1・アドバイスの裏側にある嘘。
2・人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計な御世話)」
人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計なお世話)」だと思う。期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。他人の生き方にああだこうだと口を出すより、自分の日々に集中すること。周囲に期待することをやめた瞬間から、みんなが幸せになるような気がする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月7日
3・怒りの裏側には甘えがある。
誰かのせいで不幸になったと考える人間は、同じように、誰かの力を剥奪することで自分を幸福にしようとする。自分を苦しめているのは自分の考え方だということを考えたことがない人間は、現実が思うようにならないという幼児的な怒りを抱えていて、常に、自分が甘えられる対象を探している。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月7日
4・大阪の居酒屋にて。
自分を好きになれない代わりに、誰かを好きになろうとするひとがいる。自分のことを考えられない代わりに、職場の同僚、恋人、家族や友達のことを常に気にするひとがいる。でも、まずは、自分なのだと思う。自分の足で立たなければ、多分、真の人間関係をはじめることはできないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月23日
5・愛情か、打算か。
結婚の動機も、就職の動機も、人間関係を続ける動機も、ほとんどの動機は愛情か打算のどちらかになるのだろう。打算が悪いとは言わないけれど、自分は打算的な行動をする度に「自分が死ぬ」感覚を覚える。愛情か、打算か、これらの違いは「結果に対するコントロールがあるか否か」だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月27日
6・自信よりも「自分」
深刻にならないこと。人間の想像力には翼があって、いつでも、何処にでも自分の好きな場所に行くことができる。目の前にあることは軽くもなければ重くもない、ただ、そうであるだけに過ぎないのだと思う。大切なことは、綿毛のような「軽やかさ」だ。 pic.twitter.com/OzY4ZJ05fN
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月30日
7・対等に話がしたいだけだ。
そのひとがそのひとで在り続けるということが、こんなにも見るひとを元気付けるものなのか。他人の評価に合わせて何者かになろうとするのではなく、自分は自分でいいのだと腹を据えて生きているひととの時間は潔く、清々しい。言葉はいらないから、ただ、永遠にそのままでいて欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月9日
8・瞬間を肯定する。
不安をベースにして生きるのか、喜びをベースとして生きるのか、そのすべてを喜びに変えることは難しいとしても、でも、不安や恐怖や疑う感情に負けないで欲しいと思う。この瞬間は自分のものだということを、自分の心の中に芽生えた「やりたい」と思ったその声を、殺さないで欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月9日
9・全身全霊のカメハメ波。
無敵とは「敵がいない」ことだ。相対的な比較や競争に加わると、自分以外が敵になる。完璧主義を貫くと、不完全な自分自身が敵になる。比較をすることで優劣が生まれ、競争をすることで勝敗が生まれる。比べなければ、争わなければ、人間は無敵だ。 pic.twitter.com/GhAvkQby2B
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月2日
『現代暴力論』
いま、わたしたちは、徹底的に生きのびさせられている。原発推進派にしても反対派にしても、よりよく生きのびようとあらそっているだけのことだ。(中略)生きのびるということは、死んだように生きるのとおなじことだ。他人によって生かされるのではなく、自分の生を生きていきたい。どうしたらいいか。暴力だ、暴力しかない。ー 栗原康『現代暴力論(表紙裏の帯より引用)』【角川新書】
10・生きる力を爆発させること。
いま、この瞬間に、喜びをもってやれることを実際にやってしまうこと。自分の胸を高鳴らせるものに出逢った時は、時期を選ばず、場所を選ばず、結果に対する執着を振り払って、そのままの姿で突き進むこと。閉塞感や停滞感を突破するものは「俺はやった」時に感じる清々しさ、潔さだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月25日