【TPE-永田町】経済なんてどうでもいい。そんなことより『いま、ほんとうの意味で生きているか』の方が圧倒的に重要だ。
1・経済を言い訳にいまを生きることを放棄してはいけない。
これからの経済がテーマだったのに、結果的に違和感を覚えて「経済とかどうでもいい。そんなことよりも『いま、ほんとうの意味で生きているか』の方がずっと大事で、経済や政治を言い訳にいまを生きることを放棄してはいけない」と最後に言ったら、何だか格好よく決まって嬉しかったです。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 12
2・この技は広範囲において多用できる。
家を持たないのは「固定されるより流動的でありたいから(常に身軽でいたいから)」であり、定職を持たないのは「自分を限定づけたくないから」で、金を持たないのは「単純に人間としての出来が悪いから」だと思っているのですが、こういうことを話すと説教されるから普段はあまり言わない。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 9
3・「疲れているひとに対する処方箋のような生き方」には興味がない。
個人的には『(モノはないけどココロは豊かだった)昔に戻りたい』みたいなことは微塵も思ったことがなくて、インターネットや格安航空券の恩恵を被りまくっている身としては『(昔に戻りたいではなく)次に行きたい』という感情が圧倒的に有利です。時代に合った楽しい生き方を掴みたい。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 9
4・自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。
自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。正義感は「価値観の押し付け(暴力)」になる。私は他人に何かを強制したり、自分と同じであることを期待したいとは思わない。「自分のため」にやることが、結果的に「誰かのため」になれば幸運だと思っている。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 12
5・優しそうなひとほど、私には怖く見える。
一見優しそうなひとほど、私には怖く見える。実際は半端なくドロドロとした自分の内面を優しさで綺麗にデコレーションしたり、優しい言葉で他人をコントロールしようとしたり、優しさの先に別の何かを感じ取った時、自分の直感が「こいつを信じるな!」と危険信号を発しているのを感じる。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 10
6・自分の衝動は他人に説明することはできない。
綺麗なだけのものを見ると「それだけじゃないよね」と突っ込みたくなる。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 10
7・人生の主語は「(他の誰でもない)自分」にすること。
「多様性を声高に叫ぶよりも、個人が自分を確立すること」だと思った。自分の価値観を持つことは素晴らしいことだとは思うけれど、それを他人に押し付けた瞬間に暴力になる。自分が考える多様性を他人に要求するのではなく、自分が思う多様性の中を「自分が」生きればいいのだと思いました。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 9
8・生きることや楽しむことに、他人の許可は必要ない。
自分で「行く」と決めてさえしまえば、(地球の裏側だろうが)何処にでも行くことができる。自分で決めてしまうことの威力は半端なくて、自由だと思った瞬間にその人は自由になるし、不自由だと思った瞬間にその人は不自由になる。大概は「自分が望むような人生になっている」のだと思う。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 9
9・「幸せにならなきゃ」いけないこともない。
「幸せにならなきゃ」みたいな思いから自由になれたとき、その人は幸せなんだろうな。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 12
10・百花繚乱、咲き乱れてしまえばいいのだと思う。
誰もがハートの中に花の種みたいなものを持っていて、それは生きている限り「咲きたがっている」ものだと思うから、縮こまっている場合じゃないし、そんな時間がもったいないし、水を与えて、太陽を浴びて、思い煩うことなく自分を全開にして、百花繚乱、咲き乱れてしまえばいいのだと思う。
— 坂爪圭吾 5/10-16@東京-宮崎 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 11