いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分を開けば人間は死なない。

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佐賀県武雄温泉から長崎県小浜温泉に移動をする。道中、諸事情で靴下を「しゃらくしゃー!」と投げて捨ててしまい、現在は裸足で自転車を漕いでいる。どうにかなるだろうと思っていたけれど、ふんが、どうにかなってはいるのだけれど足先が冷える。九州の冬を舐めていた。普通に寒い。寒いというか痛い。足が凍る。靴下を買うか逡巡し続けたものの、極真空手の開祖でおなじみ大山倍達さん曰く「裸足で過ごせば毎日が修行になる」との言葉を思い出して(あとはエコノミックな理由で)、まだ、靴下を買わないでいる。

 

道中で出会う方々が優しすぎて涙が出る。長崎は坂が多い。雲仙市にはいり「これは無理だ!」と自転車を押していたわたしに、さだまさしさん激似のおじさまが声をかけてくれた。どこにいくのですか。小浜温泉に向かっています。あら、すごいね、どこから来たの。東京です(どや)。東京!すごいねー!この先は上り坂が続くよ。そうみたいですね。道はわかるの。多分、大丈夫だと思います。気をつけてね。はい。ありがとうございます。

 

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神の末裔と握手をする。

一旦おじさまと別れて、引き続き自転車を押す。渡り鳥の群れを眺めながら「お前たちは集団行動ができて偉いなあ」とかなんとか思っていたら、後方から白い軽自動車がブブブブーンと走ってくる。さきほどのおじさまが乗っている。仕草で「乗れ」と言う。自転車を折りたたみ車に乗る。おじさまは言う。やっぱり自転車は大変でしょ。この先は上り坂が続くから、下り坂になるところまで送るよ。死ぬほど柔和なおじさまの瞳は、死ぬほど輝いていた。

 

途中まで、という約束だったのに小浜温泉まで護送してもらった。道中、橘神社という軍神・橘周太を祀る場所まで連行をしていただく。ギネス公認の巨大な門松が新年に飾られることで有名な神社だ。おじさまは長崎の歴史を交えながらものすごい量の話をしてくれる。わたしは「勉強になります」とこうべを垂れる。おじさまは言う。私と出会ったおかげで今日は余計に勉強になりましたね。よかったね。あはははは。この瞬間の瞳の輝きは瞬間最大風速を記録していた。嫌味がない。屈託がない。こどもみたいな表情で笑う。

 

橘神社では、年末年始に向けた巨大門松制作をしていた。作業員の親分的【ウルグアイ元大統領ムヒカさんに激似。瞳の輝きが尋常ではない】おじちゃんが近寄ってくる。お兄ちゃんどこからきたの。東京です(どや)。すごいねえ。この神社もすごいんだぞ。巨大門松はギネス記録だ。門松は俺(たちの仕事)だ。登録するのに60万もってかれた。大事な竹だ。佐賀の嬉野から運ぶんだ。車の中に門松の写真がある。写真を見ろ。あそこに橘さんの子孫もいる。あの橘(橘周太)さんの子孫だぞ。紹介する。握手をしろ。ここにいる全員と握手をしろ。お前の自転車を見せてやれ。明日はどこに行くんだ。明日も来い。誰かといるなら一緒に来い。昼に来ればメシもあるよ。がはははは。

 

心を開く。

小浜温泉に到着する。さだまさし様と別れる。時間があったので、喫茶店に立ち寄る。お客さんは誰もいない。珈琲を頼む。店主のおじさまが話しかけてくださる。その瞳を見て驚く。澄み渡り具合が半端ない。長崎はなんなのだろうかと思いきり好きになった。いろいろと話を聞かせてくれた後に、おじさまはご自慢のピザをご馳走してくれた(!)後にクラシックギター生演奏を三曲披露してくれる。スペインの音楽だ。異国情緒と哀愁が漂う。宿のチェックイン時刻が近づいていたので、後ろ髪を引かれる思いで店を出る。店主さんは「また来てね」と言う。

 

小浜温泉の宿は、心ある方が「宿をおとりしますよ」と手配をしてださった。素晴らしすぎる宿に身悶えする。温泉にはいる。佐賀から定期的に来ていると言うひとが話す。ここの温泉は日本一だよ。その後、宿を手配してくださったM様と合流をして小料理屋に向かう。すべての料理が最高で身悶えする。小料理屋さんの名前は橘。神様と一致をする。M様に喫茶店での出来事を話す。M様は言う。あの喫茶店のご主人がお客さんに対してこころを開くことは滅多にないことだと思います。坂爪さんは何かを持っているのかもしれませんね。

 

小料理屋さんもご馳走していただいた。申し訳ない思いと、それを上回る感謝の思いに包まれる。今日の長崎は雨。自転車移動をすることはできない。が、長崎在住の方が車で周辺を案内してくださることになった。昨日のうちに、おはなをこっそり用意しておいた。自分にできることはおはなを渡すことくらいだ。あとはもう、自分の身を捧げることくらいしかない。首の皮一枚で繋がっているような日々だ。この先もなにも予定はない。いよいよ野垂れ死ぬのだろうかなどと思いながら、いまのところは死なずに生きている。これからの日々がどうなるのかは未知数だけれど、稀に、自分は「なんとかなることを検証するために生きている」んじゃないだろうかと思うことがある。

 

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自分を開けば人間は死なない。

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いいひとに出会うと、こころが洗われる感覚を覚える。変な言い方になるけれど、いいひとと過ごしていると「自分までいいひとになれそうな気がする」と思う。長崎のひとは、品があってチャーミングなひとが多い。私の地元は新潟県で、現在は横浜でごちゃまぜの家をやっている。長崎との共通点は「港町である」ということ。函館、新潟、横浜、神戸、長崎の五都市でなにかをすることができたらば、五港を結ぶことができるのではないだろうかと妄想を膨らませた。

 

 

月並みなアレかもしれないけれど、目の前にいるひとを「このひとはいい人に違いない!」と思って接すると、そのひとのいい面が全面に出てくる(ような気がする)。ゲーテの言葉に『現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう』というものがある。好きな言葉だ。が、成長という言葉にはちょっとだけ違和感があって、これを自分なりに言い換えると『人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿が《引き出されていく》だろう』という風に思う。成長するというよりは、何かを得るというよりは、思い出す【余計なものを削ぎ落とす】という感覚に近い。

 

 

善性と呼ばれているもの、人間の善性や世界の美しさと言われているようなものは、多分、見るものの視点にかかっている。ひとは優しいと思っているひとにとって、他者は仲間であり協力者である。ひとは優しくないと思っているひとにとって、他者は敵であり憎しみの対象にさえなる。所持金が3桁になった時、閉じそうになる自分のマインドを感じる。が、そこで踏ん張りを決めて「まだ慌てるような時間じゃない」と意識を整えると、不思議なことにどうにかなる。自分を開いている限り人間は死なない。多分、閉じた瞬間に死ぬのだと思う。閉じるな。開け。開け、オレ(ゴマ的なアレで)。試される場面は無数にあれど、開き続けていきたいと思う。

 

 

 

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武雄神社。。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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