いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

「自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ」と開き直ること。

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素晴らしい出会いは人生を肯定する。新潟で出会った何でも自分で作り出す鈴木さん(仮名)の記事が30万アクセスを超えて、多くの人々の目に触れる結果になった。実際に「鈴木さんに会ってきました!」と話す女性も現れた。鈴木さんが言う「お金は自分のために使うんじゃなくて、誰かのために使ったほうがいいってことがわかったんだ」という言葉に、胸が踊る。


最近思うことあれこれをまとめます。

1・人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計なお世話)」


愛情と執着の違いについて、考えさせられる機会が多い。ふと、愛情が「自分を使って相手を幸せにすること」であるならば、執着は「相手を使って自分を幸せにすること」ではないのだろうか、ということを思った。たとえば、会えなくて(会いたくて)震えるということは、自分の欲求を満たすために相手を使おうとしている点において、多分、執着だ。執着が行き過ぎると、あなたなしでは生きていくことはできない(自分の力だけでは生きていけない)という『依存』になる。

2・愛情の9割は「執着」


昔から、日本語の歌詞の音楽を聴きながら「これはラブソングではなくて、ただの依存の歌なんじゃないだろうか」ということを感じていた。私は1985年4月7日生まれの30歳なのだけれど、当時、SPEEDという女性四人組の音楽ユニットが歌うホワイトラブという曲の中で「あなたのために生きていきたい」という歌詞を耳にした瞬間、私は「依存だ!」と震えた。誤解されると困るが、私はSPEEDのことがいまでも非常に大好きで、自宅の裏にある畑の雑草をむしり取りながら「Go!Go!Heaven」を熱唱している。


3・「こんなものだ」に負けない。


世の中の大半は、多分、思い込みで構成されているのだと思う。たとえば「恋愛とはこういうもの」「仕事とはこういうもの」「結婚とはこういうもの」といった感じで、自分がどうしたいのかということよりも先に『謎の先入観(イメージ)』が登場して、それに沿うことができている自分はOK!(しかし、それに沿うことができていない時の自分はNG!)ということになってしまう。結果的に、テレビCMなどでよく流れている『家族全員で仲良く笑顔でシチューを食べている』ことだけが幸せ、みたいなことになってしまう。

4・自律神経失調症の原因の9割は「広告」


先日、久しぶりに東京に足を運んだ。満員電車が昔から苦手で、いまは「完全に無理!」になった。5分程度なら楽しめるが、それ以降は「今世においては必要のない修行をしている」ような感覚になる。苦手なのは、人間よりも広告だ。車内に張り巡らされている広告が、ほんとうに無理だ。あれを買え!これを買え!お前にはこれが足りない!あなたにはこれが足りない!金(カネ)!転職!ムダ毛!英語!デブ!借金!人間関係の悩み!あなたはいつまで問題を抱えているつもりですか!的な、徹底的に不足と不安を煽る常套句に晒されていたら、自律神経失調症にならない方がおかしいだろうと思った。

5・静けさを取り戻す。


都会ほど、静かになれる場所が必要だと思った。だが、多分、難しいだろう。お洒落なカフェなどは、ほぼ100%の確率で「落ち着ける場所である」ことを売りにしている。しかし、私は、カフェで落ち着けたことがない(落ち着けなくても構わない)。どうして、これほどまでに『落ち着ける』ことが売り出されているのだろうか。逆に「このカフェは落ち着けません」という『落ち着けないカフェ』などの方が、私の場合は興味を抱く。騒々しいのは苦手だが、美術館の中で素晴らしい作品と出会った時などに感じる「静かな胸のざわめき」は大好きだ。

6・笑顔が苦しい。


稀に「このひとは笑顔がつらそうだな」と思わされるひとと出会う。きっと、無理をして笑っているのだろう(いままでの人生の中で、そうせざるを得なかった日々が大量にあったのだろう)という気持ちになる。愛想笑いの最も恐ろしいところは、やがて、自分でも「愛想笑いをしている(相手ではなく自分に対して嘘をついている)」ということがわからなくなることだ。笑いたくないときには笑わないこと、笑いたいときにだけ笑うということが「自分の心に嘘をつかない」ためには、非常に大切なことであると思う。

7・深刻にならないこと。


真剣になることと、深刻になることは別物だ。自分の未来に不安を覚えたり、こうあるべきという思いに囚われてしまっている時は、思考も重く、感情も重く、身体も重く、大切な何かを見失っている。日々に大切なものは『軽やかさ』であり、悲壮感を漂わせたらアウトだ。近寄り難さに拍車がかかり、いよいよひとりぼっちになってしまう。悲劇的な日々を過ごしたいとは思わない。大切なことは「なるようになる」と開き直る(腹を括る)ことだと思う。

8・真理とは「自分がやりたいことを知っていること」


誰のために生きているのか。

9・あらゆる出来事はベストタイミングである。


聖書のなかに「神のなさることはすべて、時にかなって美しい」という言葉がある。これを乱暴に言い換えると『あらゆることはベストタイミングである』という意味になる。ひとつのことがダメになったからといって、すべてのことがダメになった訳ではない。逆に、それがダメになったからこそ、(一年前の自分が現在の自分を想像できなかったように)新しく開かれていく道もある。厳しい場合もあるけれど、あらゆる出来事はベストタイミングで起きているのだということを、疑うことをやめること。


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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、一冊ではなく三冊になります。一冊目は、NHK東海村臨界事故取材班『朽ちていった命(被爆治療83日間の記録)』です。1999年9月に茨城県東海村で起きた臨界事故により、大量の放射線を浴びた作業員の方が繰り広げる壮絶な闘いの記録です。月並みな言葉になりますが、人知及ばぬ放射線の恐ろしさに全身が震えます。

※※※ こちらの本は、千葉県にわたりました ※※※

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二冊目は三浦綾子塩狩峠』です。もしもいままでの日々の中で最も感銘を受けた小説をあげろと言われたら、私の場合は、三浦綾子の『塩狩峠』か『母』になります。私の信念(?)のひとつに「調子に乗ったら即死する」というものがある。過去に何度か死にかけた私は、この小説に出てくる「義人なし、ひとりだになし」という言葉を頻繁に思い出している。自分は偉いと思っている人間に、偉い人間はひとりもいないのだということを思う。

※※※ こちらの本は、岡山県にわたりました ※※※

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三冊目は池田晶子『人生は愉快だ』です。ご希望される方は、ブログ末尾にある連絡先より何らかの形でご連絡ください。すべてのメールに返信をすることができないために、お申し込みの段階では住所などの個人情報を記載する必要はありません。手書きの文字の素晴らしさを広めたいがために、手紙や郵便物に関しては、出来る限り時間を見繕っては返信をしていきたい所存です(あくまでも所存!)

※※※ こちらの本は、千葉県にわたりました ※※※

10・「自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ」と開き直ること。


自分はダメだと思うのが一番よくない。それよりも「自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ」と開き直っていた方が、ずっと精神衛生的にも素晴らしいと思っている。私は、この『お米粒』という表現が気に入っている。お米粒は小さい。取るに足りないほどに小さい。取るに足りないほどに小さいけれど、美味い。日本人のこころである。偉大なるひとつのお米粒が、黄金色に輝いているのだ、素晴らしいことじゃないか!(徐々にアガる)という気持ちになる。

この世の中で一番大切なことは「どれだけ心を込めたか」なのだと思う。仕事にしろ、家事にしろ、人間関係にしろ、目の前にあることに心を込めている瞬間は、誰であれ、何であれば、幸せな瞬間なのだと思う。ひとに優しくあろうとすることは、そのまま「自分が感じる幸福」になるのだと思う。

連日の雨があがり、熱海の空には太陽が顔を出した。私は、太陽のような存在でありたいと思っている。それは「闇を照らす」とか「身体を温める」とか「光り輝く」という前向きなものだけではない、場合によっては「迂闊に近づくと火傷をする」ものでもあり、根本的には『剥き出しでそこにある』だけの巨大なエネルギーの塊になる。太陽は何も見返りを求めずに私達を照らす、きっと、太陽からしてみれば照らしているつもりもないのだろう。太陽は、ただ、剥き出しでそこにあるだけだ。その清々しさに触れるたびに、坂爪圭吾という人間は「いいなあ」と思う。


人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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