あなたはわたし理論。俺の旅は、お前の旅。
小学校時代は野球部で、バットをぶんぶん振っていた。大人になってからは人生を棒に振り続ける日々を過ごしている。せっかく本を出せる貴重な機会をいただいたのに、再び棒に振ってしまった。理由は108個くらいあるのだけれど、編集者の方が編集者の方でしかなかったので、正直に「編集者のあなたと仕事をしたいとは思いません。あなたがあなたであるからこそ、なにかを一緒にやりたいという気持ちになるのだと思います」と伝えたら、終わった。
【坂爪圭吾の取り扱い説明書】あなたのキャラは?
これまで何度も出版の話はあった。が、どうしても自己啓発にまとめられる(売れ線を狙う)ことが嫌で辞退をしてきた。別に、自己啓発書の棚に並べられることに問題はない。自分の言葉がどんな風に読まれるかにこだわりはない。ただ、自分のなかに「自己啓発書を書きたい」と思う気持ちは微塵もない。あんなものは大嫌いだし、害毒であるとさえ思う。それならば、自分はなにを書きたいと思っているのだろうか、と考えた時に「詩」という言葉が頭をよぎった。私は、それが従来の意味や形式とは異なるものであれ、詩を書きたいのだと思う。このブログも、詩を書いているつもりで書いている。
家を使ってください。
出版の話がなくなったいま、もう、自力で書き上げるしかない(本当は誰かと一緒に作品を作るという体験をしてみたかった)のだと思う。書きあげるまでは日本に帰らない、くらいの気概で書きあげたい。日本で使っている熱海の家【逢初庵】は、現時点では無人になります。もしも使いたい人がいたら、どなた様でもお気軽にご連絡ください。この家は最高の家だと思います。謙遜なんてできません!使い方次第では、地上の楽園になると思います。以下に紹介動画を貼っておきます。
横浜のごちゃまぜの家も、宿泊希望者を受け入れております。布団の数の関係上、事前にご連絡をいただけたら幸いです。遊びに来るだけなら誰でもいつでも問答無用で立ち寄っていただいても構いません(最近まで一旦予約制にしておりましたが、リニューアル期間を経て、再度開放をすることになりました)ので、奮ってご活用ください。私自身は、これからタイに向かうのですが、タイでもシェルター【ごちゃまぜの家もどき】をつくれないものかと考えています。執筆活動における自身の集中力は1日3時間が限界になりますので、それ以外の時間は、家探しに邁進をしたいと思います。
5月21日、保科さんと合流する。
生活必需品をカバンに詰めて旅に出る。生きるために必要なものは、それほど多くはないのだなと思う。食べるものがあって、着る服があって、寝る場所があれば、人間は生きていける。他人の目線さえ気にしなければ、生きることは決して難しいことではないのだと思う。逆に言えば、他人の目線、それはひとから嫌われないことであったり、ひとと合わせてしまうことによって、余計な荷物を背負い込み、余計なストレスを背負い込み、人生はどんどん重く複雑なものになってしまう。旅がいいのは、そういう、生活の中で身にまとってしまった見栄やプライドなどの余計な垢を、削ぎ落としてくれることにあるのだと思う。重く複雑な人生を、軽くシンプルなものにしてくれることにあるのだと思う。
あなたはわたし理論。俺の旅は、お前の旅。
いまから8年程前のある時期。私は、人生で一番最悪の時期を過ごしていた。毎日、死ぬことばかりを考えていた時期、ふと、窓から外を眺めるとひとりの老人が歩いていた。わたしは、その様子を見て「よく、いままで死なないで生きてこれたな」と思った。わたしには自信がなかった。生きていくために必要なもの、愛も、勇気も、希望も、虚無に立ち向かう意思も、当時の自分にはあらゆるものが欠乏していた。目の前を老人が通り過ぎる。わたしは、彼と同じように年齢を重ねていく自信をもてなかった。よくぞその歳まで、死なないで(自殺をすることもなく)生きてこれたなと尊敬すると同時に、とてもじゃないけれど自分にはできないという絶望的な気分に陥っていた。
【貧乏性最強説】私が貧乏性によって躁鬱病と統合失調症を克服し、三ヶ月で15キロ痩せた話。 - いばや通信
時は流れ、いま、自分は平気な顔をして生きている。8年間の日々のなかで、様々な出来事を通過した。現在の自分の価値観を形成するにあたって、一番大きな役割を果たしたのは「およそ2年間にわたる、家のない生活の日々」だった。家のない生活は、様々な恩恵を与えてくれた。かつて、わたしにとって他人とは敵であった。しかし、いまでは「他人とは味方である」と思えるようになった。かつて、わたしにとって人生とは生きるに値しないものであった。しかし、いまでは「生きるに値する」ものに変わった。諸々の常識や固定観念にとらわれて氷結していたこころを、ゆっくりと溶かしてくれた出来事【ひとは変われるのだと言う実感】を、まとめてみたいと思う。虚無的だった人間が、ひとのやさしさに触れ、変わる過程を描きたいと思う。
もし私がそれをしなければ、だれがするだろうか。
しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら
私は何であろうか。
そして、もし私がいましなければ、いつするのだろうか。
命の境目はどこにあるのだろうか。わたしは、いま、ひとりで「自分の人生」を生きている。しかし、私の人生は「自分だけの人生」なのだろうか。生命に源のようなものがあるとすれば、わたしは、自分の人生を生きると同時に「みんなの人生」を生きているとも言えるのではないだろうか。わたしはあなたの代わりに生きていて、あなたはわたしの代わりに生きている。そんな風にも言えるのではないだろうか。これまでの日々を振り返りながら思う。わたしは、物が欲しかったのではない。わたしは、意味が欲しかったのだと思う。生きていることの意味、生きていくことの意味。当時のわたしは、意味がないことに耐えられず、意味を見出せないことに耐えられなかったのだと思う。意味とはなにか、それは「世界との繋がり」だと思う。この感覚は、多分、この瞬間も変わっていない。生活のためだけに生きることは虚しく、自分のためだけに生きるのは虚しい。世界に、命に、意味を見出すために手を伸ばす行為、それは表面的には無様で醜くなにも生み出さないようなものに見えたとしても、それを『希望』と呼ぶのだと思う。
ひとから嫌われないように生きるほど、自分自身に嫌われる。周囲に合わせて生きるほど、自分自身から遠く離れていく。認められるためではない、馬鹿にされても構わないと思えるその中に、純然なその人自身の美は宿る。罵倒されても大丈夫。ひとを罵倒するひとよりも、面白い目に遭えている自信はある。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年2月18日
けいごさんこんばんは🌙
空港や飛行機の中など、もしもお暇な時間ができてしまったらお読み下さいね。
Facebookを拝読しました。けいごさんは今夜から海外へ行かれるのですね。
千利休は忍者だった説は聞いたことがありますが、「多動症だった説」を読んで、ふむふむ実にその通りかもしれないと妙に納得しておりました。
けいごさんは多動症、私は不動症、
今までは、あまりに自分と対局の個性を持つ人に会うとつい「足して2で割ったらちょうどいいのになあ」などと思いがちの私でしたが、いま改めて考えてみるとそれでは「普通×2」という(普通・中庸というのも素晴らしい状態なのですが)没個性的で案外平凡でつまらなくなるかもなぁと思いました。
ここにも【素晴らしき明太子理論(補足・過去にさかつめが「本当はあなたにもこの明太子をお分けできたらとは思うのですが、しかし、あなたはわたし理論で言えば、ぼくが食べることであなたが食べたことにもなります!」と明太子を独占した実話に基づく)】が輝いており、けいごさんは存分に多動症を発揮して色々な方に素敵な影響を及ぼし、私は存分に不動症を発揮して胸に飛び込んでくるものを抱き続けようと、そうやって世界はバラバラに見えてひとつのいのちなんだと、(1ミリも上手く言葉にして伝えることができないのですが)そんなように思いました。
つまりは、私が「ちょっと行動が足りないなぁ」と訳もなく不安になる時、けいごさんを思い出せば「その分もけいごさんがいっぱい動いてるから世の中的にはオッケーだ!!」と元気になれるわけです笑✨
というわけで、ありがとうけいごさん✨
お気をつけてけいごさん✨
行ってらっしゃいけいごさん✨
P.S.戴いたカーネーション、まだまだ元気に綺麗に咲いています🙌大切にしますねー
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu