【SDJ-伊豆】「どう生きるか」よりも「生きている」とはどういうことか。(追記含む)
宮城県の広瀬川沿いで開催された芋煮会を途中で抜け出す形になり、静岡県の伊豆に向かっている。芋煮会には、驚いたことに30名程の人が駆けつけてくれた。なかには東京や岩手や山形など、この日のために県外から足を運んでくれたひともいた。
自分はダメだと思うのが一番良くない。良くないというか「自分はダメ」になる訳がないと思う。自分の存在を「良い」とか「悪い」とか、そのような次元で語ることはできない。多分、自分はダメだという声は、自分の内側からは出てこない。その声はいつも、自分の外側から聞こえているはずだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 31
私がひとりで芋煮を食べていると、ひとりの男性が「もしよかったら話しませんか」と声をかけてくれた。その後、すぐに女性の二人組が「私たちも混ざっていいですか」と我々にジョインし、徐々に人が集まり、最終的には八人くらいの小さな人の輪ができた。そこで話したことなどをまとめます。
1・「どう生きるか」よりも「生きているとはどういうことか」
坂爪「これは軽い悩み相談みたいになるのですが、最近の私の興味は『どう生きるか』よりも『生きているとはそもそもでどういうことなのかか』ということなのですが」
参加者の皆様「はい」
坂爪「最近は哲学者(?)の池田晶子さんの著作を読み耽っておりまして、その影響を多大に受けている訳になるのですが、『どう生きるか』ということが最近では結構どうでもよくなっていて、そんなことよりも『生きているとはそもそもでどういうことか』がわからなければ、どう生きるかなんてことは語れないのではないだろうか、と」
参加者の皆様「はい」
坂爪「それで、私にとって『生きているとはどういうことか』ということを最近では頻繁に考えているのですが、考えてもまったくわからないのです。なので、もしよかったら、皆様にとって『生きているとはどういうことか』というのを教えてもらえたら嬉しいなあと思って」
2・生きているとは「呼吸をしている」こと。
坂爪「同じような質問を別の場所でした時に、その人は20代の女性だったのですが、彼女は『呼吸をしていること』だと答えてくれました」
参加者の皆様「なるほど」
坂爪「うん。わたしも『それはそうだなあ』と思いました。呼吸は自分でコントロールすることもできるし、無意識の内に勝手にやっている部分もあるし、丹田呼吸とかにも詳しいひとで、そもそもで呼吸をしている状態ってすごい面白いですよねという話で盛り上がったのですが、彼女にとって、生きているということは『呼吸をしている』ということなのだ、と話してくれました」
参加者の皆様「確かに、生きている限り呼吸をしていますもんね」
坂爪「そうですよね、だから私も『そうだなあ(ほんとうにそうだなあ)』と思いました。同じ質問なのに、答えるひとによって回答が全然異なるのが面白くて、それ以来、私は隙あらばこの質問を投げかけるちょっと怪しい存在に最近ではなっているのです」
3・生きているとは「無心になる」こと。
坂爪「また別の場所では、大学生の男の子に同じ質問をしてみたのですが、彼曰く、生きているなあと感じる瞬間は『無心になること』だと答えてくれました」
参加者の皆様「無心ですか」
坂爪「この男の子は、サッカーやマラソンが大好きな男の子なのですが、走っている瞬間には無心になることができるそうで、その瞬間がたまらなく良いのだそうです。そして、そういう瞬間に『自分は生きているなあ』と感じるのだそうです」
参加者の皆様「なるほど」
坂爪「無心になれる瞬間のよろこびはものすごいわかるのですが、それでは、無心になっていない状態は『生きていないのか』ということになるのですが、そういう訳でもなく、生きているという点においては同じなのではないだろうか、なんて風に私は思ってしまうタイプの人間なので、またしても別の場所で同じ質問を投げかける日々は続きました」
4・生きているということは「夢を見ている」こと。
坂爪「また別の場所では、伝説のマイフレンド・みっつさんに同じ質問をしたのですが、みっつさんは『夢を見ていること』だと話してくれました」
参加者の皆様「おー!」
坂爪「これはまた面白い見解だな!と思って軽い感動を覚えていたのですが、私がみっつの話を聞くよりも先に自分の話をしてしまったために、みっつがどのような意味を込めてこのようなことを言ったのか、ということは謎のままです」
参加者の皆様「はい」
坂爪「そこで、気持ち悪いかもしれませんが、私はいまだに『生きているとはどういうことやねん!』という状態に置かれておりまして、隙あらば千と千尋の神隠しのメインテーマであるいつも何度でもの『生きている不思議〜🎵死んでいく不思議〜🎵』の部分だけをひたすら口ずさんでしまう日々を過ごしているために、もしよかったら(あなたにとっての『生きているとはどういうことか』を)教えていただけたら嬉しいのです」
5・生きているとは「繋いでいく」こと。
Aさん(女性)「あ、いいですか」
坂爪「はい」
Aさん「私にとっては、生きているということは『繋いでいくこと』なのかなって思いました」
坂爪「おー!繋いでいくこと!」
坂爪「はい」
Aさん「なんか、わかるなあ、と言うか。私の中にも『自分を何かに繋げていきたい』というような思いが芽生えることもあって、だから、坂爪さんの話を聞きながら、自分にとっての生きているということは『繋げていくこと』なんじゃないのかなって思いました」
6・生きているとは「感じることができる」こと。
別の女性(Bさん)「私にとっては、生きているっていうのは『感じる』ことなのかなって思いました」
坂爪「おー!感じること!」
Bさん「はい。嬉しいとか楽しいとかだけじゃなくて、悲しいとか苦しいとか、そういうものも全部ひっくるめて『感じる』ことが、生きているということなのかなって」
坂爪「それはすごいわかります」
Bさん「ありがとうございます」
坂爪「私も、いままではその感覚と非常に近いものを覚えていて、生きているのはいまだけで、喜怒哀楽を感じることができるのはいまだけなのだから、それならば『いまをしっかりと生きよう(様々な感情を経験しよう)』という風に思っていたのですが」
Bさん「はい」
坂爪「実は、いま、そこのところがちょっとわからなくなっているのです」
7・生きているとは「いま、ある」ということ。
別の女性(Cさん)「私にとっては、生きているということは『いま、ある』ということなのかなと思っています」
坂爪「おー!いま、あるということ!」
Cさん「はい。前に坂爪さんのブログで『死にたいとか言うと死にたいとか言うなと言われてしまうけれど、本当は《死にたいと思うこの気持ちについて、誰かと話がしたい》だけなんじゃないのか』みたいなことが書いてあって、それ、すごいわかるなあと思ったのですが」
坂爪「ありがとうございます」
Cさん「なんだろう、私も、昔から結構『死にたい』とか思うことはあったのですが、こういう感覚を話せるひとというのはあまり多くなくて、それに苦しんだりしたこともあったのですが」
坂爪「はい」
Cさん「生きているなかで、常に何かを感じている訳でもないと思うんです。だけど、何も感じていないからといって『生きていない』という訳でもなくて、ただ、自分がいまここにあるというだけで、それは生きていると言えるんじゃないのかなって思いました」
8・生きているとは「死んでいない」ということ。
坂爪「これは別に答えがあるとかそういう種類の話とかではないと思うし、別に答えを出したくて話しているというよりも『話しているという、まさにそのことが楽しい』から話しているだけなのですが、いろいろな考えを聞けて面白いです」
参加者の皆様「はい」
坂爪「私も、いままでは『生きているとは感じることができることだ』という風に思い込んでいて、それからは、どう生きるかということだけを考えるようになってしまっておりまして」
参加者の皆様「はい」
坂爪「ただ、ここで一旦冷静になって考えて見ると、生きているとは感じることができるということならば、生きていないということは感じることができないということで、生きていないということは死んでいるということであり、ここで『死んでいるということは感じることができない状態である』という前提に自分が立っているなあということに気がついたのですが」
参加者の皆様「はい」
坂爪「でも、冷静になって考えてみると、当たり前のことですが自分はまだ死んだことがないので、死んだらどうなるのかということを何も知らないな、と。死んだら感じることができないというのもほんとうかどうかはわからないし、もしかしたら死んだ直後に死ぬほど多感になるかもしれないし、感覚は存在し続けるかもしれないし、あるいは、見事に消えてなくなるかもしれない。そこんところを、自分は何もわからないし、わかりようがないではないか、ということがわかったのです」
9・生きているとは「誰かの心の中で生きている」ということ。
坂爪「同じような話を別の場所でしていた時に、そこで話していたひとが『ぼくは、自分が死んでも誰かの心の中で自分が生きていれば、それは生きていることになると思うんです』と話してくれたのですが」
参加者の皆様「はい」
坂爪「それはわかるなあ、と。わかるというか、そういう状態ってすごいいいよね、みたいなことを思いました」
参加者の皆様「はい」
坂爪「誰かが、ふとした瞬間に『あのひとは元気にしているかな』みたいな感じで、自分のことを思い出してくれる。この瞬間にはある種のあたたかみを覚えることができるし、たとえ自分がいなくなったとしても、自分を思い出すことでその人自身の内側から『生きるエネルギー』のようなものが湧き出してくれるものであれば、それは、自分は『善い人生』を生きたのではないだろうか、ということは私もすごい思うのですが」
参加者の皆様「はい」
坂爪「それでは、自分のことを思い出すひとがいなくなったら、自分は死んでしまうのだろうか。自分のことを知っているひとが誰もいなくなった瞬間に、自分の生命と呼ばれるようなものも、なくなってしまうのか。それとも、誰も自分のことなど覚えていないとしても、自分の何たるかは、引き続き残り続けるものなのだろうか。それとも、そもそもで自分が寿命を迎えた瞬間に、ひとのこころの中で生き続けるということなども別になくて、自分は死んでしまっているのだろうか、などなど」
参加者の皆様「はい」
坂爪「別に人生に絶望しているとか、虚無感に襲われているとかでは全然なくて、真逆で、生きている不思議とか死んでいく不思議がいまは物凄く面白いものに思えていて、ああでもない、こうでもない、などとひとりで思考を巡らせているのです」
10・生きているとは「生きていると思っている」こと。
参加者の皆様「この前のブログ記事に登場した、ヒッチハイクのひとですよね」
坂爪「はい。そうです。私はとおるくんの感性というか直感のようなものを非常に尊敬しているのですが、とおるくんにも同じ質問をしてみたのです」
参加者の皆様「はい」
坂爪「そしたら、とおるくんは『生きていると思っていること』だと思いますって答えてくれまして、うまく言えないのですが、その言葉に(大袈裟な表現ではありますが)真実の響きを感じたといいますか、なんといいますか」
参加者の皆様「なるほど」
坂爪「真実の響きを感じただけで、いまだに生きているということのなんたるかは謎のベールに包まれているのですが、いま、こうしてここで皆様と話ができているのは『生きているから』に他ならず、なんといいますか、いままで当たり前のこととされてきてあまり深く考えられることのなかった『生きているということ』は、実は、ものすごい面白いことなんじゃないだろうか、みたいなことを感じています」
参加者の皆様「いろいろな考えが聞けるのは面白いですね」
坂爪「ほんとうにそう思います」
参加者の皆様「坂爪さんのブログを読んでいると『このひとは生きているなあ』ということをすごい感じるのですが、ご本人としては、あまりそういう感覚はないのですか?」
坂爪「うーん、どうなんだろう。いままでは『感動を味わうために生きている』というような考え方をしていたのですが、これは、言い換えると『いまはまだ感動をしていない』ということになってしまうと思います」
参加者の皆様「はい」
坂爪「うまく言語化することができないのですが、いままでは『感動を味わうために生きている(いまの自分は感動の外側にいる)』のだとしたら、いまは『感動のど真ん中を生きている(感動の内側にいる)』みたいに感じるようになりました。これは自分はすごいとかそういうことではなくて、真逆で、生きているという不思議について思いを馳せれば、実は誰もが感動のど真ん中を生きているということになるのではないだろうか、みたいなことを感じています」
参加者の皆様「すごい領域ですね」
坂爪「いえ、全然すごいことだとは思いません。いままで、私は『常識を破壊する』みたいな言葉を好んで使用したり、事実、そのように外部の方々からも取り上げられることが多かったのですが、いまでは『常識は破壊するものではなくて発見するものである』ということを思うようになりました」
参加者の皆様「破壊ではなく発見ですか」
坂爪「これはまたうまい言葉を見つけてからしっかり話せたらと思うのですが、たとえば生きているというをひとつとってみても、当たり前過ぎて誰も話題にしないと思います。しかし、よくよく考えてみると、この『当たり前こそ実際はやばい』ということを痛感する瞬間があって、ああ、自分が当たり前だと思っていたこの世界は、実は、半端なく半端ないんだなあみたいな、ある種の感動に包まれたりするのです」
参加者の皆様「なるほど」
坂爪「常識は破壊するものではなくて発見するものである、というのが最近の発見です。これは池田晶子さんの影響も多大に受けてしまっているために、これからの私がどうなっていくのかとか、見守っていただけたら幸いです。そして、またこういう話を皆様と一緒にできたらいいなあと思います。では!!」
人生は続く。
【追記】このブログ記事を読んでくれた読者の方から「これだよ、これなんだよ」と思わせてくれる一通のメールが届いた。あまりにも素晴らしい内容を含んでいたので、こちらでご紹介させていただきます。
今日のブログの記事、すごく感動しました!!
それだけお伝えしたくてメールします。
最近の記事に、すごいな、すごいな~と思いながら拝読してましたが、
今日は特にずばーんときました!!
まあ私が坂爪さんにメールする時って、気分よくウチで酔っぱらってる時なので、迷惑極まりないメールなのですが(苦笑)。
いつもは素面でブログ拝読して感動してます!
私は生きていて本当に辛かった時期をなんとか乗り越えた後、
自分は、海や空が美しいのと同じように、美しいのだ、という言葉を、自分の中に、杭のように打ち立てました。
自分という存在が、頼りなく流されそうな時、その言葉は拠り所になってくれました。
私達は美しいのです。
空や海のように。
生きていることに意味を求める必要なんて、ないような気がします。
空や海に意味を求める必要がないように。
酔わないとこんな恥ずかしいことは言えませんね。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
よい旅を!!
坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
SCHEDULE:http://goo.gl/u1glhB
TEL:07055527106 or 08037252314
LINE:ibaya keigosakatsume@gmail.com