ただ、自分に飽きただけ。
和歌山の紀の川にいる。欧州遠征にあわせて「エストニアのタリンの街並みが大好きなので、もしもエストニアに行くなら写真を撮って送ってください!」とお仕事を受けた。これはもうエストニアに行くしかない。そう思い、2月22日にエストニアに行く。わたしの予定はこういう感じで決まる。先にやりたいことがあるというよりも、誰かの希望を通じて自分のやることが定まる。自分自身はからっぽだが、からっぽであるが故に人生が有効活用される「無用の用」的な生き方をしている。
生きているだけでいいんだよ。それ以外はおまけだよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年2月6日
金持ちになるだとか、立派な功績を残すだとか、幸福な家庭を築くだとか、そういうものの全部はおまけ。こうでなきゃいけないことなんて、本当はひとつもないのだと思う。
かわいそうな人間なんていない。 - いばや通信 https://t.co/KRk6JdW56y
おおまかなスケジュール
2月7日~12日 季節労働真っ盛り!お仕事募集中!【日本】
2月13日 パリ【フランス】2月14日 ヴェネツィア【イタリア】
2月15日以降、FREE!【欧州界隈】
2月21日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月22日 タリン【エストニア】
2月23日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
優しさが邪魔。
和歌山で「僕にも珈琲を淹れてください!そしてお話をしましょう!」というご依頼を受けて紀の川の河川敷に来た。男性は話す。自分は人に嫌われたり人を悲しませたりすることを過度に恐れる気持ちがあり、他者と腹を割って話すことができない。自分らしくあれたらと思うのだが、恐怖心が常につきまとうからどうすればいいのかわからない。と。それを聞いたわたしは、まず、いの一番に「俺が一番嫌いな生き方は、嫌われないように生きることだ」と返答した。嫌われたくないということは、逆に言えば「無難に振る舞っている限り自分は嫌われることはない」という思い上がりを感じてしまう。ふざけるな。そんなものが俺に通用すると思うな。無難な対応をされるのが俺は一番嫌いなんだよ、と、そういう感じで返答をした。
あともうひとつ。「自分らしさ」などとあなたは言うが、そこはかとない生ぬるさを感じる。自分らしさとは良いことばかりじゃないんだよ。逃げるのも自分なら、傷つきたくないとビビるのも自分。全部ひっくるめての自分なんだ。どこかに「本当の自分」がいると思うのは幻想だ。いまの自分がダサいなら、この『ダサい自分』が自分なんだ。だから、恐怖心さえなくなれば云々ではなく、恐いなら、恐いままやる。恐いまま生きる。それが自分を生きるってことなんじゃないのか。良い部分だけをチョイスして、悪い部分は「本当の自分ではない」ことにする生き方は欺瞞的だ。全部ひっくるめての自分なのだから、自分の中にある『全部』を引き連れて生きるのが本当なんじゃないのか。それが自分らしさなんじゃないのか。と。
あなたは優しい人間なのだと思う。優しいからこそ自分の本音を押し殺して、優しいからこそ周囲に合わせた生き方を選んできたのだと思う。無論、優しさは大事だ。思いやりも大事だ。しかし、誰かの犠牲の上に成り立つ予定調和的な平和は『偽物の平和』だと思う。誤解を恐れながら言うと、あなたの優しさがいまはすげぇ邪魔だ。あなたはもう既に充分に優しい。だから、これ以上優しくなろうとする必要はない。優しさではなく『強さ』を持ちなさい。あほな意見だと思うかもしれないが、筋トレは非常に効果的だと思う。自分らしさよりも『男らしさ』を感じた方が効果的な時期がある。あなたは男だ。野性味を取り戻す時間が必要だと思う。
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ただ、自分に飽きただけ。
河川敷で話したことが功を奏したのかもしれない。屋根があると閉鎖的になる。男性は話す。自分は仕事を辞めて半年近く実家で引きこもりのような生活をしていた。だから、こうして外に出るきっかけを求めて、坂爪さんに連絡をしたのだ。と。これは素晴らしい試みだと思う。家にいると(特に男は)思考が偏って物事を深刻に考える。自分なんかダメだ、自分なんかダメだという感覚に取り憑かれて、抜け出すことが大変になる。しかし、生きることがなかなかつらいと感じている原因の大半は、実は「つらいのではなく『つまらない』だけ」というのがわたしの自論だ。単純に、いまの自分(いまの自分の日々)に飽きているだけなのだと思う。
そういうことを男性に話すと「そ、そうかもしれません!自分は、引きこもりみたいな生活に飽きているのかもしれません。みんなは、なんと言えばいいのか、いまはゆっくり休めばいいんだよとか、僕を慰める言葉をかけてくれます。でも、坂爪さんに『自分に飽きている』と言われて、すごい腑に落ちる感覚がありました。勇気とか、自分を奮い立たせるとか、そういうことではないのだなって。ただ、自分は自分に飽きていただけなんだなって思ったら、なんだか気持ちが楽になりました。実は、親にずっと言いたかったけど言えないことがあったのですが、それを話してみたいと思います。どうしても傷つけることや傷つくことを恐れてしまう部分はありますが、それも含めて自分なら、退屈な日々を過ごすよりも変えていこうとする方が、なんだかいいなあって。そういうことを思いました」と話してくれた。
ここまではよかった。ここで終わればハッピーエンドなのだが、その後、男性は「(腹を括った表情を浮かべながら)今日は野宿をします」と突然の野営宣言をした。それだけならまだしも、自分の財布をおもむろに取り出して「こんなものがあるからダメなんです」と言いながら、所持金のすべてをわたしに向かって差し出した。わたしは、もう、なんだか愉快な気持ちになってしまって「よっしゃ!それならばあなたの心意気を受け取りましょう!」と言いながら声をあげて笑った。笑いながら、ああ、そう言えばこの男性と会ってからはじめて俺は声をあげて笑っているなあと思った。この男性は死ぬ気である。わたしは「死なないでくださいね。あくまでも『生きる』とか『生きてやるぜ』って気持ちを前提に生きてくださいね」と言った。すると、男性は「ありがとうございます。言っていることの意味はわかります。ただ、僕は、ここで一回死にたいのだと思います。そして生まれ変わったらまた会いたいと思います」と言いながら、車に乗り込んで姿を消した。彼は、今夜、どこで眠っているのだろうか。季節は真冬である。この星のどこかで、彼は、どこかで凍えながら眠っているのだろうなと思うと、地球をいつもよりも身近に感じる。彼も生きているのだから、よし、俺も生きてみせようという気持ちになる。
自由でありたいと思うならば、自分を批判してくるひとの「批判する自由」も認めないといけない。批判に屈するでもなく、認めた上で、話は聞くけど言うことは聞かない。無理解を嘆かず、孤独を恐れず、被害者意識を漂わせず、ただ「ごめん、やっぱり俺はこうだわ」と、自分の道を歩けばいいのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年2月4日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu