【FSZ-表参道】プロの定義は「飯が食えていること」なんかではなく、食えなくとも、それで生きると決めた人間の覚悟だ。
1・「前提の違い」ー 生活のために生きるのか、生命のために生きるのか。
そんなんじゃ生きていけないよと何度も言われてきたけれど、誤解を恐れずに言えば「そこまでして(自分を殺してまででも)生きていたいとは思えない」と感じてしまう自分がいた。生活のために生きるのか、生命のために生きるのか、多分、腹を括るとは『生命のために生きる』道を選ぶ覚悟だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 6
2・真価が問われているのは「使い方」になる。
金は稼ぐよりも金の使い方の方が、健康よりも「健康な身体で何をやるか」の方が大事だと思うのだけれど、そこが語られることは少ない。本当の意味で生きるとは、自分の命を引き延ばし続けることではなく、自分の命を賭けてもいいと思えることに、自分の生命を注ぎ込むことではないだろうか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 29
3・「自分のままでは通用しない」という嘘。
何処かのタイミングで「自分のままでは通用しない」と思い込まされてしまう瞬間があって、その瞬間から自分以外の何かを外側に装着したり、自分の内側にインストールしてしまうことがあるけれど、でも、ほんとうは『自分のままでいなければ通用しない』ように世の中は出来ているのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 5
4・自分の価値は自分で決める。
誰にも好かれていない自分には価値がない。自分に価値を与えるためには、誰かに好かれる必要がある。金を生み出すことができていない自分には価値がない。正社員の自分には価値があるけれど、無職の自分には価値がない、など、自分の価値を自分以外の何かで測ろうとする態度は大嘘だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 7
5・損得勘定を超える。
このひととなら幸せになれるかもしれないというつながりよりも、このひととなら別に不幸になっても構わないと思えるつながりの方が、多分、強い。幸せなんてどうでもいい(別に不幸になっても構わない)と思っているその時に、もしかしたら、その人は幸せのど真ん中にいるのかもしれない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 3
6・「他人の批判」よりも「自分の内省」が先。
他人のことをああだこうだと言う前に、徹底的に自分に集中する。それだけで、大半の問題はなくなると思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 3
7・自分の嫌いなひとではなく、自分の好きなひとのために使ってこその命だ。
「やりたいことをやる」「自分の好きな人と同じ時間を過ごす」「行きたい場所に行く」こと以上に、優先するべきことはあるだろうか。自分の理想は「今日も生きた」と思って毎日眠りにつくことであり、最後の瞬間に「俺は生きた」と思いながら、こどもが眠るように、人生に幕を降ろすことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 2
8・何かを憎んだり、何かを恐れたり、自分が嫌いなものにエネルギーを注いでいる場合ではない。
生まれてから死ぬまでの時間ではまったく足りない、もう、何かを憎んだり、何かを恐れたり、自分が嫌いなものにエネルギーを注いでいる場合ではない、そんなことをしている時間があるのなら、そのエネルギーのすべてをこのひとに使っていたい、そんな風に思える、最高の話し相手を見つけた。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 7
9・これだけは「どうでもよくない」と思えることを、残された日々の中でしっかりと掴むこと。
人に嫌われるかもしれないとか、誰かに馬鹿にされるかもしれないとか、安定した生活を送れないかもしれないとか、自分の気持ちを理解してもらえないとか、自分には力がないとか、自分には金がないとか、自分には自信も技術も勇気も足りないとか、もう、そんなことはどうでもいいじゃないか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 1
10・プロの定義は「飯が食えていること」なんかではなく、食えなくとも、それで生きると決めた人間の覚悟だ。
プロの定義は「飯が食えていること」なんかではなく、食えなくとも、それで生きると決めた人間の覚悟だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 28
プロの定義は「飯が食えていること」なんかではなく、食えなくとも、それで生きると決めた人間の覚悟だ。