【5日目・Church-Kalapana Painted Church】奇跡は余白に舞い込む。
みなさまおはようございます!
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow (@KeigoSakatsume) 2018年3月3日
5日目はハワイ島の教会を巡ります。内村鑑三は著作「後世への最大遺物」で、金銭と事業と思想の三点をあげていますが、それらのないひとも『高尚なる勇ましい生涯』を遺せると書いていました。そして、それこそが最大遺物であると。
神のご加護がありますように…! pic.twitter.com/H40abaCfQ6
昨日、ブログ読者の方からこのようなメールをいただきました。
坂爪圭吾様こんにちは。初めまして。いつもブログを拝見し、あたたかさや勇気をいただいています。いつも素敵な文章をありがとうございます^^例えばこのサイトなどで確認できます。今日のブログを拝見して、理由はよくわかりませんが、このことをお伝えしたほうが良いような気がして、直感に従って取り急ぎメールしました。ハワイでのご活動が、大きなものの意思によってあるべきところに運ばれて行きますように、心よりお祈りしています!
なんだかものすごい驚いてしまった。いままでも、多分、これはわたしの髪の毛が長いからだとは思うのだけれど、さかつめさんはキリストみたいですねと言われることが定期的にあった。事実、私の目を見た瞬間に泣き出してしまうひともいままでに何人もいたし、私と出会ったあとに「数十年来の飲酒癖がなおった」とか「冷え性がとれた」とか「原因不明の涙がとめどなく流れた」とか「心の重荷が消えた」とか「謎に家族仲が円満になった」などなど、驚きの証言をいただくことも頻繁にあった。誤解をされると困ってしまうのですが、自分はすごい人間だなどと言いたい訳ではなく、ただ、このような出来事が実際に目の前で起こっているのを目の当たりにしたときに、どのようなリアクションをとればいいのかわからずに戸惑ったことが頻繁にあるということを(これは甘えなのかもしれないけれど)読者の方にも知ってもらえたらなどと思い、いま、この記事を更新している。
🌸🌸🌸4日目の記事はこちらです🌸🌸🌸
代表的クリスチャン・内村鑑三
そう言えば、私の誕生日はザビエルと同じだったなあと思い出しながら運転をする。移動中の車内では「100分で名著」というNHKの番組を聴く。今日は教会を廻るのだからキリスト教に関連のあるものにしようと、代表的日本人でおなじみの内村鑑三を選ぶ。指南役は若松英輔さん。この会が最高に素晴らしいもので、車を運転しながら多分54回は強烈な感動を覚えた。言いたいことはここに全部言われているといっても過言ではないほどに、珠玉の言葉が散らばっている(何度でも聴きたい)神回だと思う。本当に素晴らしかった。是非、みなさまも聞いて見ていただけたらうれしいです。
サウス・コナ〜ヒロ〜カラパナ
ゲストハウスのあるサウスコナからヒロを目指す。片道2時間の道中は、ただ、何もない道路が延々と続く。途中、一箇所だけ休憩所がある。そこに立ち寄り、昨日のうちに買い込んでおいた食料で昼食を済ませる。基本、欧米や欧州遠征中の食事は「パンとサラミと適当な果物」で済ませることが多い。サラミを丸かじりして、パンをかじる。この繰り返しがなんだか落ち着くと同時に好きだ。比較的大きめのサラミを丸かじりしていると「まだまだ生きるぜ」という野生的な気持ちになってしまう。多分、この感覚が好きだからりんごとかきゅうりとかも丸かじりをすることを好むのだと思う。
カラパナの海岸
ハワイ島は地域によって天候がまったく違う。長距離移動をしていると、快晴と豪雨の両方を1日の間に楽しめる。コナ空港のある西海岸側は晴れが多く、ヒロ空港のある東海岸側は雨が多い。海の雰囲気も結構違って、西海岸は穏やかな太平洋に近く、東海岸は日本海のような厳しさがある(ように感じたけれど実際は違うのかもしれない)。
カラパナ・マーケット
Star of the sea Church-Kalapana
目的地の教会に到着し、マリア様と対面をする。穏やかな笑みを目の当たりにして、自分のなかにあるこわばっている部分を意識する。ごちゃまぜの家なり空間なりを見つけることに躍起になってはいないかと、神の手に委ねますなどと言いながらいまだに自力に固執をしてしまってはいないかと、我が身を鑑みる機会になる。神聖な気持ちになることと、からっぽになることは似ている。なにかをぎゅっと握りしめているうちは、はいってくるものもはいってこない。自分がからっぽになるほどに、その余白の部分に神【奇跡】は舞い降りてくるような感覚を覚える。
Star of the sea Church-Kalapana Painted Church #kalapana #hawaii #scenic
奇跡は余白に舞い込む。
教会を出てから「明日はなにもしない1日にしよう」と決める。わたしのなかには、(せっかくハワイまで来たのだから・みなさまの協力の元にこの日々があるのだから)なにかをしなくちゃいけない・なにか特別な功績を残さなくちゃいけないという強迫観念にも似た思いがある。しかし、自分が定めた信念や想念が自分を縛り、やりたいとおもってはじめたことがいつの間にか「やらなくちゃいけない」なんてことになってしまうこともある。いままでは、そのことをあまりよくないことだと考えていた。が、今回のハワイにおいては「やらなければいけない」という壁を超えた先の世界、そういうものを見てみたいという思いがある。意思が道を開くということを、言葉ではなく経験として体感をしたいのだと思う。
過去に家のない生活をしていたころ、奇跡は余白に舞い込むということを経験的に学んだ。予定をいっぱいにしている限り、予定の範囲内の出来事しか起こらない。自分で決めるということは大切なことだとは思うけれど、余白のない日々を過ごしていると、自分が決めたことだけしか起こらない日々を過ごすことになる。他者が介入してくる余地や、奇跡的な出来事が介入してくる余地を、大袈裟な言葉で言えば「自らの手で封印をしてしまっている」ような状態になる。なにかをすることと同じくらい、なにもしない時間を設けることも大事なのだろう。そして、なにもしないことには、なにかをすることと同じくらいタフな精神力を必要とする。たおやかさを身にまといたいのだと願う。
家のない日々があったからこそ、荷物の少ない旅路を選んだからこそ、ひとの力を頼る必要性が生まれた。わたしが、かつて、これほどまでに多くの人々の支えを得ることができた一番の理由は、自分自身になにか特別な能力や才能が「あった」からではなく、生きるために必要なものがわたし自身には「なかった」からだ。わたしと他者を結びつけてくれたものは、わたしにあったものではなくてわたしに「なかった」ものになる。わたしに欠落があったからこそ、わたしは他者と繋がることができたのだ。自分に「ない」ものを通じて、わたしは他者を必要とすることができる。奇跡は余白に舞い込むということ。自分のなかにある欠落【弱さ】を認めること。それで生きると決めること。そのとき、静かなる声が聞こえてくるだろう。余白を「なにも生み出していない非生産的な時間」ととらえるのではなく、自分のこころの声を聞くための時間、自分のなかにある欠落を必死で埋め合わせるようとするのではなく、自分に欠落があるからこそ世界と繋がることができるのだということを、いま一度再認識するための時間になればいいと思う。
心配をすることは「あなたには力がない」ことを伝える否定的な力があり、信頼をすることは「あなたには力がある」ことを伝える肯定的な力がある。心配よりも信頼をしよう。大袈裟な言葉になるけれど、自分を含めた『人間に対する信頼』を取り戻すことができた時、多分、世界は平和になるのだと思う。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow (@KeigoSakatsume) 2017年6月17日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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