いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

社会性を保ちながら狂え。ー 「どうにでもなれ」の自暴自棄と「どうにかなってくれ」の切実な感情に揺られながら。

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トークセッションツアー(?)で全国を巡っている。体調不良で意識が朦朧としている。生命力が失われると、考えることも自然と壊滅的になる。今月に入り、九州全域を巡った後に東京界隈でのイベント開催を終えて、新潟のトークセッションを終えてから福井&富山&岐阜&名古屋&神戸での予定を終え、今は京都駅のカフェからこの記事を投稿している。これから大阪&和歌山&岡山&広島に向かう。

私は家のない生活をしている。「家がなくても暮らしていける」ことを実証できたら面白いと思い、今年の二月からこうした生活を実験的に試している。最近では、連日温泉や銭湯で自分の身体を洗っている。私の好きなバンドであるイエローモンキーのBURNという曲の中に「せめて体だけは綺麗に」という歌詞がある。風呂に入るたびに、この曲が頭の中で流れる。「せめて」というワードが胸を打つ。


私には、何処か退廃的な部分がある。消し去りたいと思ってもなかなか消し去ることができず、「どうにでもなれ」と自暴自棄になることが頻繁にある。自分は無価値な人間だと思っているからなのだろう。ひとりの、普通の、どこにでもいるような人間の苦悩、そしてよろこび。たとえ自分が無価値な人間だとしても、人間である限り何かを感じる心がある。苦しいと思えば苦しさを覚えるし、うれしいと思えばうれしさを覚える。「どうにでもなれ」と自暴自棄になる心情の裏には、必ず「どうにかなってほしい」と願う切実な祈りがある。自分はダメな人間だと思いながら、それでも輝いていたい、前を向いていたい、強くありたい、優しくありたい、光が指す方向を目指していたいという切実で面倒臭い感情を抱きながら、「どうにでもなれ」と「どうにかなれ」の間を往来するシーソーに揺られている。

私は、自分の中にある黒くてどろどろとしたものの存在を感じている。美しくありたいと願いながら、自分の中にまるで美しくない部分が存在しているのを感じている。人のために生きたいと願いながら、それだけではない感情が存在しているのを感じている。それは「復讐」という言葉で表現できるかもしれない。私は何かに復讐しようとしている。それは、世の中にうまく馴染めなかった自分自身に対する復讐なのか、自分を受け入れなかった世の中に対する復讐なのだろうか。

私は「家のない生活」という試みを通じて、自分が狂うことを許したのだと思う。普通ではないライフスタイルを掲げることで、自分が社会と乖離していく(乖離している部分がある)ことを自分に許した。その生活の中で感じたことを書き綴ることで、当初はまるで受け入れられなかった私自身の考え方も、徐々に理解されるようになっていった。「家のない生活」が凧であるならば、私の文章は「凧糸」のようなものであり、凧糸という社会性がギリギリ自分に備わっていたからこそ、今の世の中を(私のような欠陥人間でも)どうにか死なずに生きることが出来ている。

「どうにでもなれ」と「どうにかなれ」の間を往来するシーソーに揺られながら、それでも生きることを諦めきれないのは「希望」を捨てきれないからだ。私が文章を綴るのも、様々な人と出会うことを続けているのも「希望を捨てきれない」からであり、(もちろんすべての試みがうまくいくとは限らないし、うまくいかない場合の方がずっと多いかもしれないが)私から「文章を書く(他人とコミュニケートする)」という凧糸が奪われたら、今頃、私は宇宙の塵となっていただろう。

「自分はおかしいのかもしれない」と感じる時期は辛いが、それでも自分自身を表現することを続けていれば、必ず何らかの形で実を結ぶ。理解してくれる人は現れるし、自分自身を表現する力も(非常にゆっくりなものであるかもしれないが)確実に自分の身になっていく。こうした手応えを感じることが出来ているからこそ、時に自暴自棄になることもありながら、同時に「捨てきれない希望」の存在に背中を押されて、今という瞬間を生きるエネルギーを獲得していくことができる。

ー 社会性を保ちながら狂え。

私にとって、弱さは常に希望だった。「死にたい」と願う自分は「生きたい」と願う自分でもあり、「こうなれない」と嘆く裏側には、常に「こうなりたい」と激しく切望している自分がいた。何かに手を伸ばし続けている自分、ひとりの、普通の、どこにでもいるような人間の苦悩、そしてよろこび。自分の無力さに打ちのめされてしまう瞬間は辛いが、人間的な弱さにこそ、常に希望は宿ってきた。

弱さは決して美しいものではない。抱えているだけでも厄介なものであり、時には絶望にも似た感情を抱かせる。しかし、弱さの裏側には常に「希望がある」ということだけは、絶対に忘れてしまってはいけないのだと思う。人間的な葛藤を越えて、歓喜に至ろうとする姿勢こそが美しいのだと私は思う。

自分の中のどうしようもない部分と、自分の中に備わっている僅かな希望を掻き集めて、瞬間をぶちまけて輝く。「どうにでもなれ」の自暴自棄と「どうにかなってくれ」の切実な感情に揺られながら、これからも私は文章を綴り、これからも多くの人たちとの時間を過ごしていく。自分の無力さに嫌気が刺す日々を送りながら、それでも生きることを諦めきれないのは「希望」を捨てきれないからだ。

《今後のスケジュール》

【終了】12月15日(月)@京都府京都市
【終了】12月16日(火)@京都府京都市
【終了】12月17日(水)@大阪府大阪市
【終了】12月18日(木)@兵庫県尼崎市
【終了】12月18日(木)@和歌山県和歌山市
【終了】12月19日(金)@大阪府心斎橋
【終了】12月20日(土)@岡山県岡山市
【終了】12月21日(日)@広島県広島市
【終了】12月22日(月)@広島県東広島市
【終了】12月23日(火)@兵庫県宝塚市

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
TEL:07055527106 or 08037252314
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