いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【続・不倫肯定論】「こうあるべき」という枠に自分や他人を押し込めて生きるのではなく、正解を増やす生き方をしよう。

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不倫を肯定する「不倫肯定論」を書いたら賛否両論の嵐でわっしょい状態になってしまった。炎上目的で記事を書いたことは一度もないのだけれど、「よろしくやってんじゃねえよ理論」でも同じ現象が巻き起こってしまい、私は「(真面目な記事ばかりだと退屈だから)たまにはPOPな記事でも書いてみるか」程度の軽い気持ちで記事を書いた場合に限り、謎に炎上してしまう傾向にあることを知った。



これらの記事を書いてからというものの「お前は間違っている」という大量の声が届き、「頭が悪過ぎる」「死ね」「勘違い野郎が」「勉強してから出直してこい」「ドラッグのやりすぎだ」「人格が破綻している」「最低な家庭環境で育ったんだな」「親の顔が見てみたい」「精神的に病んでいる」「お前みたいな奴がいるから世の中がおかしくなるんだ」などなど、今でも言いたい放題に言われている。

私は「こうあるべき」という枠に自分や他人を押し込めるように生きるのではなく、「こういうのがあってもいいんじゃないのか」という新しい枠を増やす(正解を増やす)ような生き方をしたいと思っている。私は、元来悩みやすい性格であり、自分のことを無価値で欠落だらけの社会不適合者だと思っていた。そんな自分でも生きていかなければならないので、既存の枠ではない(こんな自分でも生きていくことができる)新しい枠の存在を渇望していた。そして、今では自分自身でその枠を作りたいと願うようになっていて、試行錯誤を繰り返しながら、このブログを通じて自分の思いを言語化している。

私は、誰かを支配したり征服したいとは思わない。自分と同じ考えであることを他人に強制したいとも思わないし、そうする必要もないと思っている。私は「私はこう思っている」ということを言葉にしたいだけであり、それを見た人がどう思うのかは、その人の自由だ。賛同の声をもらう時もあれば、罵詈雑言の数々を浴びることもある。私は、憎しみに憎しみで応えることだけはしたくない。出来ることならば、お互いに憎しみ合いながら(「足りない」ところを指摘しあいながら)生きるのではなく、お互いに助け合いながら(「足りている」ところを持ち合いながら)暮らしていきたいと思っている。

私が不倫肯定論の中で肯定したかったのは、決して「結婚している状態で他の異性と性的関係を持つこと」ではない。私が肯定したいのは「他人とは違うこと」であり、それは現在の常識から考えると「間違っている(人の道を外れている)」と思われる場合も多いけれど、同時に、新しい時代のヒントが隠されているような人間全体の可能性を含んだ何かである。これは、恋愛や結婚に限った話ではない。過去の自分のように、現在のシステムの中で苦しんでいる人にとって、新しい世界の存在を提示できるような《見えない枠の存在》を肯定したいと思っている。

不倫という言葉は「倫理に不ず(あらず)」と書く。

それでは、倫理を外れるとはどういうことだろうか。人の道を外れる行為とは、どのような行為を指すのだろうか。何が倫理を決めるのだろうか。法律なのだろうか。道徳なのだろうか。世間一般の常識なのだろうか、多数派の意見なのだろうか、小さな頃から思い込まされてきただけの幻想なのだろうか。

「人の道を外れる」ことが不倫なら、私は「自分の心に嘘をつくこと」が最大の不倫であると思っている。自分に嘘をつく人間は、必ず周囲にも嘘をつくような人間になる。「それならば、自分が殺したいと思うのならば人を殺してもいいのか?」と言われることも多いけれど、人間はそれほど信用に値しない(そのままにしておくと人を殺すようになる)ものだとは私には思えない。「何をしても良いですよ」と言われた時に、与えられた自由を「人を殺すため(他人に迷惑をかけるため)」に行使する人は少ないと思う。もちろん、例外はあるかもしれない。しかし、これを読んでいる他の誰でもないあなた自身が「人を殺す」ような人間ではないのだとしたら、人間は信用に値するひとつの証拠になる。

繰り返しになるが、私は「こうあるべき」という枠に自分や他人を押し込めるように生きるのではなく、「こういうのがあってもいいんじゃないのか」という新しい枠を増やす(正解を増やす)ような生き方をしたいと思っている。自分の考えを誰かに強制したいとも思わないし、出来ることならば、お互いに憎しみ合いながら(「足りない」ところを指摘しあいながら)生きるのではなく、お互いに助け合いながら(「足りている」ところを持ち合いながら)暮らしていたいと思っている。


「ああしなさい」とか「こうしなさい」とか命令する人は、自分が今までやってきたことを肯定したい(自分以外のやり方を許せない)だけである場合が多い。そして、本当の意味で自由な人は「自分はこう考えたらうまくいったよ」という風に、相手の心を解き放つ自由度の高い言葉を使う。

自分の価値観や経験(苦労や感動)も、他人にも押し付けた瞬間に暴力になる。不倫肯定論は決して「他人に迷惑をかける」ことを推奨するものではなく、「他人と違うこと」を肯定したくて書いたものだ。新しい生き方は、決して今までのやり方を否定するためのものではない。「こうあるべき」という枠にお互いを押し込めるように生きるのではなく、「こうしていきたい」という前向きな感情をお互いに生み出すための、今よりも自由で寛容な《優しい社会》になるためのものだ。

完璧であろうとするよりも、私は幸せを感じていたい。「お前は間違っている」と言われることもあるけれど、私には「正しいかどうか」は重要ではない。私がやりたいことは「正解を増やす」ことであり、過去の自分が暗闇の中で彷徨いながらも探し出した、光を放つように生きていたいと思っている。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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