いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【NKM-伏見】そのままでいいし、そのままがいい。

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奴隷経済FREEをはじめて五日目になる。昨夜は名古屋の伏見にある漫画喫茶に宿泊した。名古屋では、わざわざ交通費を払ってまで私を呼び出してくださる神様がいて、私は、その恩恵を全身で浴びた。奴隷経済をはじめて、不思議なことに気がついた。私に「家を掃除しろ」とか「肩を揉め」とか「引越しを手伝え」というような依頼をするひとはほぼ皆無で、多くの場合は「マッサージを受けてほしい」とか「カウンセリングの練習台になってほしい」とか「自分の話を聞いてほしい」とか「飲食店に付き合ってほしい」とか、『何かをしてほしい』ではなく『何かをされてほしい』という依頼が大半だ。

要するに、私の役割は「ただそこにいるだけでいい」ということになる。存在しているだけでいい、ということは、非常に不思議なことだ。普通であれば、存在しているだけでは許されない。『何かをしなければいけない』と考えてしまう。何かしらの功績をあげることで自分の存在感を示したり、他人に好かれることで自分の価値を確認したり、要求に応える仕事をすることで自分の居場所を獲得する。

最近思うことあれこれをまとめます。

1・生きているだけでいい。


大前提として「生きているだけでいい」と私は思っている。しかし、この感覚を得ることは難しく、どうしても「自分に価値を覚えるためには、特別な何かをしなければいけない」という思いに囚われてしまう。たとえば、豪華な家に住むことによって自分の価値を示そうとする場合、当たり前のことだけれどすごいのは豪華な家であって、その人自身ではない。自分自身を誇るには自信が必要になる。

2・自分を殺して人に好かれるよりも、自分を出して人に嫌われる方がずっといい。


他人に嫌われたくないと願う、その態度が嫌われる原因になる。そういう場合がある。誰だって「自分は気を遣われている」と感じる人間の前では、リラックスした状態で何かを楽しむことはできない。多分、神は「何をしてもいい」と言っている。ああ、こいつは本当に自由に伸び伸びとやっているなあということを(言葉ではなく)態度や行動で示された時、自分もつられるように何かを自由に伸び伸びと楽しむことができる。

3・どんどん痛い目に遭え。そして逞しく成長しろ。


現在の私は30歳で、稀に「俺はとんでもない真実を獲得してしまった」的な気付きを獲得することがある。大袈裟な言葉で言えば『悟り』にも近い境地に達するのだけれど、しかし、多くの場合は長続きしない。悟った!と思った数時間後には、再び、自分の煩悩にてんやわんやしている。30歳の自分が悟れることなど、程度が知れているということだ。それならば、いまは、ぶつかっていこう。様々な経験を積み、どんどん痛い目に遭って、「ごふぁ」と血反吐を吐きながら、逞しく成長してやろう。

4・誰かに見られることを通じて、はじめてその行為は完成する。


ブログ記事を書いていると「さかつめさんは発信が上手ですね」とか「今日も素晴らしいメッセージをありがとうございます」などと言ってもらえる。しかし、私は発信しているつもりもなければ、メッセージを届けたいという思いもない。それならば、なぜ、私はブログ記事を更新しているのだろうか。それは、多分、生きていたいと思うからだ。書くことも、生きることも、誰かに見られることを通じて、はじめてその行為は完成する。


5・古い自分には一回死んでもらうこと。


いばやのMAYUが改名をして『MAYUCHAPAWONICA』になった。MAYU曰く「MAYUのままでは先にいけない気がした。だから、MAYUには死んでもらうことにしたの。それで、何処の国のひとかわからない呪文みたいな名前にしたいなあって思っていたら、MAYUCHAPAWONICAってロゴが降ってきたからこれにしました」とのこと。私は「うおー!(超いいね!)」と思った。そして、自分も死ななければいけないと思った。古い自分には一回死んでもらわないと、次には行けないのだ。


6・自分は何者でもなく、同時に、自分は全てである。


自分が「何か」になるということは、自分が「それ以外」ではなくなるということになる。私には、人間全体として生きたいという思いがある。自分の内臓が名刺になるような、自分の存在が職業になるような、自分の生き様が作品になるような、自分は何者でもなく、同時に、自分は全てである、そういう生き方をしたいと思った。

7・自分が嫌いなものではなく、自分が好きなものに使ってこその命だ。


誰かに何かを理解してもらいたいとか、気に入らないあいつをやっつけたいとか、そういうものに貴重なエネルギーを注ぐのはもったいない。そんなことよりも、自分が「これだ」と思えるものに、自分のエネルギーを集中させること。普通のひとは行けないところまで、どんどん自分の足を進めていくこと。自分が嫌いなものではなく、自分が好きなものに使ってこその命だ。

8・人生とは、自分を楽しませることである。


神は「何をしてもいい」と言っている。好きなように生きなさいと言っているし、お前の好きにやれと言っている。私にとっての神はそういう存在であり、それ以外の神は、多分、あり得ないのではないだろうかと思っている。人生とは、自分を楽しませることである。自分を楽しませることができていない時に、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。

9・永遠にそのままで行け。


自分を嫌いになる努力を重ねてはいけない。

10・そのままでいいし、そのままがいい。


私の友人が撮影した、夕暮れの海辺を裸で走る、この、こどもの写真が大好きだ。この写真を見ていると「これは俺だ」という気持ちになる。そして、永遠にそのままで行けという気持ちになる。自分以外の何者かになる必要はないし、自分以外の何者かになんて絶対にならないでほしい。完璧になんてならなくていいから、しっかりとした人間になんてならなくていいから、ただ、そのままでいてほしい。

多分、私たちは、海や夕日が美しいのと同じように、とっくの昔から美しいのだ。美しくなろうとするのではなく、自分の中にある『美しい部分』を、様々な葛藤や障害に遮られながらも、それでも、大切に守り抜くこと。そのままでいいし、そのままがいい。新しい何かを手に入れるのではなく、既にある何かを思い出し、丁寧に扱うこと。そのままの状態で守り抜かれた美しさが、見る人の心を震わせるのだろう。

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人生は続く。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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