いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

神様は我々に成功を望まない。ただ、挑戦することだけを望んでいる。

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昔、多分違法だと思うけど新潟市内の海岸沿いにテントを張って暮らしていた時期がある。風呂がないから知人に借りる。夜は防砂林から松の木などを拾い、焚き火を囲む。最初は変態扱いされていたけれど、徐々にひとが集まるようになり、食糧も勝手に集まった。釣りをしたり楽器を弾いたりベリーダンスを披露してもらったりなど、結構賑やかでそれなりに楽しい日々を過ごしていた。わざわざ車で県外から訪れるひともいた。

 

最悪の場合、また、ここでテント生活をすればいいのだと思うことで精神を落ち着かせている。生きていると、いつの間にか『守りの姿勢』みたいなものを覚える。なにも持っていないくせに、失うことを恐れてみたりする。「違うだろ」と自分に突っ込む。持たざるものがなにを恐れる。お前の強みは、もたないものの軽やかさだろう。もたないものの潔さだろう。もたないものの激しさだろう。恐れることはなかろうもん。そういうことを言い聞かせるとき、ああ、その通りだなあと明朗さを取り戻す。

 

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最大の不幸は、自分は必要のない人間だと感じること。

新潟での予定を終え、横浜にあるごちゃまぜの家に戻る。管理人のあきとさんにお願いをして、今月中は、自分(坂爪圭吾)ひとりで管理人をさせてもらうことになった。管理人役を務めながら、家の掃除をして、訪問客がある場合は対応をさせていただき、なにもなければ生まれて初めての執筆活動に専念をする。過去に家のない生活を2年間程度していた。2018年を迎える前に、過去の自分が経験してきたことを(別に出版の予定もなにもないけれど)一回文章にまとめてみたい気持ちがある。

 

この世の中で最大の不幸は、多分、金がないことでも家がないことでも仕事がないことでもない。それは「自分は誰にも必要とされていないと感じること」だと思う。飢えているのは、なにも貧しい国の人々だけではない。マザーテレサは言う。この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。導いてくれるひとを待っていてはいけません。あなたが人々を導いていくのです。所有すればするほど、とらわれてしまうのです。より少なく所有すれば、より自由でいられます。もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人を愛していないからではなく、あなたが、そして私が、与えなかったからです。

 

自分がマザーテレサのような慈悲深さを持っているとは思わない。それでも、自分なりにできることをやろうと思ってはじめた活動が「ごちゃまぜの家」になる。自分に愛があるのかどうかはわからない。ただの独善的な思いかもしれない。それでも、自分には「熱」があることを感じている。昔、家も金も仕事もいろいろなものを同時にうしなったとき、まだ、自分には体温が残されていると感じたことがある。それならば、この熱を、この体温を、なにかに繋げていくことができたならいいなあと思う。ごちゃまぜの家は常に開放をされているのですが、住所を公開していないために、興味のある方は坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

 

連絡先・坂爪圭吾

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keigosakatsume@gmail.com

 

神様は我々に成功を望まない。ただ、挑戦することだけを望んでいる。

生きるために必要なもの、それは金でも勇気でも名誉でもなければ特別な才能でもない、安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感があれば、多分、人間は何度でもやり直せる。ごちゃまぜの家は、あらゆるものが完備されている完全無欠の最強空間というわけではまったくない。が、ごちゃまぜの家【最悪の場合はここに行けばどうにかなる的な場所】があるということが、少しだけでも、自分の人生を大胆に生きることができる一助になったら素敵だなあと思う。

 

極論、どれだけ社会福祉的なシェルターが増えたとて、究極の安心感とは「外部環境に左右をされるものではなく、自分の内側に(己の力で)築き上げていくもの」なのだと思う。新潟市内の海岸沿いを歩きながら、私は「最悪の場合はここに戻ろう」という僅かながらの安心感を取り戻した。これは、多分、自分が海辺にテントを張って暮らすという実際の体験があったからこそ、どうにかこうにか覚えることのできた安心感なのだと思う。安心感とは、きっと、誰かに用意をしてもらうものではない。自分の体験を通じて、自分の中に築き上げていくものなのだと思う。

 

周囲の人間にできることは、そのひとが自分の力で歩き出すためのサポートまでだ。実際に大地を踏みしめるものは、ほかの誰でもない、そのひと自身の両足になる。マザーテレサは言う。神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ、と。なにかに挑戦をしている人間は、それだけである種の熱を帯びる。その熱は周囲に伝染をして、生きる力を引き出し合う。なにかをすれば、なにかを学ぶ。意外とどうにかなることを掴む。うまくいくとかうまくいかないとか、そんなことよりも大切なこと。それは「自分は生きているのだ」という手応えであり、ひとつひとつのその手応えが、やがて、生きていくうえでの安心感【生きる力】を醸成するのだと思う。

 

 

 

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神様は我々に成功を望まない。ただ、挑戦することだけを望んでいる。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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