いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

誰かのためにできることなんてない。

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松尾芭蕉も一休も良寛も売茶翁も鴨長明も、偉人である前に「多動症」だったのではないだろうか。同じ場所にいることが苦手で、同じ場所にいると『自分と向き合いすぎて自滅する』タイプの人間は、少なくないんじゃないのかなと思う。何を隠そう自分自身がまさにそれで、明日から懲りずに海外に足を運ぶ。今回の目的は、一応「執筆活動に専念するため」と「ごちゃまぜの家@アジアを実現すること」になるのだけれど、もちろんこれらは表面的な口実で、端的に日本を飛び出したくなったからというのが一番の理由になる。

 

アーユルヴェーダに詳しい方から「あなたは動きすぎる傾向があるから、勇気を出してゆっくりしなさい」と言われた。無性に動きたくなる自分を封じて、数日間、温泉にはいりまくる日々を過ごしていた。タワシで全身をこするのにはまり(ツルツルになります!)、傷口に染み込ませた走り湯源泉に「めちゃめちゃ治癒されている気がする〜!」などと悶絶をしていた。熱海では、人間よりも虫や動物や山川草木と会話をする時間が長い。温泉にはいりながら、ああ、海外で執筆活動をやりたいなあなどと思っていた。ら、編集者の方から「本を出しませんか?」と連絡が届いた。これは神様の思し召しと信じて、明日、東京都内で打ち合わせをする。

 

ibaya.hatenablog.com

 

安心感と緊張感

前回の記事で「これからとある女性に説教をすることに決めた」と書いたら大反響があって震えた。生きるために必要なもの、それは安心感だと思っていた。いまでもその考えは変わらない。が、これには補足が必要だと思った。安心感と同じくらい、わたしは緊張感のあるものが好きだ。これは「誰かに怒られることを恐れて萎縮をしてしまう」という意味での緊張感とは違う。自分で自分を律するという意味での緊張感、それは「凛としている」とか「高貴である」とか「品性を感じる」などの言葉で言い換えることができるものだと思う。

 

言葉は恐ろしいものだ。言葉は諸刃の剣で、一方向だけに向けるということはできない。他者に対して向けた言葉は、そのまま自分自身にはね返ってくる。先日、渋谷の街を歩きながら「人間には二種類しかいない」などと思った。それは「生きている人間」と「死んでいる人間」の二種類だ。わたしは、生きようとしている(生きたいと思っている)人間が好きだ。逆に言えば、真剣に生きていないひとを見るとむかついてしまう。自分の人生を投げ出してしまっているひと、自分自身をみくびっているひとをみると、どうしてなのだろう、お前はこんなもんじゃないだろうと説教をしたくなってしまう。この言葉は、間違いなく、自分自身に向けても放たれている。他人を説教する資格が、果たして自分にあるだろうか。自分は、胸を張って「いまを真剣に生きている」と言えるだろうか。誰かに対して向けた刃は、そのまま、自分の胸へとはね返ってくる。

 

とある女性(名前はよりこさんという)との会話を通じて、ふたつの約束を交わした。ひとつは毎日ブログを書くことと、ひとつは毎日ビリーズブートキャンプをすること。ごちゃまぜの家は文武両道を尊ぶ。頭の問題を頭だけで解決するのではなく、カラダを通じて突破する。カラダを動かしている時間は辛いが、爽やかな汗を流せば、乱暴な表現になるけれど「いろいろなことがどうでもよくなる」と思う。運動は裏切らない。やる前は面倒臭くも感じるが、やったあとに「やらなければよかった」とは絶対に思わない。心身は引き締まり、生きることが楽しくなる。自分との約束を守ることを通じて、見失いかけていた信頼を取り戻すこともできる。少なくとも「自分はやった」と思える達成感を抱くことができる。そして思う。いまのよりこさんの気持ちを真っ直ぐにブログに綴ること、それは「いまのよりこさんだからこそ、寄り添えるひとがいるのだということ」を思い出すきっかけになればいいと、そういうことを思って約束を交わした。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

わたり文庫『デミアン

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ヘルマン・ヘッセ著作『デミアン』です。ひとから嫌われないように生きるほど、自分自身から嫌われる。誰かに合わせて生きるほど、自分自身から遠く離れていく。ヘッセは、この小説のなかで「私は、詩作するために、説教するために、絵をかくために、存在しているのではなかった。私もほかの人もそのために存在してはいなかった。それらのことはすべて付随的に生ずるにすぎなかった。各人にとってのほんとの天職は、自分自身に達するというただ一事あるのみだった」と書いています。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。

 

シンクレール、だれかを殺したいとか、なにか恐ろしくみだらなことをしたいとかいう気になったら、きみの心の中でそんな空想をしているのはアプラクサスだということを、ちょっと考えてみたまえ。きみが殺したいという人間はけっして某々氏ではなくて、それはきっと仮装にすぎないのだ。われわれがだれかを憎むとすれば、そういう人間の形の中で、われわれ自身の中に宿っているものを憎んでいるのだ。われわれ自身の中にないものは、われわれを興奮させはしない。

 

だが、シンクレール、見ていたまえ、これはほんの始まりだ。おそらく大戦争になるだろう。非常な大戦争に。だが、それも始まりにすぎないんだ。新しいものが始まる。古いものに執着している人たちにとっては、新しいものは恐ろしいだろう。きみはどうするかい?

 

ヘルマン・ヘッセデミアン』【新潮文庫

 

誰かのためにできることなんてない。

冒頭で「自分と向き合いすぎて自滅をする」と書いた。今回の療養中(?)も、幾度か自滅をしかけていた。熱海の家の玄関にある椅子に座る。鳥の声を聴きながら読書をする。幸せと言えば幸せなのだけれど、どこかで「このままでいいのか」という気持ちになる。これまでの日々、いろいろなことをしてきたようで、なにもしてこなかったようにも感じる瞬間がある。自分は、与えられた日々を充分に生かすことができているだろうか。その問いに対して、胸を張って「イエス」と言えない自分を見る。おれはなにをしてきたのだろうか。ただ、貴重な時間を、与えられた生命を、一度しかない人生を、無為に過ごしてきただけなのではないだろうかなどと思う。小さな自分、つまらない自分が顔を出す。自分を責めたくなる気持ちにもなるし、ある種の不安を覚えたり、ある種の苛立ちや焦燥感や不甲斐なさを覚えたり、自分を否定したくなる気持ちにもなる。

 

そしてひとつの確信にいたった。自分を責めたくなる気持ち、不安、自分を否定したくなる気持ち、それは「この瞬間の自分こそ、ほんとうの自分であることを認めたくない」という思いから派生をしていることを思った。私は、私の頬をひっ叩きたいと思った。どこかにほんとうの自分がいるなどと思わないことだ。この、ダサい人間が、自分。この、弱い人間が、自分。この、醜い人間が、自分。この、どうしようもない人間こそが、お前自身なのだと認めてしまえよと、自分の頬をひっ叩きたいと思った。遠くにいる自分の幻想を求めるのではなく、いま、この瞬間におかえる自分自身と共に生きる覚悟を決めろと、自分自身に言い聞かせてやりたい気持ちになった。そして、そう思った途端、これまでの不安や自責の念は嘘のように消え去り、ああ、おれはおれでしかないのだから、おれはこれで生きるしかないんだなというある種の潔さに到達をした。

 

最近は思う。誰かのためにできることなんてない。自分を真面目に生きることだ。この感覚をうまく説明することはできない。ただ、集合意識と呼ばれるものがあるのだとすれば、わたしたちは、別々の命を生きているのではなく「ひとつの大きな命」を生きているのだとすれば、自分のために生きることが、結果として誰かの力にもなることがあるのだと思う。誰もが、多分、それぞれのベストなアンサーを生きている。自分から見たら「違うだろ」と感じるようなことでも、そのひとにとっては、それが必要な過程であることも多い。誰かを変えたいと願うなら、まず、自分自身を変えること。平和を求めるなら、まず、自分のなかで戦争を終わらせること。他人の生き方にああだこうだと口を出す前に、自分を真面目に生きること。自分を愛するようにしか誰かを愛することはできないし、また、自分を許したようにしか誰かを許すことはできないのだと思う。

 

 

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#静岡 #汐吹 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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