どのような1日でもいいから、どのような日々を過ごしたとしてもいいから、心に深く残る瞬間のど真ん中を。
1・自分を開けば、世界も開く。
バンコクのわたりカフェにお越しいただいた皆様、ありがとうございました!!こんなに来てくれるとは思わなんだ!!何かをやらなければいけないというよりも、自然に「何かをやりたくなってしまう」その姿に、可愛さは宿るのだと思いました。多謝!! pic.twitter.com/y7mvbgdqbC
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月5日
2・悪を糾弾する心も、同じように悪である。
悪を糾弾する心も同じように悪であり、多分、何かを責めているひとの心は静かでもなければ自由でもない。聖書にある「罪のない者だけが石を投げよ」にある様に、他人がした事やしなかった事を見るのではなく、ただ、自分がした事やしなかった事に集中することが「自分を整える」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月31日
3・ヘタクソなままでいいし、ヘタクソなままがいい。
自分を必要以上に大きく見せようとしないこと。同じように、自分を必要以上に卑下するような態度を選ばないこと。最低限の言葉を選んで、相手に伝わるように、ゆっくり、静かに話すこと。大切に言葉を扱えば、多分、何かを伝えることは難しくない。 https://t.co/nqYAznXSfG
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月2日
4・自分の弱さを認めた分だけ、他人に優しい人間になる。
自分の良い部分を肯定することは簡単なのに、自分のダメな部分を否定することも簡単なのに、自分のダメな部分を肯定していくことは、なぜ、こんなにも難しいことなのだろう。多分、弱さとは「自分の弱さを認められない弱さ」のことだ。自分の弱さを認めた分だけ、きっと、優しい人間になる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月2日
5・一般的な幸福に惑わされると、自分の幸福を見失ってしまう。
あんまり先のことを考え過ぎてはいけないのだと思う。一般的な幸福に惑わされると、自分の幸福を見失ってしまう。特別な人間になろうとはしなくても、ただ、自分の心が「いいな」と思える瞬間を積み重ねた先に、特別な人生は築かれていくのだと思う。 pic.twitter.com/296LieKJKA
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月2日
6・自分が溶け出していくこと。
俺が、俺が、となるほどに、世界から自分が引き剥がされていくような感覚を覚える。美しい景観を目の当たりにした時、目的もなく歩き続ける時、ひとつの何かに集中する時、自分が溶けてなくなって、世界と一体化するような感覚を覚える。自分を強く主張するほど、多分、人間は寂しくなる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月5日
7・何度でも、宝物を探しに行こう。
これが真理だ!と、まるで悟りを開いたような気持ちになっても、数日も経てばまた同じようなことを悩み始める。ひとつの答えを常に胸に抱き続けることは、人間には、とても難しいことだ。多分、答えはひとつだけじゃない。だからこそ、僕達は、生きている限り見つける楽しさを喜んで行ける。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月3日
8・無理をすることは、ガチガチの固体。
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。何かをしなければいけないという罪悪感に駆られている時間は辛いけれど、その時期を超えた先には、前よりも透明で、前よりも強い、そして、前よりも揺るぎのなくなっている自分がいるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月22日
9・同じ気持ちを分かち合う。
綺麗なものを見ると、あのひとにも見せてやりたいという気持ちになる。美味いものを食べると、あのひとにも食べさせてやりたいという気持ちになる。綺麗だねと言えば「綺麗だね」と返ってくる、同じ気持ちを分かち合える関係性は、素晴らしいものだ。 pic.twitter.com/wVgxIErkxy
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月4日
10・どのような1日でもいいから、どのような日々を過ごしたとしてもいいから、心に深く残る瞬間のど真ん中を。
やりたいことをやる、言いたいことを言う、会いたいひとに会う、行きたい場所に行くということ以上に、優先するべきことはあるだろうか。自分の理想は今日も生きたと思って毎晩眠りにつくことであり、最後の瞬間に「俺は生きた」と思いながら、こどもが眠るように、人生に幕を降ろすことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月29日