【MYJ-岩国市】自分を嫌いになる努力を重ねてはいけない。
「適応できなければ生きている価値なし!」の社会
最近、発達障害の人と頻繁に出会う。例えば「社会」という言葉ひとつをとっても、本来であれば「あらゆる人種が共存している状態」を指すのだろうけれど、今は「(不登校児やニートや風俗嬢や精神病患者や障害者などを除いた)一般の人達が暮らしている世の中」を指している気がする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 22
社会不適合者という言葉もあるが、社会不適合者も含めた人間の全体が「社会」なのであって、本来であれば「(どのような人種であっても)生きていてもいいよ」って言ってもらえるはずの社会から、いつしか「適応できなければ生きている価値なし!」とダメ出しされるようになってしまった。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 22
キャリア支援とか就職支援とか「支援とか言っているお前は誰だよ!」みたいな違和感を覚えます。“@soshusan: リハビリ・訓練・教育・指導といったことが(言葉が)、不適合者を社会に適合させる、という意味合いで使われることが多いと思う。僕はそれには違和感がある。坂爪さんに賛成。”
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 22
「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが溢れまくっていると思う。支援という言葉に違和感を覚えるのは、本人は良かれと思ってやっているのだろうけれど、結果として「あなたは大丈夫じゃない(だから私たちが必要だ)」みたいな形で被支援者の不安を強化しているように見えるからだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 22
この間「障がいをすべて治せると最高なのに」と書いてある記事を読んで、イコール、健常者が正しくて、他は間違ってるから僕らに合わせようって聞こえたのだ。けど。僕はこの身体で良かったとおもうし、余計なお世話だと。勿論、それが全てじゃないけど http://t.co/PeYIXxhEFP
— おーぬま( 3 _ 3 ) ゆかり (@sow1003) 2015, 3月 22
「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが蔓延する理由は、社会の厳しさを語る方が、社会の素晴らしさを語るよりも楽だからだ。
「多様性を声高に叫ぶよりも、個人が自分を確立すること」だと思った。自分の価値観を持つことは素晴らしいことだとは思うけれど、それを他人に押し付けた瞬間に暴力になる。自分が考える多様性を他人に要求するのではなく、自分が思う多様性の中を「自分が」生きればいいのだと思いました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 22
「こどもを条件付きで愛さないでください」という言葉に、頭をガーンと叩かれた気がしました。そう言えば、振り返ると、いい子にしていたから、成績が良かったから、勉強したからとか、結構そういうことで怒って従わせる自分があり、こどもの心のことを思うととても悲しく、つらい気持ちになりました。
あれから家に帰って、こどもと二時間ほど話しました。無口で、ほとんどしゃべらないので、ゆっくり質問していますが、それでも答えてくれない場合も多く、いつもは「翌日仕事もあるし、相手にしてくれないから仕方がない」と切り上げていましたが、今回は時間がかかっても色々話しかけてみました。
その中で、「この家に生まれてきてよかったと思う?」と聞くと、間があって「良かったかな」と言ってくれた時は涙がでました。うれしかったです。こうゆう言葉を聞けないかも・・・と思っていたので、坂爪さんのおかげですね、本当にありがとうございました。
この世で一番良くないのは『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。
この世で一番良くないのは『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。これは最大の資源の無駄遣いで、自分を否定しても誰も幸せにならない。塞ぎ込めば世界は閉じるし、開き直れば世界はひらく。私は『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直ることを推奨します。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 22