いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【MYJ-岩国市】自分を嫌いになる努力を重ねてはいけない。

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愛媛県三津浜港を経由して山口県の岩国市に来た。明日は広島経由で島根に行き、明後日からは鳥取経由で姫路界隈まで向かえたらと思っている。高知県の海岸で撮影した夕日が綺麗だった。日本には様々な都道府県があるけれど、同じ人間である限り、誰もが似たようなことに喜びを感じたり苦しみを覚えたりしている。

「適応できなければ生きている価値なし!」の社会




様々なイベントで様々な人たちと出会う。最近では風俗関係で働く女性や不登校児を抱えた父兄や発達障害の人と頻繁に話す機会に恵まれるが、何かこう「社会的マイノリティの苦悩(要するに周囲の無理解)」のようなものを感じる。



私は昔から「支援」という言葉が苦手だった。本人は良かれと思ってやっていることでも、結局「あなたは大丈夫じゃない(だから私たちが必要だ)」みたいな形で被支援者の不安を強化しているように見えるからだ。今の世の中には「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが多すぎる。「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージを大量に浴びて育った人間が、自己肯定感や社会に対する信頼感(自分はここに生きていてもいいのだという感覚)を持つことは難しい。「私はダメな人間なんだ」と思い込まされることで徐々に自尊心は剥奪され、生きることや存在していることが罰ゲームになる。





「自分らしく生きてない人から自分らしく生きる支援を受けることは出来ない」という指摘には真実が含まれている。自分が解決できていない問題について、人間は他人に対してアドバイスすることは出来ない。まったく幸せそうに生きていない両親から「家庭を持つことが幸せなんだ」と言われて育った時、こどもは混乱する。幸せそうに生きていない人が「幸せとはこういうものだ」と語る時、それを聞く人は「嘘」を見る。他人のことをああだこうだと言う前に、まずは自分自身が達成してくれ、と。

「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが蔓延する理由は、社会の厳しさを語る方が、社会の素晴らしさを語るよりも楽だからだ。



繰り返しになるが、自分が解決していない問題について、人間は他人にアドバイスすることは出来ない。今の世の中を見ると、自分は何も解決出来ていないことを棚に上げて、他人にああだこうだと発言したがる人間が多い印象を受ける。そういう類の発言は「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージを世の中に蔓延させる。理由は単純で、その人自身がまだ何も解決出来ていない(その人自身が大丈夫じゃない)からだ。

世の中の厳しさを語りたがる人は大量にいるが、世の中の素晴らしさについて語ろうとする人間は少ない。「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージを大量に浴びて育ったこどもたちが、今の世の中を「生きるに値するものだ」と感じることは難しい。

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昨夜、高知県で開催されたトークセッションに50代の男性が参加してくれた。男性には現在無職の息子がいて、どうにかならないものかという相談(?)を受けた。私はまだ親になったことがない為に、こども目線からしか話をすることができない。だから「こどもとしては、条件付きで愛されると非常につらいものがある。働いていない自分はダメなことくらい本人も重々承知しているからこそ、『働け(お前は大丈夫じゃないんだ)』と言われることで自分の不安が強化されてしまって、多分ものすごいつらい状態に置かれているんじゃないだろうか」みたいなことを話した。

翌朝(つまり今日)、その男性からメールが届いた。

「こどもを条件付きで愛さないでください」という言葉に、頭をガーンと叩かれた気がしました。そう言えば、振り返ると、いい子にしていたから、成績が良かったから、勉強したからとか、結構そういうことで怒って従わせる自分があり、こどもの心のことを思うととても悲しく、つらい気持ちになりました。
あれから家に帰って、こどもと二時間ほど話しました。無口で、ほとんどしゃべらないので、ゆっくり質問していますが、それでも答えてくれない場合も多く、いつもは「翌日仕事もあるし、相手にしてくれないから仕方がない」と切り上げていましたが、今回は時間がかかっても色々話しかけてみました。
その中で、「この家に生まれてきてよかったと思う?」と聞くと、間があって「良かったかな」と言ってくれた時は涙がでました。うれしかったです。こうゆう言葉を聞けないかも・・・と思っていたので、坂爪さんのおかげですね、本当にありがとうございました。

この世で一番良くないのは『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。


今の世の中には「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが溢れている。学歴がなければ大丈夫じゃない。仕事をしなければ大丈夫じゃない。結婚をしなければ大丈夫じゃない。貯金をしなければ大丈夫じゃない。そして、多くの人々が「(社会の素晴らしさではなく)社会の厳しさ」ばかりを語りたがる。こうしなければ生きていけませんよ(あなたにはこれが足りていませんよ)と周囲の人間の不安を煽り、金を稼ごうとしたり、他人をコントロールしようとする人間はいつの時代も何処にでもいる。

私は、騙されてはいけないと思う。

「そんなんじゃ生きていけないよ」という言葉を、私自身も何万回も言われてきた。「お前みたいに自由に生きる奴らが増えたら社会がまわらないよ」という言葉も、過去に飽きるほど聞かされてきた。そんなんじゃ生きていけないよと言われ続けた私でも、こうして現在も無事に生きている。そして、私は思うようになった。社会の素晴らしさを語るよりも、社会の厳しさについて語る方が簡単なのだということ。「あなたは大丈夫だ」と他人を信頼することよりも、「あなたは大丈夫じゃない」と他人の周囲の不安を煽りながら、自分の都合の良い方へコントロールする方が、簡単に他人を操れるということ。

「他人を信じる(自分を信じる)」ことが出来るのは強さであり、他人を疑うことなら誰でも出来る。自分で何か新しいアクションを起こすことよりも、他人の態度や行動に対する不満を挙げ連ねている方が、自分は何もしないままでいられるからこそ圧倒的に簡単だ。未来に不安を覚えることは簡単で、恐怖心に囚われて何もできないでいるのも簡単で、「あなたは大丈夫じゃない」と不安を煽って行動を促す方が簡単で、(社会の素晴らしさではなく)社会の厳しさを語る方が簡単であり、自分に自信を持つことよりも、自分に自信を持たないままでいることの方が圧倒的に簡単だ。

そして、簡単なことには価値がない。

この世で一番良くないのは『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。これは最大の資源の無駄遣いであり、自分を否定しても誰も幸せにならない。塞ぎ込めば世界は閉じるし、開き直れば世界はひらく。私は『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直ることを推奨している。自分を嫌いになる努力を重ねてはいけない。自分から自信を剥奪するような考え方から距離を置き、自分の存在の可能性を開く方向に導いてくれる考え方にフォーカスを合わせ、安易に「ネガティブ」になびかないことが重要だと思っている。

今の世の中には「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが溢れている。だからこそ、自分くらいは「あなたは大丈夫だ(なぜなら私もどうにかなっているからだ)」みたいな感じで、無根拠でも我々は大丈夫だということを唱え続けて行きたいと思っている。この世で一番良くないのは『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうことであり、塞ぎ込むことなら誰でも出来る。

さみしさに負けちゃいけない。むなしさに負けちゃいけない。周囲の無理解にも負けちゃいけないし、自分を嫌いになりそうに思う気持ちにも負けてしまってはいけないと思う。それよりも『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直ることにエネルギーを注いだ方が、「あなた(自分)は大丈夫じゃない」と言うことよりも「あなた(自分)は大丈夫だ」と信じる強さを持つことの方が、難しいかもしれないけれど、圧倒的に重要なことだと感じている。

今の世の中には「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが溢れている。世の中の厳しさを語る方が楽だからだ。「他人を信じる(自分を信じる)」ことが出来るのは強さであり、他人を疑うことなら簡単に出来る。そして、簡単なことには価値がない。私は信じる道を選びたい。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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