いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【KIJ-日本海】「生きているだけで嬉しい」ということ。

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日本海に沈む夕日が綺麗だった。最近は、私のふるさとである新潟と福島を往復する日々を過ごしている。この季節の移動手段はスーパーカブを使っている。去年、東京に住む男性から無料で譲ってもらったこのバイクは、燃費が素晴らしく、東京と新潟(約300キロ強)の距離をおよそ1000円程度のガソリン代で賄うことができる。海辺や森林を走るときに吹く風が、最高に心地よい季節になった。

荷台にはテントや寝袋を載せるときもある。朝日を拝むために、海辺にテントを張って眠ったりもした。これらのすべては「私の存在をSNSなどを通じて知ってくれた人々」からの貰い物であり、いままでに一回もキャンプなんてしたことのなかった私も、自然に近い生活を送るようになっていった。

自然を眺めたり、自然の中をバイクで走っていると、基本的には無心に近い状態になる。見晴らしの良い場所にバイクを止めて、物思いに耽ったりしていると、幾つかの考えが頭をよぎる。それを私はTwitterを通じて忘れないように記録している。


日々のすべてがうまくいく訳ではない。これまでの日々を振り返りながら、自分は、何も価値のあることを成し遂げてこなかったのではないだろうか、まるで自分の人生をまるごと棒に振ってきたような、30年間という取り返しのつかない日々を、無駄に過ごしてきてしまったのではないだろうかと思うことがある。


そういう感情に包まれながら、同時に、このようにしか生きることができなかった自分自身のことを思う。とてもじゃないけれど、誰かのお手本になれるような生き方なんて出来ていない。100点満点の人生とは程遠く、基本的には2点程度になると思う。ただ、基本的には2点くらいしか取れていない落第点の日々の中でも、稀に「この瞬間は100億万点だな」と思える瞬間と巡り合えることがある。

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そういう瞬間は「誰かと心を通わせることができた」と思える瞬間であったり、自然の中で自分が溶け出すような感覚を覚える時であったり、このような生き方をしていなければ絶対に味わうことができないような『最高の瞬間』に立ち会えた時に、内側から静かに湧きあがる感動に変わっていく。

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大袈裟な言葉で表現すれば、それらは「生きているだけで嬉しい」という感動になる。誰の役にも、何の役にも立たないとしても、確かに感じたよろこびがある。そのよろこびを周囲の人間と共有していこうとすること、自分は確かに生きているのだということを深いところから実感することの中に『生』の醍醐味は含まれていて、何度でも忘れる度に、何度でも懲りずに思い出そうとしていく。

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ー 「生きているだけで嬉しい」ということ。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com