死にたいのではなく『温もりに触れたい』のだ。
1・疲れてぶっ倒れるまで散歩をすること。
99人から賞賛を受けても、たった1人からでも罵倒を浴びれば、どうしても自分の意識は1人の人間に向かってしまう。そういう時は、99人の存在も簡単に見失ってしまう場合もあるけれど、多分、惑わされてはいけないのだと思う。何処に意識を向けるのかは、自分の意思で選択できるはずだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月27日
2・自分を使って相手を幸せにすることが愛情ならば、相手を使って自分を幸せにすることは執着になる。
仕事を変えても、パートナーを変えても、親子関係が変わらなければ何も変わらないのだと思う。親の価値観と自分の価値観は別物だから、そこはしっかりと分けて考えること、多分、分けることが許すことに繋がる【分けることができないから許せない】のだと思う。親は親。自分は自分。以上!!
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月30日
3・自分を大切に扱うということは、言葉を大切に扱うということだ。
4・死にたいのではなく『温もりに触れたい』のだ。
死にたいのではなく『温もりに触れたい』のだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月29日
5・誰かを抱き締める時、同時に、自分も抱き締められている。
相手を傷つける言葉を使った瞬間に、自分の心を同時に傷つけている。目の前にいる人間を愛するようにつとめることは、そのまま、自分を愛することにもつながる。男と女とか、自分(自国)と他人(他国)とか、勝ち組と負け組とか、境界線に見えるもののすべては幻想で、全部、自分なんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月29日
6・何もしない優しさ。
何もしない優しさもあるのだと思う。相手に優しさを求めたり、相手にすぐに何かをしてあげたくなることは、時に「そのひと自身の中にある力」をダメにしてしまう。何もしなくても、誰の力を借りなくても、自分には既に力があるのだと信じられるようになることは、最大の優しさになると思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月25日
7・きっと、すべては流れている。
行雲流水の五月だ。 pic.twitter.com/iSwkuoTZPP
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月7日
8・天を相手にし、人を相手にするな。
ひとに理解を求めるよりも、天に恥じない覚悟を決めれば、自然と心は落ち着くはずだ。周囲の人々は散々なことを言うけれど、言い返すでもなく、見返してやるでもなく、自分は自分が思う誠実さのど真ん中を生き続けること。最悪を受け入れる覚悟を決めれば、多分、大概の問題はどうにかなる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月23日
9・毎日が出発で、毎日がゴールだ。
何度でも、何度でも、はじめるんだ。 pic.twitter.com/9yp08Cysez
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月2日
問答無用で、絶品です。
10・他者を貶めることで自身を高めるのではなく、共に、飛翔する翼がある。
俺はすごい人間なのだと【自分の正当性を】声高に叫んでいる間は、まだまだ、二流の人間なのだと思う。真に素晴らしい人間は、そのひと自身だけではない、一緒にいる人間にまで「自分には力があるのだ」と思い起こさせる。他者を貶めることで自身を高めるのではなく、共に飛翔する翼がある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月7日
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月22日