いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【八百万の神様との出逢い方編】最近の私に起きている10の奇跡。ー 完璧な人間を目指すのではなく、ひとりひとりは不完全でも完璧な共同体を目指す方が圧倒的にGOODだ。

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私に奇跡が起き続けている。私はすぐに調子に乗るので、そんな自分をセーブするので精一杯になっている。ただ、今の自分が体験していることに普遍的なヒントがあるような気がするのでここに記します。私は現在、家のない生活を送りながら(まるで越後の良寛さんの如く)全国を転々としている。

1・国民的有名人である乙武さんと出逢えた。

10月24日(金)に東京で乙武さんと会えた。まさか、自分が家を失うことで乙武さんと出会えるとは夢にも思わなかった。私は世間的にはまったくの無名である。「とにかくやばいことだけをやる」などと至る所でほざいているので、稀に反社会的な存在なのかと誤解されることもある。路上で生き抜いてきた半端者の私でさえも乙武さんと出逢えた。狂喜乱舞して更新した私のブログ記事はこちらです。


2・赤坂の高級中華料理をご馳走していただいた。

私は自分の連絡先をWEB上に公開している。そのために様々な方から連絡をいただく。10月24日(金)の夜に、LINEから連絡をもらった方に東京の赤坂で中華料理をご馳走していただいた。今まで食べたことのない食材が連発して出てきて私は心の底から恐縮した。その方は金融系の仕事をしていて、資本主義ど真ん中の世界で生きているからこそ私の「家も金もない暮らし」に興味を持って、一度話してみたいと常々思ってくれていたことを話してくれた。帰り際に「少ないですけど使ってください」と言って封筒を渡してくれた。その中には餞別が入っていて私のアゴは外れた。ご馳走してもらうだけでも非常に嬉しいことなのに、餞別までいただいてしまった。私は只々お礼を述べることしか出来なかった。

3・徳島県に行くことが出来た。

私は常々四国に行きたいと思っていた。理由は「まだ行ったことがない」からで、初めて訪れる場所には必ず新しい発見がある。四国に行きたいと思っていたら徳島県に住む方から「もしよかったら遊びに来てください。交通費は負担します」という連絡をいただいた。私はご好意に甘えて徳島県に訪れた。素晴らしい出会いにも恵まれた。ここでも餞別をいただいてしまって、私のアゴは再びファラウェイした。私はこの餞別を握り締めて香川県の直島を訪れた。そこでも幾つもの素晴らしい機会に恵まれた。


4・岡山県に行くことが出来た。

岡山県でヨガ講師をしている方から連絡をいただき、10月31日(金)に岡山県の廃校になった小学校で私の座談会を開催していただいた。私は新潟出身なので、(東北などに行く機会は何度かあったが)今まで中国地方を訪れたことが一度もなかった。イベント開催を通じて様々な方と知り合うことが出来た。「また岡山に来てくださいね」と言ってもらえると本当に嬉しい気持ちになる。「絶対に行きます!」と暑苦しい返答をしてしまった。岡山県では「晴れ間」というコミュニティスペースを運営しているまさとさんとも再会を果たすことが出来た。トリイクグルという名前のゲストハウスにも宿泊させていただき、初対面の方の家に宿泊させていただいたりもした。皆が皆、私に優しかった。日本には八百万の神様が健在だと思った。私を岡山に招待してくださった方が、その後神戸まで車で私を搬送してくれた。車内の会話も非常に盛り上がり、「人はなんて優しいのだろうか」と猛烈に感動した。

【岡山未来づくりプロジェクト】岡山未来づくりプロジェクト

5・兵庫県に行くことが出来た。

11月1日(土)に神戸のエッジという素敵カフェで「坂爪を囲んで弄る会」を開催した。私が各種SNSで「必要であればいつでも声を掛けてください。私はネットアイドルのような存在で、AKBが『会いに行けるアイドル』ならば、坂爪圭吾は『会いに行くアイドル』です。どこでも会いに行きます」などとふざけたことをほざいたら、神戸に住む方が「それなら神戸に来てください!」と私に連絡をくれた。そして、このようなイベントが急遽開催されることになった。大阪や京都や滋賀県からも参加してくれる方がいた。様々な人と出会うことが出来た。ここでも餞別をいただいてしまった私のアゴは霧消した。

6・初対面の方の家に宿泊させていただいた。

神戸でのイベントが終了した私は途方に暮れていた。この日の宿がなかったのだ。最悪、漫画喫茶に行けばいいやとは思っていたが気持ちは暗くなりかけていた。事実暗くなっていた。そして腹が減っていた。三宮駅近くにあるうどん屋に駆け込み(私はうどんを愛している)、軽く腹を満たしていたら店内には華原朋美の「I'm proud」が流れていた。「街中で居る場所なんて何処にもない」という歌詞に強烈なシンパシーを覚えていた。すると、Facebookで知り合った神戸在住の50歳前後の男性の方から突然連絡が届いた。「坂爪くんは神戸なのか?宿はあるのか?雨だぞ?大丈夫か?困ったら何もお構いできないけど我が家があるから我が家に来い」と言ってくれた。私は好意に甘えてお邪魔させていただいた。

7・風呂の奇跡と布団の奇跡を堪能した。

その方の家に着くと、風呂にはお湯がはられていた。「とりあえず風呂でも入るか?」と言っていただき、私は浴槽に浸かった。家がない生活をしていると、風呂の有り難みが身に沁みる。私は多幸感に包まれた。漫画喫茶で眠らなければならないという悲壮感が消失した。用意された部屋には布団が敷かれていた。家がない生活をしていると、布団の有り難みが身に沁みる。私は再び多幸感を得た。眠る前に、その男性の方と奥様と三人で色々な話をした。楽しかった。「徳島や岡山で野垂れ死ぬことがあったらそれはしゃーないことだけど、神戸で野垂れ死なれたらたまらん。しかも雨や。どうするんだろうかって思っていたけど、何かこう放っておけなくて心配になってしまったから連絡をしたんだ」と、男性の方は話してくれた。本当にお世話になってしまい、帰り際に「お茶代や」と言って餞別を与えてくれた。私は言葉にならない感動を覚えると同時に、下手な生き方は出来ないと思った。多くの人に優しくしてもらったように、自分も人に優しく出来る存在でありたいと強く思った。今までいただいてきたお金も、何かこう人々の役に立つような使い方をしていきたいと静かに強く思うようになっていった。

8・京都の一乗寺で焼肉屋さんを営む方から連絡をいただいた。

私は今は三宮駅にあるカフェにいる。これから京都に移動する。11月2日(日)10時から京都駅で女性の方と会う。LINEから連絡をいただいた方で、もちろん今日が初対面になる。16時半からは別の場所で別の女性と会うことになっていて、20時からや焼肉屋さんにお邪魔することになっている。焼肉屋さんの店主さんからは「一度会って話してみたい。料理はもちろんご馳走する。今日は県外からも私も友達が店に来てくれることになっているから、よかったらみんなで話したいのです」という連絡をいただいた。私は、私でよければもちろんお邪魔させていただきますと返事をした。これから京都に移動する。

9・「家がなくなる」と「家が増える」。

多くの方々が私に優しくしてくれる。そして「困ったらまた我が家に来い」と言ってくれる。私は家のない生活をしている。こうしたライフスタイルを面白がってくれる方が「我が家に泊まれ」「講演してくれ」「ちょっと会いに来てくれ」と多くの声をかけてくれる。家がない私は、この生活を通じて(変な表現になるが)日本全国に「いつでも甘えられる家」が増えた。家がなくなったら、家が増えたのだ。この状態は何だろうか。未だにうまく言語化することが出来ない。ひとつだけ言えるのは「人は優しい」ということだ。もちろんすべての人が私のことをよく言ってくれる訳ではない。未だに批判のメールは毎日届くし、時には「死ね」だの「消えろ」だの言われる。しかし、すべての人が優しくない訳ではないばかりか、多くの人々の優しさに支えられて今の私は生きていくことが出来ている。

私がもらう批判の大半は「そんなんじゃ生きていけないよ」という言葉に尽きる。しかし、私を見ろと私は思う。もちろん、いつまでもこうした生活が続けられるものだとは思っていないが、少なくとも、今の私はこうして元気に生きていることが出来ている。「そんなんじゃ生きていけないよ」と何度も何度も言われるが、事実、私は生きていくことが出来ている。今も死なずに生きているのだ。


10・これからも奇跡が起こり続ける。

私は今夜は京都に泊まる。11月5日(水)には東京で開催されるイベントに出演することになっているのだが、3日と4日の予定も宿も何も決まっていない。もっと言えば、6日と7日の予定も(もちろん宿も何もかも)決まっていない。私が何処にいるのかも謎だ。私は何処で生活を続けていくのだろうか。

徳島や岡山や神戸では「まさかこんなに早く会えるとは思っていませんでした」と多くの方に言ってもらえた。このように言ってもらえるのは本当に嬉しいし、私も時間がある限りどこでも駆けつけたいと思っている。「会いに行くアイドル」という貞子的な気持ち悪さを醸し出しながら、自分にも何かできることがあれば力になりたいと思っている。多くの人たちが私に優しくしてくれたように、私にも出来ることがあれば力になりたいと思っている。

陳腐なまとめになるが、家がなかろうが金がなかろうが明るく前向きに生きていれば、人生は多くのギフト的なものを与えてくれる。そういうことを実感している。日本には八百万の神様が今もなお余裕で息づいていて、もしものことがあったとしても助けてくれる人は必ずいる。何もかも自分で出来る人は圧倒的に立派だけれど、もしものことがあった時は「他人に頼ってもいい」「誰かに甘えてもいい」「今は甘える代わりに、これからの人生で自分が出来る範囲からゆっくりと恩返しをしていけばいい」のだと思うようになった。完璧な人間はいない。ひとりで完璧になろうとするよりも、不完全な人間が「それでも捨てたもんじゃない部分」を差し出し合いながら、ひとりひとりは不完全であろうとも暮らしやすい世の中になっていけばいいと思っている。完璧な人間になる必要はなく、お互いができる部分を出し合いながら「(ひとりひとりは不完全でも)完璧な共同体」を目指せば、それでいいのではないかと思っている。これから京都駅に向かいます。人生は続く。

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