いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【NRT-神奈川】永遠にそのままで行け。

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東京を経由して熱海にはいり、スマナサーラ長老との対談イベントに登壇するため、神奈川県の二宮町に向かった。数日前、Twitterから「図書館みたいな、宿泊施設も兼ねる喫茶店のようなものをやりたくなった。基本的な使用料金とかは完全に無料で、珈琲もタダで、料理もタダで、欲しい本があればあげるし、なんなら泊まってくれたひとには百円あげちゃう場所をつくりたい。有志を集めたら、実現できるものなのだろうか」という投稿をした。


数日後、熱海に在住の女性から連絡が届いた。「熱海でも良ければ適当な場所を手配できるかもしれません」ということが書かれていて、驚いた私は、何はともあれ実際にお会いしてみないことには何も始まらないと思い、熱海まで足を運んだ。これは余談だけれど、女性からの連絡は、最初、ショートメールで届いた。普段、私はショートメールの類は完全に無視をしている。まず、読まない。しかし、なぜか、ふとした瞬間に「ショートメッセージを開いてみよう」という心の動きが起こり、数年振りにフォルダを開いたら、熱海の女性からの上記の連絡が届いていたことに気がついた。

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実際にお会いした女性は、一緒にいるだけでポジティブな気持ちになれるような、ほんとうに素晴らしい人柄の持ち主だった。可愛らしさと水々しさ、彼女の周辺には澄んだ空気が流れていて、そして、一緒にいる人間を高めてくれる魅力がある。彼女曰く「私は、普段は他人のブログなどは一切読まないのですが、知人のすすめでいばや通信を知ってから、三日間徹夜で記事を読んで、そして、三回泣きました。自分にも何か出来ないだろうかと思って、普段なら自分から連絡をしてまで誰かに会いたいだなんて思うことは滅多にないのに、私は待てない性格だから、こんなことをするのは人生ではじめてのことだけれど、こうしてすぐに連絡をしちゃいました」

素晴らしい出会いは人生を肯定する。

これから熱海で何をすることになるのかはわからない。ただ、素晴らしい出会いは人生を肯定する。そういうことを思った。熱海を離れた私は、スリランカ初期仏教の長老であるスマナサーラさんとの対談イベントに出演するために神奈川県に向かった。まさか、自分がスマナサーラさんのような大物と対談を出来る日が来るとは思わなかった。二年前、彼女と別れたことをきっかけに家のない生活をはじめた自分が「二年後に、お前は初期仏教の長老と対談をすることになるぞ」と言われても、多分、信じることなんてできなかっただろう。いまはまだ信じることができなくても、それが実現することがある。


スマナサーラさんと実際にお会いして、何よりも印象に残ったのは力強い話し方だ。言葉に力がある。何かを「信じている」ひとにだけ宿る響きを帯びていた。幾つもの箴言を残してくれたが、印象深かったのは「挑戦に値する何かを見つけること、たとえば『差別をなくす』でもなんでもいいのですが、楽しむためには何かに挑戦することです」という言葉だ。日本は単一民族国家だからこそ、普段、人種差別のようなものに触れる機会は滅多にない。しかし、様々な差別は蔓延っている。対談の中で、スマナサーラ長老は「同じ人間じゃないか」という言葉を使っていた。

自分の心を軽く扱う人間を相手にするほど、自分も他人の心を軽く扱う人間になってしまう。


差別をなくすという言葉に、私の何かが反応した。いままで「差別」というものについて、あまりしっかりと考えたことはなかった。しかし、過去の自分を振り返ってみると、私は「フェアじゃない」と感じるものに対して、自分でも異様な程の反感を示すことがあった。権威に触れると牙を剥きたくなるし、自分は偉い人間だとふんぞり返っているひとを見た瞬間に蹴飛ばしてやりたくなることもあれば、あまりにも酷い待遇を受けているひとに「なんていうか、それはもう、あんまりじゃないか!」と叫び出したくなることもある。

自分の心を軽く扱う人間を相手にすると、自分も他人の心を軽く扱う人間になる。同じように、自分を大切に扱ってくれる人達と同じ時間を過ごすほど、自分も他人を大切に扱えるようになる。大切なものは大切な人達との時間であり、自分の心を軽く扱う人達を相手にしてはいけないのだと思う。そして、自分自身との関係も人間関係だ。自分が自分の心を軽く扱ってしまったら、自分が自分自身の心を差別してしまったら、残された日々はつらく苦しいものになってしまう。

信じることはできないとしても。


スマナサーラ長老の話を聞きながら、私は、数年前に椎間板ヘルニア統合失調症躁鬱病を併発して、寝たきりの生活を送っていたことを思い出していた。当時の自分は、体調も崩し、所持金も枯れ果て、生き甲斐や友達も失い、家族には迷惑をかけ続けていて、自分の人生はこれで終わりだということを強く思っていた。ただ、新潟にある実家で療養生活を送っていたなか、母親だけは「あんたは大丈夫だ」ということを信じていた。自分の人生はこれで終わりだと強く思っていたなかで、私の母親だけは「あんたは大丈夫だ」ということを思っていてくれた。

結果的に私の病気は完治をして、いま、当時は想像することも出来なかった日々を過ごすことができている。当時の自分は、自分のこれからを信じることができなかった。もう終わりだと思っていたし、もう終わりだということを信じていた。しかし、母親だけが「大丈夫だ」ということを信じ続けてくれた。そして、いま、母親の信じる思いに引き上げられるような形で、当時は想像することも出来なかった日々を過ごすことができている。

永遠にそのままで行け。

多分、私たちは大丈夫なのだと思う。いまはまだ信じられないかもしれないけれど、私たちは、きっと、大丈夫だ。自分の人生は終わりだと思っていた病気が完治したように、素晴らしい出会いが熱海で与えられたように、スマナサーラ長老との対談が実現したように、とてもじゃないけれど信じることなんてできなかったことが、実現してしまうことが日々の中にはある。

最近は、自分自身に「そのまま行け」ということを言い聞かせることが多い。様々なものが自分以外の何者かに変わることを要求してくる中で、それでも、自分自身を保ち続けること。未熟なら未熟なりに、未熟なままで飛び出していくこと。そのままでいいし、そのままがいい。完璧だから良いのではなくて、完璧じゃないから良いのだ。自然のままの姿がいちばん美しい。完璧になんてならなくていいから、何かを強く信じることなんてできなくてもいいから、自分のまま、自分を投げ出して飛び出していくこと。


人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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