【DPS-新潟】神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
1・自分が嫌いなひとにではなく、自分が好きなひとのためにエネルギーを使うこと。
自分が楽しめることを見つけること。それを周囲の人達と共有していくこと。憎むことでいつまでも誰かに縛られる日々を過ごさないこと。自分が嫌いなひとにではなく、自分が好きなひとのためにエネルギーを使うこと。自分の状態をピースフルにしておくことが、多分、勝手に平和に貢献する。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 6
2・最も身近な自然は人間。
必ずしも海や山まで足を運ばなくても、自然を味わう方法はたくさんある。花も風も空も雲も、街の中に溢れている。人工物に囲まれた暮らしをしていると装飾品ばかりに目が行ってしまうけれど、この世の中でいちばん身近な自然は、多分、人間だと思う。 pic.twitter.com/VmmFg3n2Xp
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 6
3・神のなさることはすべて、時にかなって美しい。
ひとつのことがダメになったとしても、全部がダメになった訳ではない。ひとりの人間に嫌われたからといって、全部の人間から嫌われた訳ではない。何度でもはじめればいいし、これまでも何回も目にしてきたように、奇跡的な出来事は起こる。今日はダメでも、明日もダメになる訳ではないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 5
失敗とは何だろうか。人は何を「失敗」と呼ぶのだろうか。身体を壊して寝たきりになった五年前の出来事は、自分にとって失敗だったのだろうか。確実に言えることは、現在の自分は、当時の自分をなくしては絶対に語ることができないということだ。そして、それらの出来事は「なるべくしてなった(起こるべくして起こった)」ように感じている。大袈裟な言葉で言えば、あのタイミングで神的な何かが「ここらでちょっと休んでおけ」と言ったような感じで、私をぶっ倒したのだと思う。
4・運気と行動は比例する。
最近の好きな言葉は「運気と行動は比例する」です。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 5
5・絶対的な自分に集中すること。
自分を擦り減らすような相対的な比較や競争から距離を置くこと。絶対的な自分に集中すること。偶然を偶然と思わないこと。ふとした瞬間の閃きを大切に扱うこと。目の前にある日常的な自然の奥にある、見えない何かに届くまでしっかりと寄り添うこと。 pic.twitter.com/A7emE7wo3A
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 4
6・自分の価値は、自分で決める。
誰にも好かれていない自分には価値がない。自分に価値を与えるためには、誰かに好かれる必要がある。金を生み出すことができていない自分には価値がない。正社員の自分には価値があるけれど、無職の自分には価値がない、など、自分の価値を自分以外の何かで測ろうとする態度は大嘘だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 3
7・生き様に宿る説得力は、言葉を超える。
理解を求めたり何かを説明することにエネルギーを使うよりも、自分しか行くことができない場所まで、どんどん足を進めること。理解されなくても、何も説明できなくても、いまはまだひとりきりだとしても、それでも、自分の道を進み続けること。生き様に宿る説得力は、多分、言葉を超える。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 2
8・感情は連鎖する。
美しいひとと一緒にいれば、自然に人間は美しくなる。醜いひとと一緒にいると、その醜さは感染する。職場や政府の愚痴を言ったり、常に何かに怒っているようなひとは、多分、その人自身が「醜さ」に既に汚染されてしまっている。自分の内面を維持するためにも、醜いものとは距離を置くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 11月 23
9・自分のために生きること。
家族でも恋人でも「あなたのために生きている」なんて言われたくない。そんなことよりも、自分のために生きていて欲しいと思う。完璧であることなんて望まないから、楽しそうに生きていて欲しいと思う。嫌なことを我慢しながらやるのではなく、自分のやりたいことをやっていて欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 11月 24
10・遊び疲れたこどもが眠りに落ちるように。
「やりたいことをやる」「自分の好きな人と同じ時間を過ごす」「行きたい場所に行く」こと以上に、優先するべきことはあるだろうか。自分の理想は「今日も生きた」と思って毎日眠りにつくことであり、最後の瞬間に「俺は生きた」と思いながら、こどもが眠るように、人生に幕を降ろすことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 1
天の下では、
何事にも定まった時があり、
すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神に行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
(旧約聖書 伝道書)