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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

【DMK-ドンムアン空港】「自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ」と開き直ろう。

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バリを経由してバンコクで二泊三日の日々を過ごし、いま、ドンムアン空港からこの記事を更新している。時刻は午前の二時を回った辺りで、今日はこのまま空港に泊まる。バンコク最終日の今日は、バンコク在住の日本人女性の招待により、集まってくれたメンバーの方々と非常に素晴らしい時間を過ごすことができた。


主催の女性の方の瞳は物凄い輝きを帯びていた。だからなのか、主催の女性が声をかけて集まってくれた人達も、皆、一様に優しい方々ばかりだった。様々なことを話を聞き、様々なことを話し、そして、様々なことを感じた。備忘録も兼ねて、その場で話したことなどをまとめます。

1・探す前から「ありません」と断言するタイ人。

主催の女性曰く「タイの人のゆるさは半端なくて、服屋さんなどで『他のサイズはありますか?』って尋ねても、探す前から『マイミー(ありません)』って平気で断言をしたりします。それで、自分で探してみたら普通に置いてあったりするのですが、もう、みんなすぐに『マイミー、マイミー』言うから最初は『探せよ!』って苛立つこともあったのだけれど、いまでは、それが普通になりました」

バンコクのタクシードライバーは運転中も平気で友人と電話をするし、売店の定員だけに限らず、ゾウ遣いの男性も待機時間はゾウの上でひたすらスマホをいじったり、美術館の監視員みたいな人は作品が並ぶ展示場で普通にハンバーガーを食べているし、空港にある両替所の女性は、おそらく自分で用意したのであろうブランケットをバッチリかけた状態で、椅子を並べて横になって眠っていたりする。

何もかもがきちんとしている日本から見たら「けしからん!」のオンパレードだと思う。それがタイだ。しかし、どちらの生活がストレスフルな日々になるだろうか、みたいなことを考えると、正解がわからなくなる。この数日間で、私は「急いでいるタイ人」というものを見ることがなかった。

2・高校生の女の子曰く「怒っているのは日本人だけ」

食事会には、タイのインターナショナルスクールに通う高校二年生の女の子も来てくれた。自分が体験してきた幾つものエピソードなどを、非常に生き生きとした『潤いのある声』で話してくれる、まるで、その場にいるだけでも周囲が明るくなってしまうような、そんな女の子だった。

彼女曰く「私の学校には様々な国の生徒がいるのですが、待ち合わせ時間が9時だとすると、日本人は10分くらい前には全員が集まっています。9時になっても他の国の生徒はまだ来てなくて、10分くらいしてから、まず、タイ人の生徒たちがゆっくりと集まってきます。この時点で日本人は『既に10分待っているんですけど』みたいな感じでイライラしはじめていて、でも、まだ全員は集まっていません」

「9時半頃になって、ようやく韓国人の生徒たちが集まってきます。その頃には日本人のフラストレーションも爆発寸前でぷんすかしているのですが、韓国人は『大丈夫!大丈夫!』みたいな感じで、何事もなかったかのように過ぎ去っていきます。だから、結局、怒っているのは日本人だけなんです

3・中学生の男の子曰く「日本の教育は家畜を育てる」

食事会には中学生の男の子も来てくれた。中学生一年生とは思えないほどに、自分の意見をビシバシと述べることができる、非常に格好いい男の子だった。彼曰く「日本の教育は、僕には、家畜を育てているような感じがします。首輪をつけて色々な自由を奪って、そうした状態の中で『(上の人間にとって)都合のいい教育』という名前のエサを与えて、食べ頃になったら社会に出る(社会人になる)」

繰り返しになるけれど、この言葉は、中学一年生の男の子の口から発された。私は「すげーな!」と思った。そして、ほんとうにその通りかもしれないと思った。彼曰く「日本の常識が世界の常識とは限らないのに、まるでそれしかないように教えるのはおかしいと思う。出過ぎれば打たれるし、出来なさ過ぎても打たれるし、何事もほどほどでなければいけないだなんて、やっぱりおかしいと思います」

4・「若いのにすごいね!」はNGワード

こういう話を中学生の男の子がすると、どうしても「君は若いのにすごいね!」とか「僕が君くらいの年齢の時は何も考えていなかったよ」とか「自分の考えを持っていて偉いね!」みたいな事を言う大人が出てくる。もちろん、大人側にも悪気はないのだけれど、多分、これはNGワードだと思う。

よほどのバカでない限り、褒められたくて自分の意見を言っている訳ではない。少なくとも、私から見た中学生の男の子は『意見を交わしたい』と思っているように見えた。「自分はこう思うのだけれど、あなたはどう思うか」みたいな意見を交わしたいと思っている人に対して、君は若いのにすごいねという反応を返すのは、上から目線(相手にしていない)という印象を相手に与えてしまう場合が多い。

大人がこどもに対して、上から目線で物事を話すとき、多分、こどもには何も響かない。ただ、反発のエネルギーを生むだけだ。私は、年齢に関係なく「ひとりの人間として」接することが大事であるように感じた。そして、非常に当たり前のことだけれど(そして、実際にこれができていない人が本当に多い)『人の話は最後までちゃんと聞くこと』が、コミュニケーションでは大切になると思った。

5・他人にアドバイスを出来るほど立派な人間はいない。

誤解を恐れずに言うと、私は「何かあるとすぐにアドバイスをしたがる人」のことが得意ではない。アドバイスは求められた時にするものであって、日常的な会話の中では(これまた)上から目線の印象を与えてしまう結果になる。そして、当たり前のことだけれど、完全な人間はいない。多分、この世界には他人にアドバイスを出来るほど完璧な人間は、ひとりもいないのだと思う。

重要なのは「言葉」よりも「生き様」だと思う。口先ではどれだけ綺麗な言葉を吐いていても、まるでその人自身の生き方に反映されていなければ、これは詐欺師と同じである。多分、言葉よりも生き様の方が、それを見た人に(良くも悪くも)強烈なメッセージを発してしまっているものだと思う。

6・「あなたは大丈夫である」というメッセージ。


話題は子育てのことになり、私は、自分の経験を交えながら「あなたは大丈夫である」というメッセージの重要性について感じていることを話した。というのも、私から見ると、いまの世の中はあまりにも『あなたは大丈夫じゃない』というメッセージが溢れまくっていると感じる機会が多いからだ。

「こうしなさい」とか「これをしてはいけません」という命令の背後には、どうしても「あなたを信頼していません」というメッセージが含まれる。あなたは放っておくと何をしでかすかわからないから、私の言う通りにやりなさいというコントロールが発生する。しかし、あまりにも長い間このようなメッセージを浴び続けていると、言われた側の人間は『自分の決断を信じる』ことができなくなる。


7・ダウン症の女の子から受けた感動。

この日、食事会には中学生の女の子・めぐちゃん(仮名)も来てくれた。お母さんと一緒に来てくれためぐちゃんはダウン症で、一目見た瞬間に私は「かわいい…!」と思った。うまく言葉にすることができないのだけれど、何かこうめぐちゃんの周辺には『そこはかとない天使感』が漂っている気がした。

お母さん曰く「ダウン症のこどもは、私から見るとすごい省エネに感じるんです。無駄に怒ったり、無駄に喋ったり、無駄に競い合ったりすることはなくて、基本的には物凄い平和的で、日常的にも言葉だけではないノンバーバルなコミュニケーションのやりとりも交わすことが多いんですよ」

私は、めぐちゃんの何にこれほど惹かれているのだろうかと考えて、あ、これだ、と思った。それは主催の女性にも感じた魅力と同じものであり、それは「瞳の輝き」だった。主催の女性にも、めぐちゃんにも、共通した魅力がある。それは『瞳の輝きに現れるその人自身の人間性』だと私は思った。

8・誰かが苦しむ姿を差し置いてまで、優先すべき話題などない。

そして、この日、一番感動的な出来事が起こった。全体の話題が「いまの日本はここがおかしいよね」みたいなものになってしまったとき、ふと見ると、めぐちゃんの身体が少しだけ震えはじめ、お母さんが「どうしたの?」と尋ねると、めぐちゃんの瞳から涙が零れて、そして、めぐちゃんはお母さんに抱きついた。

詳細は省略するが「ここがいけない」「これがおかしい」「ここが間違っている」という話題には、どうしても目には見えない攻撃性が宿る。空気全体が張り詰めて、きっと、毒気を帯びてしまっていたのだと思う。それを敏感に察知しためぐちゃんが、自分の両耳を塞ぎながら、言葉にならない悲鳴をあげて、涙が溢れ、そして、「もうやめて!」と叫びながらお母さんに抱きついているように見えた。

まだまだ話題は続きそうになったが、誰かが苦しむ姿を差し置いてまで、優先するべき話題はないと思った。そして、話題は「坂爪圭吾がビリーズブートキャンプで軽やかに三ヶ月で15キロ痩せた話」へと移行した。苦し紛れだった感は否めない雰囲気になったけれど、これでよかったのだ、とも思った。

9・喧嘩をするためではなく、仲良く暮らすために生きている。

私たちは、恋人や家族や職場の人間について、そして、日本の政治家などについて、頻繁に批判めいた言葉を吐いたり、不平や不満を口にする。なぜそうするのか、それは「お互いにうまくやっていきたいから」であり、決して喧嘩をするためではなく、お互いに仲良く暮らすために生きているのだと思う。

いまでは、この「お互いにうまくやっていくため」という目的が、忘れ去られてしまっているような印象を覚える。誰だって、お互いにいがみ合うことにエネルギーを使うよりも、お互いにうまくやるためにエネルギーを使いたいと思うはずだ。互いに争うために生まれてきた訳ではなく、たとえ分かり合えないとしても、相互理解を深めつつ、お互いにうまくやっていくために生きているのだと思う。

喧嘩が目的になってしまっては、とてもじゃないけれど多様性のある社会の実現なんて、程遠い。口論をするのも、批判をするのも、不平や不満を口にするのも、すべては「お互いにうまくやっていくため」という目的が根底に流れているということを、忘れる度に思い出して行きたいと思った。

10・「自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ」と開き直ろう。


偉大なる黄金色のお米粒については、過去にも頻繁に書いてきてしまっているために、すでに飽きられてしまっているかもしれない。しかし、それでもなお、何度でも言葉にしていきたい内容だと思っている。周囲の人間に限った話ではなく、自分と喧嘩をするために生まれてきたのではなく、自分と仲良く暮らしていくために生まれてきたのであり、自分との関係も人間関係になる

多分、人生はどうにかなる。自分が大丈夫だと思えば、基本的なことは大丈夫であり、自分が大丈夫じゃないと思ってしまえば、大丈夫なものでさえ『大丈夫じゃない』ことになってしまう。自分を責めることが一番良くない。塞ぎ米ば(塞ぎ込めば)世界は閉じるし、開き直れば世界はひらく。

それならば、自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだと開き直る方が、精神にも身体にも絶対に優しい。自分や周囲の人間を否定するために使っていたエネルギーを、自分や周囲の人間を肯定するために使い始めた時に、きっと、世界はより良い形で回りはじめていくのだろう。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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