【KMI-高千穂】自分の外側にある正解に自分を合わせる生き方は終わりで、必要なのは「自分が正解になる」という気概だ。
宮崎でのイベントが終了した。誤解を恐れずに言えば、私は他人にアドバイスをしたがる人間も、他人にアドバイスを求めたがる人間も、あまり得意ではないのだということをはっきりと自覚した。これからはイベント出演の予定もないので、自分の日々は次の段階に突入するのだろうと感じている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 16
@KeigoSakatsume これ似た経験あります。私の場合は土の無料配布で入れ物は各自持参スタイルだったのですが、入れ物は大小様々でした。大きな入れ物(トラック)を持ってくる人ほどクレームが多かったです。幸せの基準がどこなのか表情からも理解できて勉強になりました。
— peanut (@nekonosanpo3) 2015, 5月 18
自分の外側にある正解に自分を合わせる生き方は終わりで、必要なのは「自分が正解になる」という気概だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 17
どちらの道が損か得か、有利か不利か、そんな基準ばかりで物事を選んでいると、人間味なんて簡単に喪失してしまう。私は「どうすれば有利に生きていけるか」よりも「どうすれば生きている実感を得られるか」という話がしたい。損得勘定を突き詰めた先に、生きている実感があるとは思えない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 17
認められたいと思ってやることよりも、認められなくても構わないと思ってやることの中にこそ、魅力は宿る。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 18
自分を大事にしようとするから、自分が傷つかないように無難な選択ばかりを繰り返し、結果としてほんとうは開きたがっている生命の種を「安全な生活」によって捻り潰してしまう。現代社会は別に本気なんて出さなくても生きていけるからこそ、本気を出せないことが生命の実感を遠ざけている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 18
完璧を目指すのではなく、未熟なら未熟なりに、未熟なままで飛び出していく。自分を良く見せようとするのではなく、かと言って縮こまってしまうでもなく、未熟な自分をありのままに受け入れて「未熟なままでもいいじゃないか」と自分を打ち出して前に進もうとする人間は、最高に魅力的だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 18