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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

【KIJ-東京】自意識を吹き飛ばしてくれるものを見つけること。

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新潟を経由して東京に入った。今日は、これから千葉県の山間部に向かい、夜は東京の国立市で開催されるイベントに登壇(?)する。昨日は、東京の日暮里で伝説のマイフレンド・みっつさんと話をした。最近思うことあれこれを、みっつさんを聞き手に迎えてまとめます。


1・自由を主張するひとほど、不自由に見える。

坂爪「昔、今年の抱負をみんなで書く『書き初め大会』みたいなのが行われていて、そこに足を運んだことがあるんだけど、そこで小学校の女性教師が『笑顔』って書いているのを見たのね。で、それを見たときに、ああ、この人は笑顔がつらいんだろうなあって思ったんだ」

みっつ「はい」

坂爪「あとね、他にも『即実行』みたいなことを書いていた男性教師のひともいて、これはとても性格の悪い反応なのかもしれないけれど、それを見たときに、ああ、この人はきっと即実行できていないんだろうなあって思ったんだ」

みっつ「はい」

坂爪「これと似た感じだと思うんだけど、最近では『自由を主張しているひとほど、不自由に見える』ように感じるようになってきていて、同じように『自分の正当性を主張しているひとほど、正しさから遠く離れている』って感じるようになったんだ」

2・正義は、正当化する必要がない。

坂爪「最近では様々なひとからメールで連絡をもらったり、実際に会って話す機会とかも増えたんだけど、なんだろう、言葉にも『潤っている』言葉と『乾いている』言葉の二種類があって、当たり前だけど潤っている言葉には素晴らしい音楽を聴いているときのような好感を覚えるんだけど、乾いている言葉には触れているだけでも嫌気を覚えるのね」

みっつ「はい」

坂爪「表情ひとつとっても『潤っているひと』と『乾いているひと』がいて、正しいかどうかよりも、俺の中では『潤っているかどうか』っていうのは非常に大事なことなんだけれど、自分の正当性を主張するほどに、多分、言葉って乾いていくんだろうなって思ったの

みっつ「はい」

坂爪「そういうのってわかる??」

みっつ「ぼくも、最近は正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとか、そういうことはできるだけ考えないようにしているのですが、多分、正義は、正当化する必要がないものだと思います

坂爪「おお!みっつ!ナイス汲み取り力!なんかさ、さっきも言ったけど『自分の正当性を主張しているひとほど、正しさから遠く離れている』ようなイメージがあるんだよ

3・「本当にそう思う」と「本当にそうである」は完全に別物。

坂爪「多分、ほんとうに正しいものって『誰が見ても正しいもの』だと思うのね。『人は必ず死ぬ』とか1+1=2』であるとか、誰にとってもそうであるということが、所謂正しさなんじゃないのかなって。それに対して、たとえば『人生は素晴らしい!』とか『原発推進派は間違っている!』とか『自分が好きなことをやるべき!』とか、こういうのって、ただその人がそう思っているだけというか

みっつ「はい」

坂爪「『本当にそう思う』と『本当にそうである』って、似ているけれど完全に別物で、それは単純に自分がそう思っているだけなのか、すべてのひとにとってそうであることなのか、これをちゃんと分けて考えることが大事な気がするのね」

みっつ「はい」

坂爪「当たり前だけど『本当にそう思う』からといって『本当にそうである』とは限らないし、いまの俺は『俺がどう思うか』なんていうことは結構どうでもよくて、それよりも『すべてのひとにとってそうである』ということは何か、みたいなものに自分の興味が向いているんだ」

4・「どう生きるか」よりも「生きているとはどういうことか」

みっつ「ぼくは坂爪さんとこういう話をしている時間が好きなのですが、前に、坂爪さんが『考えている時間って自由になれる』って言っていたことをたまに思い出すんです。考えている時間というのは、無になれるというか、自由になることができているような気がします」

坂爪「みっつ…!!

みっつ「はい」

坂爪「最近ね、哲学の本とかを読む機会が増えていて、俺はいままでまったくそういう本を読む機会がなかったからすごい新鮮な気持ちでいるんだけど、たとえば、哲学では『どう生きるか』よりも『(そもそもで)生きているとはどういうことなのか』のほうが、ずっと大事なことらしいんだよ」

みっつ「はい」

坂爪「俺はまるで見当違いなことを話しているのかもしれないけれど、生きているとはどういうことなのかをわかっていないのに、どう生きるかなんてことを話せる訳がないだろうと、哲学ではそのように考えるみたいなんだ(全然違うかもしれないけど)」

5・生きていることは「夢を見ていること」

坂爪「俺も、最近では『生きているとはどういうことだろう』みたいなことを結構考えるようになってきているんだけど、それがもう全然何なのかわからないんだ。でね、そんな自分に愕然とするというか、俺は30年間というこの日々無為に過ごしてきたんじゃないのだろうかとさえ思うんだよ」

みっつ「はい」

坂爪「非常に唐突な話ではありますが、みっつさんにとって『生きている』って、どういうことだと思いますか?」

みっつ「そうですね」

坂爪「はい」

みっつ「夢を見ていること』だと思います」

坂爪「おお…!!」

みっつ「これはぼくの中では不思議とずっとあったイメージなのですが、生まれて来る前は『全部』だったと思うんです。そして、生まれてきた瞬間に何もかもを忘れて『0』になって、そして、死ぬ時にまた『全部』になるような、そんなイメージがあるんです」

坂爪「おお…!!」

みっつ「いま見ているものは、全部イメージなんじゃないのかな、って」

6・「境目はある」のか「境目はない」のか。

坂爪「みっつ、すごいなー!!」

みっつ「坂爪さんにとってはどうですか?」

坂爪「それが全然わからないんだよ」

みっつ「はい」

坂爪「でもね、みっつの話を聞いていたら、なんとなく自分が昔から思っているようなことを思い出した。いま、うちらって、たとえば目の前にあるコップを見ることができるけれど、ほんとうはコップなんてなくて、というか、コップと自分との境目なんてほんとうはなくて、コップを構成している原子も自分を構成している原子も根本は同じものだから、たまたま『コップを形成している(自分を形成しているだけ)』だけの違いでしかないんじゃないのかな、とか、そういうことを思う」

みっつ「はい」

坂爪「『それはほんとうにあるのか?』とか『あると思っているだけで、ほんとうはないんじゃないのか?』みたいなことを結構考えてしまうことがあって、だから、みっつが言う『いま見ているものは、全部イメージ』という言葉には、謎に共鳴している自分がいるぜ」

7・やりたいことはないけれど「やりたくなる」ことはある。


坂爪「みっつって、夢とかあるの?」

みっつ「なんでそういうことを聞くんですか

坂爪「ぐへへ…

みっつ「坂爪さんがいちばん嫌う類の質問ですよね

坂爪「ぐへへ…」

みっつ「坂爪さんはどうですか?」

坂爪「ないです」

みっつ「ないんですか」

坂爪「うん、ない。まったくない。やりたいことが何にもないんだ。そして『やりたいことが何もない』自分のことをダメだなあと思うこともあるんだけど、なんていうんだろう、世の中には『やりたいことがたくさんある人は良い』みたいに思われている感じってあると思うんだけど」

みっつ「はい」

坂爪「そして『やりたいことがない奴は無気力で良くない』みたいな風潮もあると思うんだけど、そういう意味では、俺は自分のことをダメな人間なんだろうなって思うのね。だけど、同時に『やりたいことがたくさんあるということは、実際はつらいことなんじゃないだろうか』とも思うの」

みっつ「はい」

坂爪「安易な例だけど、それって『スケジュールの余白は心の余白!』みたいな感じで、何もしていない時間に耐えられないから常に予定をいっぱいにしておくときの心情と似ているというか、自分の中から余裕が失われている状態というか、ちょっと不健全なんじゃないのかなって思うようになって」

みっつ「はい」

坂爪「自分の中に『やりたいこと』としてストックされているものはほとんどないんだけど、時折、何かをやりたくなるときがあるの。やりたいことはないんだけれど、やりたくなることはあるんだ。それは昔から自分の中にあったものなのかもしれないけれど、最近は、その感覚に従って生きているような気がするんだ」

8・自分にはまだ体温が残されている。


坂爪「いままでは生きているだけでいいとか思っていたけれど、生きているとはどういうことか、生きていないとはどういうことか、生きていないのは悪いことなのか、とか、そういうことを考えるといろいろとわからなくなってしまっていて」

みっつ「はい」

坂爪「だけどね、自分の生命は自分の意思を超えたところで『生きたがっている』んだなって感じるの」

みっつ「はい」

坂爪「俺は俺の心臓のリズムをコントロールすることはできないし、かさぶたをつくろうとする身体の働きを止めることはできないし、髪は伸びるし、細胞は生まれ変わるし、なんていうんだろう、生命は生きようとしているし、自分を使い果たそうとしているのを感じるんだ」

みっつ「はい」

坂爪「俺は過去に家も金も仕事も全部なくなって、まあ、これはいまでもないんだけど、その時に『自分にはなにもないじゃないか』ってすごい強く思ったのね。だけど、冷静に考えてみると、これだけは残っていると思えるものがひとつだけ、間違いなくあったの。それが『自分の身体の体温』で、自分にはまだ体温が残されている、それならばこの熱を生かすしかないって感じたんだ」

9・最高の応援は「一緒に生きる」こと。


坂爪「みっつも前に『応援しています!っていってくれるひとほど、(別に何かをしてもらいたい訳じゃないけれど)何もしてくれないんだろうなあって感じます』って話してくれたけど」

みっつ「はい」

坂爪「なんかね、最近は『最高の応援は一緒に生きること』なんじゃないのかって思うようになったんだ」

みっつ「はい」

坂爪「たとえば、俺はみっつと過ごす時間が楽しくて好きだけど、別にみっつにこうあってほしいとか、みっつがこうしてくれるから一緒にいたいとか、なんだかそういう条件みたいなものはあまりなくて、ただ、お互いに『生きている』ことを確認し合ってるような感覚が好きだから会っているというかなんというか」

みっつ「はい」

坂爪「何も言わなくてもいいから、何もしなくてもいいから、ただ一緒に生きるということは、最高の応援になると思うんだ。そのためには、自分も生きなくちゃいけない。それは強制されたからそうするというものではなくて、自分がそうしたいと思うからそうする、自分が『生きたい』と思うから生きる、そういう瞬間瞬間に生命を燃焼させるような在り方が、結果的に周囲のひとも勝手に照らしたりするのかな、とか、そういうことを考えていました」

10・自分を吹き飛ばしてくれるものを見つけること。


坂爪「なんかね、もう、ほんとうに自分のことなんてどうでもいいんだと思う。これは自暴自棄になっている訳ではなくて、逆で、自分なんてどうでもいいと思えるくらいに自分を吹き飛ばしてくれるものと出会えた時に、ああ、俺は最高にハピネスな状態に置かれているなあとか、そういうことを感じるみたいなんだ」

みっつ「はい」

坂爪「誰かに好かれることを気にしているうちは、意識が自分に向いてしまっているから、多分、その過程は結構つらくてしんどいものになると思うんだ。だけど、誰かに好かれることではなくて『誰かを好きになる』ことに関しては、意識は自分ではない他のもの(自意識を超えた所)に向いているから、自分なんてどうでもよくなれると思うの」

みっつ「はい」

坂爪「俺は海や空が好きなんだけどね」

みっつ「はい」

坂爪「『圧倒的なスケール』が好きで」

みっつ「はい」

坂爪「自分なんかどうなってもいいと思えるくらいに、自分を差し出せるものを見つけることとか、自分を強化させることよりも、自分を吹き飛ばしてくれるものを見つけることが、生きていることの醍醐味なのかもしれないって思ったんだ」

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com