いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

【KHH-台中】幸せの中にも辛さがあり、大切なものは「大きな切なさ」を内包している。

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台湾の高雄まで逃げてきた。LCCを使えば(安い時期なら)片道5000円程度で海外に行ける。素晴らしい時代になったと思う。高雄では世界一美しい駅(?)でお馴染みの美麗島のステンドグラスを見た後に、夜市で食事を済ませて愛河のほとりを歩いたりしていた。そしていま、台南を経由して台中のホテルにあるテラスからブログを更新している。

1・「潤い」と「乾き」


年齢を重ねるごとに、自分の中の「好き嫌い」が明確になってくる。私は「乾いたひと」といるのが苦手で、「潤っているひと」と過ごすのが好きなのだと思った。乾いている人と同じ時間を過ごすのは苦痛で、顔を見ることもできない。潤っている人と同じ時間を過ごしていると、こちらまで浄化されていくような思いがする。

2・自分が自分であることを誇る。


この前の月曜日に、王子駅界隈の会場で開催されたトークセッションに登壇した。テーマは『バカ正直に生きる』というもので、私なりにバカ正直という言葉を翻訳しようと考えていたら、最初に『死ぬことを厭わないこと』というワードが浮かんだ。しかし、あまりにも大袈裟な言葉になってしまうので、もう少しライトな言葉はないだろうかと考えていたら『自分が自分であることを誇る』というワードが思い浮かんで、しっくりきた。

自分には(良くも悪くも)この身体しかない。それならば、未熟なら未熟なりに、未熟なままで飛び出して行く。自分以外の何者かになろうとするのではなく、こんな人間がひとりくらいいてもいいだろうと、自分自身を笑っていたい。もちろん、笑えないときもある。だけど、基本的には笑っていたい。自分も世界も肯定していきたい。過去に音楽や自然やユーモアによって自分が肯定されたように、自分も肯定していきたい。

3・奇跡は余白に舞い込む。


今月から、いままで続けてきた幾つものことを手放していく。いままでの自分がオープンなものだったとすれば、これからの自分はクローズドなものになっていく感覚を覚えている。きっと、大切なものは大切にするほど大切になる。私は『金も時間もエネルギー(自分自身)も、自分が大切だと思うもの』に集中して注いで行きたいと思っている。

4・好きなひとに会いにいくということは、好きな自分に会いにいくということでもある。


「これが好きだ」と思える瞬間の裏側には「これをしている時(このひとといる時)の自分が好きだ」という実感がある。たとえば、好きなひとに会いにいくということは、好きな自分に会いにいくということでもある。自分との関係も人間関係であり、私は『私が好きだと思える自分自身』と同じ時間を過ごしていたい。

5・与える人が豊かなのだ。


自分を出し惜しまないこと。

6・天国を見出すこと。


私は自然が好きだ。様々なひとたちが、様々な風景の写真を送ってくれる。私はそれを眺めている。自分たちの目の前には幾つもの美しい景色が展開していて、それらをやり取りできるひとたちが暮らしている。自然は入場料を取らない。金持ちでも貧乏人でも平等に味わうことが出来る。分け隔てなく味わうことができる。

7・何度でも蘇るということ。


愛するよろこびがあるとすれば、それは『このような気持ちにさせてくれたこと』に対する感謝のよろこびだと思う。自分のこころはまだ死んでなんかいなかったということを、愛する対象を通じて思い出すことができる。大袈裟な言葉で言えば『何度でも蘇る』ことができる。

8・誰かを大切に思うということ。


素晴らしいブログ記事を読んだ。美しいと思った。この世で一番尊いものは『誰かを大切に思う気持ち』なのではないだろうか、と思った。室生犀星の詩の中にある『ふるさとは / 遠きにありて / 思ふもの / そして悲しく / うたふもの』という箇所を思い出した。これは必ずしも故郷に限らないのだと思った。

9・大切なものは「大きな切なさ」を内包している。


幸せの中にも辛さがある。

10・考えるよりも感じること。

これから台中の美術館を巡って台北に入る。ほんとうはいろいろな考えごとをするために日本を離れて来たのだけれど、頭はうまく機能していない。きっと『考える』ことよりも『感じる』ことの重要性を、自分の身体が訴えているのかもしれない。生きていればいろいろなことがある。喜怒哀楽の喜や楽は歓迎されるけれど、怒や哀は敬遠されがちになってしまう。しかし、ほんとうは「それらの感情を(清濁併せ呑みながら)味わい尽くす」ために生きているのではないだろうか、などと思うことがある。

考えるよりも感じること。美しさにも醜さにもよろこびにも悲しみにも含まれている熱量の総体は同量であり、自分の感情の振れ幅を通じて『生きていることを実感すること』が、日々の豊かさを決めるのかもしれない。成功も失敗もなく、そこにあるのは『生の摩擦熱』だけだ。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com