【家族の幸福論】親は子に、子は親に「完璧であること」を求めすぎている。ー 「自分が楽しそうに生きている姿を見せること」以上に説得力を持つものはない。
「三人いたら、ひとりくらいはバグるものだ」
私はというと「家のない生活がどうのこうの」などとほざきながら、ご覧のようにロクでもない生活を続けている。両親からも「お前はいつまでバカをやっているんだ」と実家に帰省する度に諭されるが、私自身も「今に見ていなさい。いずれ私が、今にも床が抜けそうなこのボロい実家を建て替えてやるから」みたいな感じで、憎まれ口を叩いている。基本的には両親との仲も良好で、母親も「三人くらいこどもがいれば、ひとりくらいはバグるものだ」と前向きな意味で私のことは諦めてくれている。私自身も「孫の顔を見せる的なこどもの責任は、上の二人が果たしてくれた。三人兄弟でよかった。これで私は自由に好き勝手に生きることが出来る」と心の底では思っている。
昔から両親との関係が良好だったのかと言えば、真逆で、母親からは「お前の反抗期は18年間続いた」と言われている。退屈な高校生活が耐えきれず、髪は金色に染め、肩までつく程髪を伸ばし、担任教師には悪態の限りを尽くし、学校にも通わなくなり、友達も0人で、趣味は音楽と読書しかなかった当時の私は父親の原付を勝手に乗り回して近所の海でギターを弾いたり読書をしながら時間を潰していた。
学校生活が退屈になると人生全体が退屈になる
10代の人間にとって、学校生活が退屈なものになると「人生全体が退屈なもの」になる。当時の私は常に自殺願望に囚われていて、学校も、社会も、人間も、目に映るすべてがくだらないものに思えていて、生きていても何もよいことなんてないと思っていた。ただ、そんな暗黒な時期でさえも、自分が好きな音楽(当時は黒夢やイエモンや小沢健二やバンプオブチキンやブランキージェットシティやグレイプバインやハイロウズを愛聴していた)を聞いている時間だけは、自由を感じることができた。昔から単純な私は、自分が音楽によって感動を与えられたように、いつか自分も「誰かに感動を与えることが出来る存在になりたい」と思うようになった。これが『生きる希望』となり、どうにか自殺をすることなく灰色の10代を乗り越えることが出来た。(当時の本棚には村上龍と村上春樹ばかりが並んでいた)
最近では、子育て中のお母さんなどから、頻繁に「坂爪さんの両親はどんな人柄なんですか?」と尋ねられる。その背景には「どうしたら坂爪さんみたいに自由で天真爛漫な人間に育つのですか?(秘訣があったら教えてください!)」というニュアンスを感じることが多く、私はうまい返事をすることが出来ない。私は決して自由でもなければ天真爛漫でもなく、基本的には暗黒で無力な人間だった。家庭でも社会でもことごとく反発を繰り返してきた私は、自分自身を協調性の欠けた劣等生だと思っている。
「元気そうに生きていてくれたらそれで良い」
ただ、自分の両親には本当に助けられている。今では、私の母親も「(こいつは何を言ってもどうせ聞かないのだから)元気そうに生きていてくれたらそれで良い」ということになっている。両親からの期待が消えてなくったので、私としても「反発するものがなくなってしまった!」ということになり、それなら「元気に生きるしかないな」という所に着地している。結果、両親との仲も良好になった。
私は過去に躁鬱病と統合失調症と椎間板ヘルニアのトリプルパンチで、半年間の寝たきり生活を送っていた時期がある。実家で療養していたので、私は実家で死んだ魚の目をして暮らしていた。過食によって体重も目に見えて増加していたので、まるで腐ったトドのような体型をしていた。
そんな状態においても、私の母親は「あんたは大丈夫だ」と言い聞かせ続けてくれた。当時の私は「大丈夫なわけがないじゃないか」と思っていた。「他人事だと思って…(誰にも自分の気持ちなんてわかるはずがない)」と自分自身を閉ざしていた。母親の言葉を正直に受け止めることなんて微塵もできなかったが、結果として(完治まで三年かかると言われた症状でさえも)半年間で治すことができた。あの時、私の母親が「あんたは大丈夫だ」と言い聞かせ続けてくれたことが、そのように思い続けてくれていたことが、どれだけ自分の力になっていたのだろうかと思うと、母親には頭が上がらなくなる。
もしも当時、私の母親も一緒に「この子は大丈夫だろうか」と思っていたら、これだけ早い回復は出来ていなかったように思う。私は「私はダメな人間だ」と思っていたが、母親は違った。「あんたは大丈夫だ」と思い続けていてくれたことで、結果的に私は復活することができた。
親が子供に臨むことと、子供が親に望むことは一致している
私は結婚をしたことがない。こどもを持ったこともないので、親と子の関係で言えば「こどもの立場」からの意見しか言うことが出来ない。しかし、実際のところは『親が子供に望むことと、子供が親に望むことは一致している』と思う。それは「完璧であって欲しい」ということではなく、「(不完全でも構わないから)楽しそうに生きていて欲しい」というシンプルな祈りであると私は思う。
ー 楽しそうに生きていて欲しい。
大切な人が苦しそうに生きているのを見て、よろこびを覚える人間は少ないと思う。私は、私の親に「お前を育てるために自分は嫌な仕事を我慢してやっているんだぞ!」なんて言われたくない。そんなことを言われたら、私だって「お前たちが生みたくて生んだんだろうぐわぁ!(頼まれて生まれてきた訳じゃねーし!)」と反発したくなる。逆に言えば、親が楽しそうに生きている姿を見ていれば、それを目にするこども側も「(たとえ経済的には貧しいものであったとしても)人生は生きるに値するものだ」という確かな手応えを、勝手に学び取るものだと思っている。
親は子に、子は親に「完璧であること」を求めすぎている
最近では、子育てに悩むお母さんから頻繁に連絡をもらうようになった。その背景には「子育ての正解を教えて欲しい」という切実さがある。しかし、私は「子育てには正解もクソもない」と思っている。親がこどもしてやれることと言えば、楽しそうに生きている姿を見せることで、この人生は生きるに値するものだということをダイレクトに伝えること、それしかないのではないだろうかと感じている。
同じように、両親に対して強烈な恨みを抱いているこどもたちにも頻繁に出会う。「両親の教育が厳しすぎて、反発するように家出をしてきた」女の子(時には売春を始めた人達)もいれば、「両親が愛情をまったく注いでくれないから、復讐するために生きている」と話す男の子とも出会った。
「大学(仕事)を辞めると親が悲しむから」という理由で、何かを辞めることが出来ないと話す大勢の人達と出会った。親を悲しませることがつらいのか、親に理解してもらえないことがつらいのか、「仕方ないですよね」と諦めたように笑う姿には、鉛色の悲しさが漂っていた。
— 坂爪圭吾 2/11-15@愛知-滋賀 (@KeigoSakatsume) 2015, 2月 13
親は子に、子は親に「完璧であること」を求めすぎているのではないだろうか。私が両親と良好な関係を築くことができたのは、お互いの不完全さを許容できた所にきっかけがあると思っている。私も両親も「ひとりの人間である」という点においてはまったくのフェアで、完璧な人間はいない。それでも「(不完全でも構わないから)楽しそうに生きていて欲しい」という点において共通しているからこそ、『反発し合う関係』から『許容し合う関係』へと、奇跡の移行を成し遂げることが出来た。
最大の説得力は「楽しそうに生きている姿を見せること」
誰だって「不幸そうに生きている」人から何かを学びたいとは思わない。極論、子育ての基本は「楽しそうに生きている自分の姿を見せること」であり、あとは野となれ山となれ(勝手に見る側が何かしらの解釈をほどこすもの)であり、自分なりの人生に勝手に適応させていくものだと私は思う。
社会の厳しさを語る人間は大量にいるが、社会の素晴らしさを語る人間は極端に少ない。お互いに完璧であることを望むより、(不完全でも構わないから)楽しそうに生きて欲しいと私は思う。小事にこだわるには人生はあまりにも短い。最大の説得力は「自分が選んだ道で楽しそうに生きている姿を見せること」であり、決して「他人の正解を生きる」ことではない。自分自身の正解を生きよう。
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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