いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

【KCZ-室戸岬】「普通はこうだよね」という毒。

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関西圏を経由して、伊丹空港から高知県に入った。高知市内で飲食店を営む男性から「交通費は負担するので、是非高知まで来てください」という奇跡の連絡をいただき、室戸岬を訪れた。画像は天然記念物でもあるアコウの木で、移動中の車内では「普通はこうだよね」という毒についての話をした。

1・「永遠に添い遂げなければいけない」という過度のプレッシャー。


連日、様々な人と出会っている。不思議と『結婚の問題』について悩んでいる方々と大量に知り合い、結婚という制度の限界を感じた。結婚式では永遠の愛を誓うが、三組に一組は離婚をしている現実や、不倫や浮気の話題に事欠くことはない。全体的に、男性よりも女性の方が相手にうんざりしている印象を受ける。結婚には『永遠に添い遂げなければいけない』という暗黙のプレッシャーがついてまわる。


2・「普通」という謎の第三者が行動を束縛する。


極論、私は「二人がそれで良いと思うのならば、それで良い」のだと思っている。しかし、結婚や就職や就学には『普通はこうだよね』という固定概念が付きまとう。自分も相手もそうしたいとは思っていないのに、普通はこうだよねという(謎の第三者の登場による)幻想が『これもしなきゃ』とか『あれもしなきゃ』という焦燥感を駆り立てて、結果的に誰も望んでいない状態が続いてしまうことがある。

3・謎の第三者とは「世間の声」である。


謎の第三者とは、おそらく「世間」だ。

自分の中には醜い部分や間違っている部分があると認識している人たちと過ごす時間は、比較的楽になる。何よりも厄介なのは「自分は正しい」「自分は偉い」「自分は善人である」と思っている人たちと過ごす時間で、要するにこれが世間になる。世間は善意の顔で差別をする。そして、ひとたび自分たちの善意が脅かされるような状況になると、他人を殺してまでも自分たちの善意を立証しようとする。

4・コミュニケーションに失敗すると、自分が行きたくないところに連れていかれてしまう。


例えば「誰かといたい」という欲求も、実際は細分化することができる。相手の顔を見たいのか、一緒に話をしたいのか、添い寝をして欲しいのか、精神的な支えが欲しいのか、抱き締めて欲しいのか、単純にセックスがしたいのか、などなど、「誰かといたい」と感じる欲求の裏側には様々な思いがある。

あらゆることはコミュニケーションであり、自分が「これは自分の望みではない」ということを受け入れてしまうと、自分が行きたくないところに連れていかれてしまう。そのためには「自分の欲求を的確に知ること」と「自分の欲求を的確に相手に伝えること」の二つが必要になる。当たり前のことに聞こえるかもしれないけれど、これが半端なく難しい。

5・第三者の声に従うと、不幸になる可能性が高い。


自分を知らないと、相手の感情や世間的な感覚に振り回されてしまう。幸せになることと幸せだと(周囲の人間から)思われることはまったくの別物で、当たり前のことだけれど「他人がどう思うか」よりも「自分がどう思うか」の方が圧倒的に重要だ。第三者の声に従うと、みんなと同じであることの「安心」は得られるかもしれないが、自分が自分であることの「よろこび」は遠ざかる。

6・所有は人間の自由を剥奪する。


先日訪れた先で、30代の主婦の方々が「いろんなパパが欲しいよねー!」という内容の会話をしていた。遊びに連れていってくれるパパや、話し相手になってくれるパパや、家のことをやってくれるパパや、給料を持って来てくれるパパなど、ひとりの人間に役割のすべてを期待するのではなく、複数のパパが『それぞれの役割を果たしてくれる』ようになったらいいのにね、みたいな話をしていた。

彼女たちは冗談半分で笑いながら話していたけれど、私は「多分、これからリアルにそうなるだろうな」と思った。いままでは、こどもが生まれたら『父親と母親のふたりで育てていく』のが当然だったけれど、これからは『地域で育てる』とか『特定のコミュニティ内で育てる』ような形になり、結果として複数の父親(母親)役的なひとが存在する』ようになっていくだろうな、と思った。

7・名前のない生き方と、タンポポの綿毛のようなフットワーク。


おそらく、これから「まだ名前の与えられていない(固定概念の枠から溶け出した)」数多くの関係性や仕事の在り方やライフスタイルが登場する。人間関係においては、恋人でも家族でも友達(セフレ)でもない『新しい関係性』が登場する。これは「日本も一夫多妻制になる」ということではなく、自分が理想とする人生のあり方を、自分なりの方法でカスタマイズする人達が増えていくことを意味する。

固体の思考・液体の思考で言えば「必死になる」とか「真剣にやる」というのはガチガチの固体で、試行錯誤を繰り返しながら、自分の欲求を明確にさせていきつつ、基本的にはPOPな感覚(液体の思考)で自分オリジナルの人生をカスタマイズしていくひとたちが、これから飛躍的に増えるだろう。


8・一緒にいたいのは「正しいひと」より「楽しいひと」


当たり前のことだけれど、私は「正しいひと」よりも「楽しいひと」と一緒にいたい。別に正解を答えるために生きている訳でもないし、多くの人から「お前の生き方は間違っている!」とボッコボコに叩かれたとしても、自分だけは自分の生き方に胸を張れるような生き方をしていたいと思っている。

結婚とはこうあるべきとか、仕事とはこうあるべきという枠に押し込められて、苦痛に耐える日々を過ごすのは何かが違う。人生は苦しむためにあるのではなく、楽しむためにあるのだと私は思う。何かが違うと思ったら、新しい何かを試してみればいいだけのことであり、私は自分を限定付けたくはない。

9・価値は「存在」に宿り、功績は「行動」に宿る。


人間の価値は存在に宿る。何かをしているから素晴らしいのではなく、生きているだけで素晴らしいのだ。それにプラスする形で、例えばiPhoneを作ったあのひとはすごいとか、革命を起こしたあのひとはすごいといったような感じで、(存在の価値とは別に)功績の価値があるだけなのだと思っている。

現代社会の問題点は、人間の価値と人間の功績がごちゃ混ぜになってしまっていることにある。結婚をしていなければ半人前だとか、正社員にならなければ半人前だとか、学歴がなければ半人前だとか、社会的な肩書きを通じて人間の価値が決められてしまう。私は「そんなことはない」と思う。大前提として『生きているだけでいい』のであり、結婚も就職も世間的な評価も、すべてはおまけだと思っている。


10・この世で一番大切な仕事は「自分を楽しませること」である。


この世で一番大切な仕事は「自分を楽しませること」である。誰かのためではなく、自分のために生きることが、結果として誰かの力になることがある。自分を深く楽しませることは、決して自己満足なんかではなく、極めれば立派な仕事になる誰かのサイズに合わせて自分を殺して生きるのではなく、自分が幸せになることを、自分自身に許すこと。きっと、そこからだと思う。

極論、自分がそれで良いと思ったのならば、それで良いのである。誰かが良いと言っていることをやるのではなく、自分が良いと思ったことをやっている人間の表情は豊かで、精神的な潤いに溢れている当たり前のことだけれど、人生は苦しに耐えるためにあるのではなく、絶対的なよろこびに触れるためにある。自分を楽しませることに成功した時に、はじめて、他人も一緒に楽しませることができる。

楽しそうに生きているひとを見ると、見ているこちらまで幸せな気持ちになる。誰かのためではなく、自分のために生きることが、結果として誰かの力になることがある。大事なことは「自分を楽しませること」であり、極めれば立派な(この世にひとつだけの)仕事やライフスタイルになるのだろう。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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