いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【6日目・日曜日】自分を越える。

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6日目。花を眺め、珈琲を飲み、海岸を歩く。

 

 

なにもしないとは、ただ、生活を愛することなのだと思う。

 

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🌸🌸🌸5日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

🌻🌻🌻ちーむぜろによる補足配信はこちら🌻🌻🌻

 

twitcasting.tv

 

詩と出会う・詩と生きる

移動中の車内で、NHKカルチャーラジオを聞く。

 

www.youtube.com

 

近藤宏一さんという人物を知り、衝撃を覚える。ハンセン病が悪化して失明をした近藤さんは、やがて「聖書を読みたい」と願うようになる。しかし、自分には視力がない。四肢障害によって手指も自由に使うことはできない。そこで、近藤さんは「唇と舌」を使って点字を学ぶことを決意する。唇だけを使って本を読むとは、舌だけを使って本を読むとは、どんなにか大変なことだろう。「学べ。学ばなければならない」と自らを叱咤激励する近藤さんの姿を思うとき、ああ、と強く動かされるものを感じる。

 

ぼくらの風 

近藤宏一さんの詩に「ぼくらの風」というものがある。

 

ぼくらの風      近藤宏一
 
健ちゃん
萎えたその手にハーモニカは持てるか
いや 持たねばならない
その唇にドレミは唄えるか
いや 唄わねばならない
 
外には風が吹いている
外を吹く風は冷たい木枯らしだ
木枯らしは萎えた手の皮膚をいため足のひびわれに血をにじませる
そして ぼくらにはぼくらの風が吹いている
 
ああ ぼくらの心を吹く風よ
それは決して冷たくない
健ちゃん
萎えたその手にハーモニカを持てるか
いや 持たねばならない
その唇にドレミは唄えるか
いや 唄わねばならない
 
たっちゃんもおなじだ
弘も五郎もみんなおなじだ
テーブルを叩いてリズムをとっているちょねさん
窓辺で手拍子をとっているのは鈴木くん
壁にもたれて天井をにらみつけている義足の輝一
 
みんないま邪魔ものを払いのけるようにして
自分の楽譜を脳裏に刻みつけている
それは ぼくらの心の中を吹く風だ
 
ドラムの川崎のおじさんよ
あなたは五十一才の足でペダルを踏む
浅井くんよ
きみは貯金と借金で買い求めた三千円のギターをはじく

ひとつの思い
ひとつの願い
ひとつの音楽
それらはぼくらの心の風だ
部屋中いっぱい渦をまき ごうごうと音をたてるハーモニカだ
 
健ちゃんよ
萎えたその手からハーモニカを落としてはならない
その唇にドレミを忘れてはならない
きのうまで部屋の片すみでじっと蹲っていた健ちゃん
 
きょうはそのくらさはどこにもない
生かされてきた昨日
生きぬこうとする明日へ
健ちゃん
ためらうな おじけるな
 
窓にはもう月が昇ったであろう
外には風が吹いている
 
ぼくらにはぼくらの風が吹いている
もうみんな覚えたであろう
はじめて生み出すぼくらの歌
みんなでいっしょに風の中へそれを流しだすのだ
 
さあ 用意はいいか スタートだ

 

何回も、何回も、読み直す。

 

ひとりはさみしい 

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ホナウナウ湾

 

昔、20歳の頃に「ひとりはさみしい」という詩を書いた。

 

ひとりはさみしい ひとりはつらい

 

たったこれだけの、詩とも呼べないような、みじかい言葉だ。

 

ひとりはさみしい ひとりはつらい

 

たったこれだけの言葉なのに、33歳になったいまになっても、何度も何度も思い出す。今日の日没後、マーケットで買い物を済ませて、外に置いてあるベンチに座りながら、ひとり食事をしていた。暗くなっていく空を眺めながら、この詩「ひとりはさみしい」を思い出していた。いま、自分は、誰でも自由に立ち寄れる居場所をつくるためにハワイにいる。みなさまの協力のもとに生かされてある日々、感謝の思いが尽きることはないが、それでも「さみしさ」を覚えることはある。これは、誰かといたいと願うさみしさではない。なにかこう、もっと根源的なさみしさ、決して埋め合わせることのできないようなさみしさなのかもしれないと思う。

 

ひとりはさみしい ひとりはつらい

 

今日、この言葉を思い出しながら「ああ、これは自分ひとりのつぶやきだと思えば弱音みたいに聞こえるけれど、これが人類全体の叫びだとしたら、さみしいのは自分だけではないのだという慰めを与えてくれるものになるのだなあ」ということを思った。自分ひとりだけのつぶやきは、ただの弱音でしかないのだろう。しかし、人類全体の叫びや嘆きを代弁できたとき、それは弱音を越える。自分を超えた言葉になる。「自分を超えた言葉になる」ということ。言葉を超えて、詩になるということ。ひとつの音楽になるということ。わたしがやりたいと思っていることは、わたしが行きたいと思っている世界は、この境地にあるものなのだと、暮れる空を眺めながらぼんやりと考えていた。

 

世界を作る

昨夜、一通のLINEをいただいた。

 

坂爪さま、

叔母が、背骨三箇所骨折し、

病院から、マンション自宅には、帰れず、

老人介護施設を探しています。

 

どこも、まぁ、暗い!

 

こんな施設の世話になりたくない、と、強く思いました、、、

坂爪さまに、

年を取ることが、

怖くない世界を作って欲しい、

なぁ、と、思います。

 

早く、死にたいと、

思わなくてよい、世界

 

誰でも自由に使える居場所があったらいいなと、そこはきっと「特定の人種だけがまるで隔離をされているように置かれているのではなく、あらゆる人種がごちゃまぜになって、それでいて調和が成り立っているような場所になったらいいな」と思い、わたしはこの家の名前をごちゃまぜの家と名付けた。第一弾は日本の横浜にできた。第二弾をハワイに作りたいと思って、今回、なんのあてもないままにハワイに足を運んで6日の月日が流れた。それを見て、この言葉を投げかけてくださった方がいる。実感のこもっている言葉だと思い、私自身、ごちゃまぜの家がそのような役割を担うことができたらどれだけ素晴らしいだろうかと思う。

 

ー 年を取ることが、怖くない世界

 

そして、

 

ー 早く、死にたいと、思わなくてよい、世界

 

このような世界にしていきたいのだ。

 

自分を越える。

近藤宏一さんは、その詩のなかで「持たねばならない・唄わねばならない」という言葉を使う。私は、昔から「この世の中に『こうあるべき』なんてことはひとつもない」ということを思いながら生きて来た。なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。どこにいってもいいし、どこにもいかなくてもいい。自分にも、他人にも、強制をされる必要はない。あなたは(私は)あらゆるものから自由なはずだ。そんな風に思って生きて来た。だが、近藤さんが使う『こうあるべき』という言葉には、わたしが反抗をしてきたものとは全く違う、崇高な決意の尊さが、圧倒的な響きをもってわたしの胸に迫って来た。

 

これは「自分を越えようとするものの決意」だと思う。なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。その通りだ。唇で本が読めないとしても、舌で本を読めないとしても、誰一人として近藤さんを責める人間はいないだろう。置かれている状態が状態なのだから、唇や舌を使う努力を近藤さんがおこたったとしても、誰も近藤さんを責めることはない。しかし、なのだと思う。ここで、近藤さんは自分自身を超えるために、(聖書の言葉を得ることで)新しい自分になって生まれ変わるために、あえて、自分自身に「学べ。学ばなければならない」という強い言葉を使ったのだと思う。

 

その気持ちが、いまの自分にはわかる。近藤さんは、自分の障害を乗り越えることによって、あとから続くものに『何か』を贈りたかったのだと思う。その何かとは、乱暴にまとめると「人間が人間を見限ってしまわないこと」だと思う。お前には無理だ。お前には力がない。お前には愛される価値がない。様々なひとが様々な否定的な意見を述べる。そんななかで、それでもなお、ひとりの人間が己の生き様を通じて「そんなことはないぜ」「自分にだってできたぜ」と示すことが、あとから続くものにどれだけ大きな勇気や慰めを与えることになるだろう。人間が人間を見限ってしまわないこと。ひとりひとりの存在は小さなものだけれど、ひとりひとりに与えられた役割は大きなものだ。今世の自分の役割は、自分の生き様を通じて、人間に与えられている可能性を示すことなのだと思う。そのためにこそ生きているのだと、そのためにこそ生きていきたいのだと、私は思う。

 

https://www.instagram.com/p/Bf7aYlDDMwj/

ひとりひとりの存在は小さなものだけれど、ひとりひとりに与えられた役割は大きなものだ。 #hawaii #BillyGyallow #lifeisgood #smile #peace #happiness #lifegoeson #今日もありがとうございました

 

坂爪圭吾さま
 
はじめまして。
○○○○○○と申します。
 
困難な日々を生きている者です。
 
「夜明け前が最も暗い」と信じているので、
自分の置かれた状況に絶望することなく
明るい気持ちで過ごしています。
 
そんな私にとって坂爪さんのブログやツイートを読むことは
ご飯を食べることや息をすることのように
それ無しでは生きていけないほど必要不可欠なことです。
 
いつもありがとうございます。
 
今日、突然思いついて
自分が大好きな数字のゾロ目の額を
お賽銭として振り込ませて頂きました。
わずかな額ですが、感謝の気持ちとして贈らせてください。
 
坂爪さんはただ生きて思いを文章にして発信してくれるだけで
大勢の人たちにとってありがたい存在になっていると思います。
 
これからもよろしくお願いします。
 
○○○○○○

 

本日はコナジョーコーヒーで休息日です! #なにもしない勇気 #心の声に耳をすませる #そんなことってできるのかな #いけないいけない自分で自分を疑ってしまってはいけない #いっぷんきゃぷてんくっきんぐ #コナジョーコーヒーはワイファイ完備 #素敵 #紙に色々書いたり景色を眺めたりしながら時間を過ごします #なにもしない時間大事 #夕暮れ時の景色がすごそう #生きていることに感謝 #生まれてきてよかったなあ #おかあさんありがとう #みなさまいつも本当にありがとうございます #あなたのおかげでわたしがあります #謝謝 #超絶謝謝 #謝謝forthepeople #目の前にいたら抱きしめているところですよ #smile #happy #havefun #goeasy #いま目の前にトカゲが来てうれしい #happy #たしか幸福の象徴だったような気が #荷物の少なさを自慢 #愚か #自分を偉いと思う人間に偉い人間ないない #be謙虚 #今日も素晴らしい1日になりますよーに!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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