いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【NKM-江ノ島】奴隷経済を終えて。ー 交換感から循環感へ。

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名古屋を経由して東京にはいり、江ノ島に向かった。奴隷経済FREEを開始して一週間が経つ。明日で奴隷経済の募集は終了にする。江ノ島では「喫茶店の未来を考える集い」というイベントを企画していただき、素敵なカフェで座談会が行われた。私の意見は「これからは『交換感』から『循環感』であり、受ける側がお金を払うから循環が起こらないのだ」というものになる。


交換感だとか循環感だとか、やたらと「かんかんかーん!」と連呼をしていた。私は、生活のために生き始めた途端に虚しさを覚える。守りにはいった瞬間に死ぬ。そして、何かを『売る』という営みに楽しさを見出せなくなってしまっている。誤解を恐れずに言えば、いま、多くの人々が『交換(何かを得るために何かを支払う)』というシステムに疲弊しているように見受けられる。愛情も恩恵も、本来は一方通行の投げっぱなしジャーマンみたいなものであると感じている。


最近の出来事を振り返ります。

0・奇跡は財布の余白にも舞い込む。


先日、スリランカの上座仏教の長老であるスマナサーラさんと対談をした。イベント終了後、ひとりの男性から「いつもブログで力をもらっています。これ、少ないですが、お布施です」という言葉と共に、一枚の封筒をいただいた。帰り道の電車の中で封筒を開けると、驚いたことに一万円札が3枚はいっていてアゴが外れた。当時、私の所持金は限りなくゼロに少なく「そろそろ死ぬのかな」と思っていた。奇跡は財布の余白に舞い込む。この恩恵は絶対に忘れないと思った。

1・お金を払ってでもやりたい。


奴隷経済をはじめてから、様々な依頼をいただいた。とりわけ、こちらの依頼にはビックリした。実際にお会いした際に話を伺うと「私は普段は足もみ師をしているので、お客さんが来て、お茶を出して、足を揉んで、少しばかりお話をした後に、お金をいただいて、お別れをして、また新しいお客さんが来て、お茶を出して、という日々を過ごしています。お金をいただけることは、ほんとうにありがたいことだと思っています。ただ、稀に自分のことが『足もみマシーン』みたいに思えることがあって、それで、今回は坂爪さんに声をかけさせていただきました」と話してくれた。

2・宇宙へ循環する感覚。


足もみの気持ち良さは異常で、私は多幸感に包まれながら眠りに落ちた。足もみ終了後、依頼主の女性は「スッキリしました!やっぱり、私は足もみが大好きみたいです」と話してくれた。私は、すごいなあと思った。そして、足もみに飽きることはないのだろうかと思って尋ねると「それはありません。だって、坂爪さんだって『書く』という行為には飽きないでしょう?」と話してくれた。私は「確かに!」と合点がいった。多分、私の中で「書く」ことと「生きる」ことはイコールだ。人に会うという行為には疲れを覚えることはあるものの、書くこと(生きること)に飽きることはない。

3・奴隷が帝国ホテルで茶をしばく。


様々なひとが、自分に優しさを与えてくれる。先日の月曜日も、麗しい貴婦人の温かなご好意により、東京の帝国ホテルで一杯1500円以上の高級飲料をドリンキングさせていただいた。奴隷が帝国ホテルで茶をしばく。これは何だ。この状況のギャップは何だ。更に、驚いたことに帝国ホテルの従業員の方が「坂爪さんですか?」と声をかけてくれた。私は「むお!」と思った。従業員の方は「プライベートのお時間に申し訳ありません。いつも拝見させていただいております」という言葉と共に、従業員紹介の優待券を与えてくれた。私は興奮に咽び泣いた。

4・中日新聞の記者の方から連絡をもらう。

名古屋に足を運んだ際に、中日新聞の記者の方から連絡をいただいて、茶をしばいた。記者の方の質問力は半端ない。人柄も本当に温厚な方で、さすがプロ、私は嬉しさのあまり多弁になってしまった。質問がうまいものだから、どんどん話したくなってしまう。記者の方が「坂爪さんのことを記事にしたいのですが、坂爪さんのことを編集デスクの人間に説明しようとしても、何も伝わらないのです。家がないとか、金がないのに世界を飛び回っているとか、お布施をもらって生きているとか、そういうことを話すと「そいつ大丈夫なの?」って誰もが怪訝な顔をするのです」と話してくれたのが面白かった。

5・自分のしぶとさが謎だ。

私の存在は、話せば話すほどに胡散臭くなるという特性がある。いままでも頻繁に批判を受けた。批判の大半は「そんなんで生きていけると思うのか」という言葉に要約できる。言いたいことは分かる。自分でも、何で生きることができているのかがわからない。自分のしぶとさが謎だ。そんなんで生きていけると思うのかと言われるが、誤解を恐れずに言えば「そんなんで生きてきてしまっている」のが紛れもない事実である。自分は不完全な生き物なので、欠点をあげればキリがない。しかし、本音を言えば「坂爪圭吾が置かれているこの謎の現象を、皆も一緒に面白がってもらいたい」と思っている。

6・お金はどうしているのですか。

行く先々で尋ねられる質問のひとつに「金はどうしているのですか」というものがある。普通、初対面の人間に突然そんなことは聞かないだろうと思いながらも、こころに余裕がある時は答えるようにしている。いまの私に定職はない。月末に振り込まれる固定の給料などもないために、基本的には何の保証もない日々のど真ん中にいる。それならば、なぜ、生きていられるのか。

7・今日は私の誕生日なので口座番号を教えてください。

基本的にはトークイベントなどに呼ばれた際にいただく交通費や食費や滞在費で暮らしている。しかし、所持金なんていうものは、気づいた頃には尽き果てている。月に一度は所持金3桁になりながらも、不思議なことに、所持金がすり減るほどに(スマナサーラ長老とのイベントの際に貰ったお布施のような形で)奇跡が舞い込む可能性が増える。この前も、お金がなくて「そろそろ死ぬぜ!」と思っていたら、一通のメールが舞い込んだ。そこには「いつもブログを読んでいます。今日は私の誕生日なので、坂爪さんの口座番号を教えてください!」と書かれていた。

8・ロジックを超える。

私は「なにそれ!」と思った。ロジックが謎だ。しかし、私の脳内でDREAMS COME TRUEの「うれしい!たのしい!大好き!」が流れたために、自分の口座番号を相手にお伝えした。後日、口座を確認してみると、実際にお金が振り込まれていた。うまく言葉にできないのだけれど、いまのような生活をはじめてから、ロジックを超える出来事が頻繁に発生している。過去の私は、お金(家)がなければ生きていけないものだと思っていた。しかし、お金(家)がなくなってからの方が面白い出来事に遭遇する可能性が圧倒的に向上している。これは「お前は金(家)を持つな」ということなのだろうか。困った。ほんとうは家が欲しい。出来ることなら安らぎたい。しかし、生活のために生きるのは虚しい。

9・喫茶店の未来を考える集い。


昨日は、前述したように江ノ島の喫茶店で「喫茶店の未来を考える集い」に参加した。参加者のなかには自分でも飲食店を経営されていらっしゃる方もいて、リアルな声を聞きながらイベントは進んだ。乱暴にまとめると「売り上げ目標のために働くのは虚しい」とか「お金をもらう代わりに料理を出すということに違和感がある」とか「やりたいことだけやるためにはどうすればいいのか」ということを話した。

「私は飲食店を経営していますが、お店の売り上げだけを考えていた時は、面白いくらいにお客さんがこなくなった時期があったのです。それで、とりあえずお金のことはいいから、損をしてでも自分がやりたいことをやろうと思っていろいろなことをやるようになってから、不思議なことに、お客さんが戻ってくるようになったのです。自分のお店に『循環の風』が吹いているように感じて、そして、やっぱり『思いが先にある』んだなということを改めて思いました。もちろん、自分がやりたいようにやればやるほど、強い反感をもらうこともあります。ただ、それと同じくらいに自分を好きになってくれるひとも増えるので、まずはやってみること、自分の初心に戻るというか、どうしてそれをやりたいと思ったのかという『思いが先にある』のだと思いました」

10・養子縁組の話。

最後にとんでもない話題をぶっこむと、奴隷経済をはじめてから、驚いたことに「私の養子になりませんか」というお話を頂戴した。最初は「そんな馬鹿な!」と思ったものの、大前提として、私は声をかけてくれた人のことが大好きだ。冷静に考えて見ると「素晴らしいことなのかもしれない」という風に思うようになった。多分、人間は自分のことを名前だと思っている。自己紹介の時にも「私はさかつめけいごです」という風に、自分の名前を相手に伝える。名前を知らない相手と話をしていると不安な気持ちが湧き上がるが、名前を知った途端に安心感を覚えたりもする。

最近は「古い自分には一回死んでもらわないと、次には行けないのだ」というようなことを感じていた。そんな中、まさかの養子縁組の話である。なんということだろう。名前が変われば、文字通り古い自分は一回死ぬ。一回死ぬばかりか、戸籍上では『坂爪圭吾』が消え失せる。養子になると名字が変わる。自分の名前が変わるということは革命的な出来事だ。自分は自分のままなのに、名前が変わるだけで致命的な何かが変わりそうな予感を覚える。『自分は自分のままなのに』だ。名前とは何だろうか。戸籍とは何だろうか。家族とは何だろうか。制度とは何だろうか。自分とは何だろうか。

様々な問いが頭の中を駆け巡る。根本的に、私は皆がハッピーで暮らしていけたらそれでいいと思っている。逆に言えば、人類のハッピーを阻害するものがあるのならば、その原因を(比較的自分の身体を張りながら)究明してみたいと思ったりもする。実際に養子になるかどうかは重要ではない。挑戦するに値する何かを見つけること、自分が心の底から熱中できる対象を見つけることは、日々を大きく膨れ上がらせる魔法のエネルギーを持っているのだと思う。


人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya keigosakatsume@gmail.com