いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分が行きたいと思う未来の根拠に、自分自身がなる。 ー 「おかしいのは自分なのか、世の中なのか」と悩んだ時に「おかしいのは自分なんだ」と思ってしまうと鬱病になる。

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自殺者が3万人いて鬱病患者が100万人いて、就職出来なくて死ぬ人がいる反面で仕事がありすぎて過労死する人がいて、これはどう考えても世の中が良い感じにバグっているから、「おかしいのは自分ではなく世の中の方です」って思い切り開き直ってしまった方が確実にGOODだと思っている。

うまく社会に馴染めない人のことを『社会不適合者』と呼ぶ。しかし、今の社会は適応するだけの価値があるのかと考えると疑問が残る。年間3万人の自殺者を出している社会はとてもじゃないけどまともとは言えない。今、私たちに必要なのは「比較的クソみたいな社会に適応する」ことではない。年間三万人の自殺者を輩出する社会に適応することの中に、どんな意味や価値があるのかが私にはわからない。

今の社会が比較的ハッピーなものなら、それに適応するだけの価値もあるかもしれない。しかし、年間三万人の自殺者を輩出する社会には別に適応する必要なんて微塵もないのではないのかと思っている。否、むしろ『適応してはいけない』とさえ思っている。適応したら鬱病患者になってしまうかもしれないし過労で倒れてしまうかもしれないし自殺をしてしまうことになるかもしれない。今、私たちに必要なのは「比較的クソみたいな社会に無理やり自分をねじ込んで適応していく」ことではなく、次の時代の新しいライフスタイルを自分自身の人生を通じて実現していくことだと思っている。

昨日、東京の国立でトークセッションを開催した。

その中で、参加者の方から『万が一の時に備えていろいろと蓄えているけれど、将来への不安が消えることがない。どうすれば不安のない日々を送ることができるだろうか』という質問をもらった。私は奇妙な違和感を覚えた。違和感の正体は『不安』だった。今は、多くの人の行動の動機が『不安』になってしまっている。不安だから貯金をする。不安だから就職をする。不安だから結婚をする。不安だから人と人とのつながりを求めてしまって、不安だから人と違う生き方をすることを恐れてしまう。不安を消し去ることに多くのエネルギーが注がれていて、重要な何かが圧倒的に欠如しているのを感じた。

圧倒的に欠如していたのは『希望』だった。

不安を消し去ったからといって希望が生まれる訳では決してない。今、何よりも必要なのは『今の時代の不安を消し去ること』ではなくて、『次の時代の希望を生み出すこと』だと私は思う。「こうなりたくない」という後ろ向きな不安で行動を起こすのではなく、「こうなりたい」「こうしていきたい」「こういう未来に自分は行きたい」という前向きな希望を原動力に、自分が行きたいと思う未来の根拠を、自分自身の人生を通じて実現していくことなのだと思っている。

ー どんな未来に自分は行きたいのか。

自殺者が3万人いて鬱病患者が100万人いて、就職出来なくて死ぬ人がいる反面で仕事がありすぎて過労死する人がいて、これはどう考えても世の中が良い感じにバグっていると私は思う。こんな世の中に無理矢理自分を適応させることもない。適応したら、死ぬ。「おかしいのは自分なのか、おかしいのは世の中なのか」と悩んだ時に、「おかしいのは自分なんだ」と思ってしまうと鬱病になる。重要なのは今の世の中に自分を無理矢理適応させて生きることなんかではなく、「こうなりたい」「こうしていきたい」「こういう未来に自分は行きたい」という前向きな希望を自らの原動力にして生きることだと私は思う。自分が行きたいと思う未来の根拠に、自分自身がなる。それだけだと思う。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya 
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