いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

誰かにディスられた時の5つの対処法。 ー 他人の人生をああだこうだ言うエネルギーがあるのなら、そのエネルギーをかぼちゃを切る時にでも使え。

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何か新しいことをやると必ず批判をしてくる人がいる。批判されるのを恐れて新しい行動を起こせなくなる時もあるが、それは時間の無駄であり、くだらない他人の偏見に惑わされて人生を無駄にすることもない。私がディスられた時に意識するようにしている5つの対処法をまとめてみます。


1・「うるせえバカヤロー!」と叫ぶ。


実際に声に出すだけで全然違う。他人の批判に敗れて、自分の中から湧き出した貴重なエネルギーの泉を枯らしてしまってはいけない。とにかくでかい声で叫ぶこと。逆ギレだと言われても構わない。義務教育は終わった。他人の言うことに従うだけの優等生は卒業して、自分が納得の行かないものには明確に牙を剥くこと。


2・「くだらない偏見は程度の低さを露呈するだけ」と念じる。


基本的に誰かをディスるような人は、人間としてのレベルが低い。そんな人のレベルに自分をあわせてしまうと、自分の程度まで低いものになってしまう。自分のレベルを下げる必要はない。私を批判してくる人の多くは「私を実際に見たことがない人」や「私のことをたいして知らない人」が大半であり、彼らは彼らの『勝手な想像』だけで話している。くだらない偏見は程度の低さを露呈するだけだと居直る。


3・「自分が意識している5人の平均値が自分なのだ」と思い直す


人間のレベルは、その人が日常的に意識している5人の平均値で決まると言われている。美しい人と過ごせば人間は勝手に美しくなるし、醜い人と過ごせば人間は勝手に醜くなる。自分の意識をどこにフォーカスしているのかが重要であり、くだらない批判や偏見だけでものをいう人に自分の意識をフォーカスしてしまうと、自分まで下劣な人間に成り下がってしまう。


4・「正しさ」よりも「楽しさ」で突破する。


批判する人が振りかざすものは『一般論』であり、一般論は基本的には正論である。正しいことを言われると、一瞬「ぐうの音も出ない」ような気持ちになるけれど、気にする必要はない。「お前の考えは間違っている」という言葉に価値はない。人生で必要なのは「正解を叩き出すこと」ではなく「楽しむこと」「挑み続けること」「生きているよろこびを味わうこと」であり、正しいか正しくないかは重要ではない。正論は、正しいけれども面白くない。退屈な正論に従うと人生がまるごと退屈になる。


5・かぼちゃの画像を送りつける。


基本的に他人をディスる人は「暇」なのだ。自分ひとりでは持て余してしまうエネルギーのはけ口が見つからないから、気に入らない人を見つけては嫉妬の炎に駆り立てられ、他人をディスることでガス抜きをしているだけに過ぎない。そんな人には「かぼちゃ置いておきますね」という言葉を添えて、かぼちゃの画像を送りつけてやればいい。このかぼちゃには「他人の人生をああだこうだ言うエネルギーがあるのなら、そのエネルギーをかぼちゃを切る時にでも使え(自分の人生を充実させるために使え)」というメッセージが込められている。エネルギーは有効に活用した方が間違いなくGOODだ。


以上が、私が他人にディスられた時に意識している5つの対処法になる。余談だが、私に罵詈雑言を浴びせてくる人は謎におじさんが多い。きっと、おじさんはさみしいのだろう。誰かを否定することでしか、自分を肯定することができないのだろう。必死で自分の存在をアピールしなければ、誰も自分の価値を認めてくれないのだろう。おじさんの心はさみしいのだ。しかし、ディスりにディスりで対応しても、世の中に憎しみが増幅するだけだ。俺が抱きしめてやるよ」と言いたくなる。花には水を。批判にはパンプキンを。必要なのはかぼちゃよりも「さもしいおじさんへのハグ」なのかもしれない。そういうことを思っている。


人生は続く。


坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya 
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