【MMJ-上田市】「みんなと仲良くしなければいけない」という嘘。
1・トイレットペーパーがなくても人間は死なない。
これから数日間は、天気が良いのでバイクにテントを積んで暮らすことにしました。今夜は新潟県の柏崎に泊まり、明日の昼間には長野県の上田に入ります。飯盒と時間だけはある(暇)ので、月曜からは「お米粒くださいツアー」に出掛けるかもしれません。 pic.twitter.com/XEPDIIVSlE
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 25
2・笑顔の中に泣き顔がある。
最近、様々な局面において「お互いに気を遣い合って、結果的にお互いがすり減っている」と感じることが多い。多分、『いい人でいなければいけない(みんなと仲良くしなければいけない)』という同調圧力みたいな自意識が、あまり良くない形で実を結んでいるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 23
3・「みんなと仲良くしなければいけない」という言葉の裏側には「みんなと同じでなければいけない」という謎の同調圧力が隠されている。
「みんなと仲良くしなければいけない」と言うのは大嘘で、嫌いな相手に媚びる努力を続けていると、自分の中から自尊心が消え失せてしまう。逆説的だけど、誰かのお願いを断ったり、みんなと仲良くするのをやめた(いい人をやめた)時に、絶対的な自分に対する『誇り』を抱けるようになる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 26
4・「このひとたちといる時の自分が、一番好きだと思えるひとたち」と一緒にいよう。
この人でもいいかなじゃなくて、この人といたいと思える人といること。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 24
5・潜在的な「家出ボーイズ&ガールズ」
長野県上田市の空き地に兵庫県の男子と福岡県の女子と一緒にシートを広げて貰った白米を飯盒で炊き、貰ったおかずを食べ、横になり、しばらく眠るという時間を過ごした。謎に仲間が増えている。潜在的な家出男子(女子)は、自分が想像している以上に日本にはたくさんいるのかもしれない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 26
6・大前提として「生きているだけでいい」
様々な人に会うと、普通の人なんてものはこの世にひとりもいないのだということと、人にはそれぞれ事情があるということを痛感する。そして、ひとりひとりが様々な事情を抱えながらも「それでも生きている」ことに変わりはないのだから、極論、生きているだけで百点満点なのだと思いました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 26
7・ざっくりやることに、ざっくりお金をもらいたい。
「大丈夫?」という心配よりも「大丈夫!」という信頼をしよう。親子関係で目にすることが多いけれど、多分、心配は人間の可能性に蓋をする。恐れることと注意深くあることは別物で、不安ベースの『心配』よりも、希望ベースの『信頼』を軸に行動すれば、人間は意外と大丈夫だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 25
8・坂爪圭吾は「今世はバグろう」と思っている。
他人に理解してもらうことにエネルギーを注ぐよりも、自分が選んだ道をピースフルに生きている(普通の人は行かない領域に、ズンズンドコドコ進んでいく)姿を見せる方が、圧倒的に効果的だし、勝手に説得力も増していく。人を動かすのは「(優等生的な)正しさ」よりも「楽しさ」だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 22
9・自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をするということ。
半年前の自分のブログ記事を読むと非常に恥ずかしい気持ちになるので、半年後の自分も、いまの自分のブログ記事を読みながら「こいつは恥ずかしい奴だ」と思ったりするのだろう。自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をすることとイコールなんだなあと思いました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 21
10・すぐ忘れちゃうけど何回も思い出そう!
すぐ忘れちゃうけど何回も思い出そう!今、自分が「幸せ」かどうかは、自分が決めて良いってこと!何が起きても、自分は「大丈夫」だって、決めるのは自分だってこと!大好きなあの人は、私を幸せにできない。大嫌いなあの人は、私を不幸にはできない。私だけが私の人生を決めれる!なんてブラボー‼︎
— mayu@Yokohama (@harapekoyama) 2015, 5月 21
滝で淹れる珈琲は美味い… pic.twitter.com/cbmI3sZPt6
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 26