やるかやらないかをお金で決めてはいけない。
諸事情が爆発をして、なう、愛媛県松山市にあるジョイフルにいる。昨日、福岡県は小倉駅にて所持金が尽きて「終わったな」と思った。が、銀河系の施しにより生き延び、小倉港を発つフェリーの中で眠ることができた。目を覚ましたら愛媛にいた。今夜は今治を目指す。目的地の広島駅は近い。明日以降の予定はない。多分、尾道か香川県に行く。
行くか行かないかをお金で決めてはいけない。
— みっつ (@mitzparty) 2017年11月27日
三森さんが非常に良いことを言っていた。三人兄弟の末っ子として生まれたわたしは、幼少時代から兄弟の所有物【本や服やCD】を勝手にぱくって見たり着たり聴いたりしては殴られてきたので、ぱくることに対する抵抗は薄い。12月3日に広島でイベントがある。これに三森さんも来てくれたらうれしいな(誰か三森さんを召喚してくれないかな)と思う。三森さんは素晴らしい人間だ。私は、彼ほどの聞き上手な人間を見たことがない。
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運動に呼吸をあわせるのではなく、運動を呼吸にあわせる。
先日、佐賀県でシステマというロシアの武術を習っている方と話した。過去にボクシングの国体で入賞を果たしたこともある男性で、ロシアのヒョードル選手を尊敬していると話す。システマは世界最強の武術とも言われていて、その特徴は『呼吸法』にある。坂爪さんも、自転車を漕ぎながら呼吸を意識してみるといいですよとのご教示をもらった。早速、自転車を漕ぎながら呼吸を意識してみたところ、いくつかの発見があった。
最大の発見は「運動に呼吸をあわせるのではなく、運動を呼吸にあわせる」ということ。登り坂を走るときなど、これまでは「うおー!」とか叫びながら必死にペダルを漕ぎ、呼吸も乱れがちになることが常だった。が、どのような状態に置かれたとしても常に呼吸を一定に保ち、呼吸にあわせて足を動かす。そのことにより、以前よりも疲労感なく坂道を登れる。瞑想効果も高い。持久力を維持するのにも役立っている(ような気がする)。
ペダルは足で漕ぐものではない。全身で漕ぐものだということを学んだ。多分、これはすべての動きに言えるのだと思う。システマの極意は「呼吸」「姿勢」「脱力」「動き続けること」の四つ。過去に、ベルギーで出逢ったプロのダンサーが「人間のパフォーマンスが最大限に発揮されるのは、リラックスをしている時だ」と話していたことを思い出した。肩の力を抜くことは、人生の極意なのかもしれない。システマ【呼吸法】については、このあたりの記事が参考になるかもしれない。
怠け者には強制チェックアウトを。
自転車を走らせながら、どうしようもない田舎道にあるコンビニに立ち寄って飲み物を買い、日光を全身に浴びながら広い駐車場で横になり「あああああああ」とかなっている瞬間が好きだ。今回、私は「連泊をしない」というルールを設けた。長居をすると執着が生まれる。逆に言えば、常に移動を続けることで「執着を置いてくる」ことができる。
私の本質は怠惰なので、常に家にいるとYOUTUBEとかばかりを見てしまう。結果「クソみたいな時間を過ごしてしまった」と自分を責めることになりかねないので、現状、連泊禁止のルール【強制チェックアウト】は功を奏している。家があるからダメになる。家を出たら、なにかをしないではいられなくなる。なにかをしているうちに、多くの場合はなにかに出会う。それが新しい展開を運んでくる。その繰り返しの日々だ。
ひきこもりの息子を抱えているひとは、自転車を与えて「これでどっか行ってこい」と強制チェックアウトを申告すればいいのだと思う。多分、息子は強くなって帰ってくるだろう。花には水を。怠け者には強制チェックアウトを。自転車移動を三週間程度続けて得た最高の教訓、それは「行けばどうにかなる」ということだった。特別な準備も用意も経験もなにもなくても、多分、行けばどうにかなる。(もちろんそれなりに面倒くさいこともあるけれど)体を動かすことはよろこびを伴う。そのことを実感する日々だ。
やるかやらないかをお金で決めてはいけない。
移動を続けながら現地の人々と会う。私は自身の連絡先とスケジュールをWEB上に公開している。稀に「会いたい」と連絡をいただくことがある。連絡が届くことは嬉しい。都合がつく限り会うようにしている。そのすべてに応えることはできていないけれど(返信できていないみなさまごめんなさい!)、坂爪圭吾という得体の知れない人間に連絡をくれるひとの勇気をすごいなと思う。
自分の思いを全力でぶつけてきてくれるひとには、こちらも全力でこたえたいと思う。一対一で話すことが理想だ。友達を引き連れて来るひととは、経験上、深い話をすることはできない。ひとと話をするとき、私は「(レスリングのポーズをとっているような感覚で)かかってこいや」とか思いながら話を聞いている。表面的な言葉、場を盛り上げるための営み、何かをごまかしているような発言を見ると「それは要らない」と思う。話したいことを話せ(話したいことがないときは、無理をしてまで話をするな)と思う。
そんなこんなで愛媛県にいる。これからどうなるのだろう。みんながまだ眠っているであろう時間帯に自転車を走らせていると「ああ、いまの時間帯に外を走っているのは世界で自分くらいだろう」などと100パーセント勘違いの幻想に酔える。人生は夢だ。この瞬間は幻想だ。これはお釈迦様も言っている(真意はまったく異なるのかもしれない)。万物は流転する。身も心も無常である。それならば、身を縛るだけのこだわり【しきたり】は捨ててしまおう。愚かでもいい、愚かなら愚かなほどいいのかもしれない、自分を酔わせることができるくらいの夢を見ていたいのだと思う。
成功も失敗もネタになる。タフな精神力のカテになる。安心して、失敗をしろ。おまえはそれを力に変える。おまえはそれを笑いに変える。おまえはそれを慈しみに変える。この世の中は遊園地みたいなもの。そして最後に気付くだろう。成功も失敗もない、あるのは経験【アトラクション】だけだったのだと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年11月27日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu