことだらけなんだよ」
7・「問題だと思うから問題になる」という問題。
坂爪「この前、みっつと一緒に、
社会起業家の卵が集まるイベントにいったでしょ?」
みっつ「はい」
坂爪「あれ、ものすごくなかった?」
みっつ「はい」
坂爪「何に俺はこれほどまでにあの空間に違和感を覚えたのか考えてみたんだけど、たとえば、冒頭から『社会には解決すべき課題や問題点がたくさんあります』とか言っていたけれど、この時点で、俺は『ほんとうにそうか?』って思ってしまったのね」
みっつ「はい」
坂爪「たとえが乱暴だけど、医者が金を稼ぐために病気を増やすような感覚で、
社会起業家のひとたちは、まるで自分たちの承認欲求を満たすために(問題なんてはじめからないのに)何かを問題と思うことで問題を増やしているように見えてしまったの」
みっつ「はい」
坂爪「誤解を恐れずに言うと、勘弁してくださいって思ったの。嘘ばっかりだなあって、それなのに、嘘をつく奴ほどもてはやされているように見えて、気分が悪くなってしまったの」
みっつ「坂爪さん、途中から両手で耳を塞いでいましたね」
坂爪「うん、耳が腐りそうだった」
8・本当のターゲットは「自分自身」である。
坂爪「俺が一番衝撃的だったのが、
社会起業家のひとたちは『世のためひとのためになるようなことがしたいんです!』みたいなことを最初に言うんだけど、そのあとに『弊社のサービスのターゲットは…』とか平気で言っちゃうところなのね。世のためひとのためとか言っているひとが、平気でターゲットって言葉を使う感じにすごい違和感を覚えて、ハンティング感覚なのかなって思ったんだ」
みっつ「はい」
坂爪「多分、明確なターゲット層のイメージを持つこととか、マネタイズの仕組みを築くことっていうのは、ビジネス業界においては非常に重要なことなんだろうなとは思うのね。わからないけど。だけど、やっぱり、そういう言葉に感じてしまう違和感がすごいというかなんというか」
みっつ「はい」
坂爪「極論、ほんとうのターゲットって『自分自身』だと俺は思ったんだ。自分の心を撃ち抜くサービスとか、自分がほんとうの意味で必要としている(自分が心の底から楽しめる)モノやサービスをつくれば、勝手に周囲の人の役にも立ってしまう(面白がられる)ものだとは思うのだけれど」
みっつ「はい」
坂爪「結局、欲しいのは金なんだろうな」
みっつ「はい」
坂爪「それなら『金が欲しい』って素直に言って欲しかった。そしたら『正直でよろしい!』って思えたんだけど、金が欲しいということを、綺麗な言葉で濁しているひとたちってたくさんいるんだなあって思ったんだ」
9・わからないことをわからないままにしておけないから不安になる。
坂爪「この年になって言うことじゃないのかもしれないけど」
みっつ「はい」
坂爪「なんかさ、世の中、嘘ばっかりだなあっていまでも思うことがあって」
みっつ「はい」
坂爪「多分、嘘をつくひとも、嘘をつきたくてついているわけではなくて、嘘をつかざるを得ない状態に置かれているんだろうなあって思ったんだ」
みっつ「はい」
坂爪「でね」
みっつ「はい」
坂爪「突然だけどね」
みっつ「はい」
坂爪「俺ね、小中学校は野球部だったんだけどね」
みっつ「はい」
坂爪「前にね、弱小チームが強豪チームに10点差をつけられた(10対0で負けていた)まま、九回まで来てしまったことがあったのね」
みっつ「はい」
坂爪「そうなるとね、試合を見ている観客とかも『これは弱小チームの負けだな』みたいな感じになるんだけどね」
みっつ「はい」
坂爪「だけど、そのとき、奇跡が起きて」
みっつ「はい」
坂爪「その弱小チームが、九回ツーアウトから怒涛の追い上げを見せて、なんと、九回の表に、一気に九点を取ったの。それで、10対0で負けていたのが、10対9までなって、で、会場全体も『まじか!』ってなって、皆が『わからねえぞ!』っていう感覚に包まれたことがあったのね」
みっつ「はい」
坂爪「でね、俺は思ったんだよ。『わからねえぞ!』っていう感覚は、それに触れたひとを興奮させる力があるんだ、って。さっきまでは『これは決まりだな』とか思っていたひとたちが、一斉にわからねえぞ感に包まれたときの会場の熱気は、まじで半端ないものだったんだよ」
10・わからないことはわからないままにしておくと、楽しい。
坂爪「これって、すごい不思議な力だなと思って。たとえば、自分の将来がこれからどうなるかわからないときとか、わからないことが不安になると思うのね。だけど、野球の試合においては、わからねえぞって感覚は、会場全体を興奮させる、ものすごい楽しいものになるんだよ」
みっつ「はい」
坂爪「同じ『わからない』なのに、片方は人間を不安にさせる力を持っていて、片方は人間を興奮させる力を持っているの」
みっつ「はい」
坂爪「俺ね、いま、一番信用できる言葉って『わからない』という言葉なんじゃないだろうかって思うことがあるの。まるで、ほとんどのひとたちが『わたしたちは答えを知っていますよ』とか『あなたに必要なのはこれです』みたいなことを平気でいっちゃっている気がするんだけど」
みっつ「はい」
坂爪「でもさ、わからないって素敵な状態だと思うんだよ。自分の未来が見えないときとか、わからないことをわかろうとするとひとは不安になると思うんだけど、わからないことはわからないままにしておけば、それを楽しむことができるんじゃないだろうかって思ったんだ」
みっつ「はい」
坂爪「わからないよ」
みっつ「はい」
坂爪「わからないんだよ、だけど、この『わからねえぞ!感』が楽しいんだよ」
みっつ「はい」
坂爪「今日ね、ものすごいお世話になっているひとの案内で、
東京都庭園美術館の隣にある
自然教育園に連れていってもらったの。ここがね、すごいよかったんだ。東京にもこんなに自然が豊かな場所があるんだってことを俺はいままで何も知らなくて、きっと、こんな感じで『自分の知らない世界』はたくさんあるんだろうなと思ったんだ」
みっつ「はい」
坂爪「いまいる場所が世界のすべてではないし、自分が知っていることが知識のすべてではないし、まだまだわからないことが世の中にはたくさんあるっていう事実は、素敵なことだと思ったんだ。『わからない』ということは格好悪くて『わかっている』ことが格好良いこと、みたいな価値観って結構根強くあると思うけれど、わからないという状態をもっと歓迎してもいいんじゃないかなと思いました」
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya keigosakatsume@
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