いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

大切なものは、大切にするほど、大切になる。

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渋谷区松濤のカフェ・ベローチェで、コーヒーフロートを食べている。先刻まで「おはなをあげる」と銘打ち、希望者におはなを配る営みをした。渋谷在住の女性から「おはなをください!」と連絡をもらい、手渡しをしたら「実は最近仕事がつらくて心も体も荒み、おおげさだけど『死にたい』と思っていたのですがおはなを貰ったら『生きたい』と思えました。生まれて初めて、渋谷に住んでいてよかったと思いました!」と言われた。これはうれしかった。「いい仕事をしたな」感に包まれながら食うコーヒーフロートは美味い。人間、いい仕事をしてなんぼである。

 

 

おおまかなスケジュール

5月6日-10日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月11日 昼・群馬県伊勢崎市 夜・FREE!
5月12日-16日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月17日 14時 EVENT@東京都杉並区西荻窪「hana」
5月18日以降、FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月26日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
6月2日 15時 EVENT@千葉県千葉市「N-HOTEL

坂爪圭吾 SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

多拠点生活じゃない。無拠点生活。

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生まれて初めてサーフィンをした。これが良すぎた。波が来る。必死で乗ろうとする。逃す。溺れる。「うおー!」とか絶叫する。ふと、後ろを見ると次の波が来ている。逃した先に、もっと大きな波が来る。そういうことが連発する。人生も似ている。逃した波の先に、もっと良い波が来る。しかし、ボケっと生きているとそれを逃す。逃した波を悔やんでも、なにも生まれない。次の波。次の波だ。反省もしない。後悔もしない。ただ、波に乗る。懲りずに、何度も、懲りずに、懲りずに。

 

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頻繁に聞かれる質問のひとつに「普段はどこを拠点にしているのですか?」というものがある。過去に五億回は聞かれた。多拠点生活、という言葉もある。しかし、私が採用しているのは『無拠点生活』であり、私に拠点はない。居場所もない。居場所がないことを悲しいと思うこともある。が、調子がいいときは「最高に自由だ」と思う。拠点なんかない。居場所なんかない。そんなものはいらない。ただ、サーフィンをしているときは「海が俺の居場所だ」と思う。日光浴をしているときは「太陽の下が俺の居場所だ」と思う。野営をしているときは「地球全体が俺の居場所だ」と思う。要するに、自分がなにかを好きだと思うとき、世界全体が居場所になる。居場所とは、場所ではない。人間だ。なにかを愛する自分の『心』だ。

 

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サーフボードはまあまあ重い。これを担ぎながら「お前の命はサーフボードより軽い」と、誰かに言ってみたくなった。巷には「命は地球より重い」という言葉がある。こんな手垢まみれの言葉に、感動する人間がいるのだろうか。あなたの命は地球より重いのよ!だから生きなさい!などと言われて、自殺をやめる人間がいるだろうか。私だったら「うるせえよ」と思う。だから、私は「お前の命はサーフボードより軽い」と、誰かに言いたい。それで怒られるなら、怒られたいと思った。もっと怒りを引き出したいと思った。私は、人間の中にある『感情のスイッチ』を押したいと思う。怒りを通じてなのか、涙を通じてなのか、形はなんでもいい。相手の生身の感情を引き出したいと思う。表面的なやりとりに、微塵も関心がない。人間、常に、目の前にはふたつの道がある。無難な道と、危険な道。無難な道を選べば、無難な人生が続く。無難な人生の先に、ガッツポーズをできる瞬間がまっている予感は希薄だ。だから、私は、危険に賭けたい。危険な道を選びたいと思う。そんな思いで、私は、意図的に相手の感情を逆撫でしたくなることがある生き物だ。

 

note.mu

 

わたり文庫『自分の中に毒を持て』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本太郎著作『自分の中に毒を持て』です。音楽活動をはじめて以来、周囲から「うまくなれ」とか「うまくなければ音楽をやる資格はない」みたいなことを、散々に言われた。しかし、私は、絶対に言うことを聞かないことにした。なぜなら、そう言う人の顔が「幸せそうに見えなかった」から。幸せそうじゃないひとの言うことを聞いたら、自分まで、同じ人間になってしまうと思ったから。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、沖縄県にわたりました ※※※

 

ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。

熟すということは、技能や熟練とは関係がないというのがぼくの信念だ。芸術は勿論、スポーツも歌も会話もすべて、下手なら、むしろ下手こそいいじゃないか。そう思って平気でやればいい。もっともっと下手にやろうと決心すれば、かえって人生がおもしろくなるかも知れない。むしろ、歌やスポーツや会話のうまいなんて奴にかぎって世間の型や基準のもとに決められちゃって、それに馴らされている人間だ。

だから、うまい奴ほど自分がどの辺の位置に入るのか、まず“基準”のほうを先に考える。

しかし、そんな基準なんて度外視して、下手なら下手なりに、自分は下手なんだと決意すれば、もっと自由な歌い方もできるし、スポーツにしても、ナリフリかまわず自由に動くことができるだろう。

下手ならなお結構、とはぼくが昔から言っていることだ。たとえば、うまいと評判の絵にろくな絵はないし、うまいといわれる歌にしても、ちっとも感動しない。

だからといって、自分からひき退って、ジメジメして下手であることを認めてはだめだ。そうじゃなく、自由に明るく、その人なりのユニークな下手さを押し出せば、逆に生きてくると思う。また、そのほうが人に魅力を感じさせる。たとえば、みんなから歌がうまいといわれている奴だって、自分はうまいけど、やはりあの人には劣っていると思っているものだ。

そういう人の前で、平気で下手に、明るく歌を歌ってやればきっとうらやましがられると思う。うまいという奴にかぎって、いまいったようにどこかにコンプレックスをもっているもので、むしろ下手なことを明るく自認すれば、コンプレックスをもたずにすむじゃないか。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』【青春文庫】

 

大切なものは、大切にするほど、大切になる。

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過去に家なし生活をした。家も金も仕事もない状態で、人間は「楽しく快適に生きることはできるか」という問いを、自分を使って試した。結果、なくてもどうにかなることがわかった。当時の自分を、私は愛している。財産も名誉もあるから幸せ。これじゃ普通だ。財産も名誉も生きるために必要と言われているなにもかもがないのに、それなのに元気。そういう人間の方が、面白い。「あるから元気」は普通。「ないのに元気」が新しい。わたしは、逆が、好きだ。常識の逆を生きて、生きるために必要と言われていることのほとんどをガン無視して、それでも楽しく生きることができることを証明できたときに「ざまーみろ」と言ってやりたい。果たして、誰に、そんなことを言いたいと思うのか。謎だ。おそらく、自分を縛り付けてきた『何者』かに対し、クソガキな自分は、常に中指を立てているのだと思う。

 

音楽も似ている。「上手いから堂々としている」とか「受賞歴があるから堂々としているの」のは、普通だ。逆に「歌唱力がないくせに堂々としている」とか「半端なくヘタクソなのに死ぬほど楽しそうにしている」人間に、私は、魅力を覚える。なぜならば、その人自身が問いになっているからだ。普通、必要とされているものを備えていない人間が、それなのに『幸せそうに生きている』ことが、最高のカウンターパンチになる。そこを目指したいと思う。なんでこいつらは、こんなにダメなのに、楽しそうなんだ。幸せそうなんだ。と、そういう驚きを与えたい。公では歓迎されないこと、悪いとされているものを、肯定したい。自分のアイデンティティを『ある』ではなく『ない』に置きたい。なにかがあるからではなく、なにもないうえで『それでも人間は幸せに生きることができる』ことを、証明してみたい。

 

最高に素晴らしいGWを過ごした。野営をした。波に乗った。肉を大量に食った。涙をたくさん見た。友達の涙。自分の涙。初対面の人の涙。素晴らしい時間を過ごせば過ごすほど、あと、俺はどれくらい生きることができるのか、などと考える。人生は短い。すべてに終わりの瞬間がある。やりたくないことをやっている時間はない。死なないために生きるのではなく、自分を最大限に生かして、死にたいと思う。自分が生きている間に、残したいものはなにもない。ただ生きて、ただ死ぬ。それだけでいい。なにも残らなくていい。ただ、生きている時間、残された時間、どれだけ自分に深く刻みこめる『何か』に出逢うことができるか。それに関心がある。畢竟、面白ければ、なんでもいいのだ。大切なものは、大切にするほど、大切になる。長年愛用してきたものに『愛着』を覚えるように、自分という乗り物【感情】を、時にぞんざいに扱うこともありながらも、大切に扱って行きたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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