いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【真実の女性】「何かをしなければいけない」という思い込みから自由になって、窓の外を眺めよう。そこに世界がある。

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京都と大阪を巡った後に、関西空港から1990円の格安航空券で那覇空港に到着した。昨夜宿泊したゲストハウス「リトルアジア」は一泊1000円で利用することが出来た。沖縄は既に春で、街中には半袖で出歩いている人達も頻繁に見かける。温暖な気候に触れるだけでも多幸感を覚えることが出来るため、格安航空券が普及している今、日帰りで海外に足を運ぶ《POPな人達》が増殖していくような気がしている。

1・「死にたくなったら三十三間堂に行こう」

最近思うことや出来事のあれこれを10カ条(?)にしてまとめます。京都では伏見稲荷大社銀閣寺&三十三間堂を巡り、個人的には三十三間堂が安定の素晴らしさだった。凛とした空気の中に、千体の千手観音が所狭しと並ぶ様は圧巻で「仏像の森」とも呼ばれる由縁を肌身で実感する。精神的におちぶれた時は頻繁に足を運びたいと思った。『死にたくなったら行きたい場所』を獲得するのは、個人的な精神的支柱にも繋がる。言葉を失い、ただただ慰められる。ー 死にたくなったら三十三間堂に行こう。

2・「みんなと仲良くしなければいけない」という嘘

様々な場所を巡りながら、同時に様々な思考を巡らせていた。私は「何が人間から自由を奪うのか?」について興味があり、最近では「みんなと仲良くしなければいけない」という強烈な同調圧力と、「何かをしなければいけない」というある種の強迫観念が、人間から自由を奪っているような気がしている。前者に関しては、過去にブログ記事でまとめました。


3・「何かをしなければいけない」という嘘

私の中には「常に何かをしていなければいけない(何もしていない自分には価値がない)」という、ある種の強迫観念のようなものがある。今では、こうした思いから自由になりたいと思っている。私は、昔から自己肯定感の低い日々を送っていたので、何かをしなければ誰も自分のことなど見てはくれないだろうなと思っていた。自分は無価値な人間だ。だから、誰かに振り向いて欲しければ、何か特別なことをしなければいけない。何か特別なことを出来た時、はじめて自分自身も「特別な存在になることが出来る」と思っていた。しかし、このような思考の元では「特別な存在であるためには、常に特別な何かをし続けなければいけない」という、終わりのない生産(?)の日々を送る羽目になってしまう。


4・大事なのは「特別な何か」ではない。

現在の私は、2015年の1月に初対面を果たした「みっつ」という24歳の男性と行動を共にしている。みっつとの出逢いについては、これもまた過去のブログ記事『人生を変える出会いについて』にまとめている。父親の方針により一切の義務教育を受けずに育ったみっつの存在は多くの人の心を動かし、今では「はるばるみっつに会うため」に、県外からも私たちに会いに来てくれる人達がいる。


5・東京から大阪まで来てくれた女性について

2015年1月17日(火)の11時頃、私達は大阪にある万博記念公園まで岡本太郎の「太陽の塔」を見るために足を運んでいた。その数日前、東京に住む女性から「みっつさんに会いたいので、大阪で合流してもいいですか?」と連絡が届いた。私たちは万博記念公園で合流し、太陽の塔を眺めながら、公園の中を散策し、電車で天王寺まで移動をして、車内で幾らか会話を交わし、一緒に立ち食い蕎麦を食べた。

途中、実はこの日が女性の誕生日であることが判明した。「誕生日なので、何か特別なこと(普段はやらないこと)をやろうと思って、そしたら『坂爪さんとみっつさんに会いたい』という思いが湧いて来たので、特に何かを話したいと思った訳ではないのですが(心のままに)連絡をしました」と女性は話してくれた。あまり時間もなかったので、この日に女性と過ごせた時間は二時間程度だった。

帰り際、女性は「坂爪さんとみっつさんのサインをお願いします」と手帳を差し出してくれた。私は、出来るだけ気持ちを込めて自分の名前と、そして女性の名前を書いた。そして私達は別れた。特別な何かをした訳でもなく、ただただ一緒に時間を過ごしただけの「何処にでもありふれた」時間だった。

6・自分の気持ちに素直に行動する。

私達は沖縄に向かうために関西空港へと向かう電車に乗った。途中、さっきまで一緒にいた女性から連絡が届いた。そこには、以下のような文面が綴られていた。私は、この言葉にこそ真実が込められているような気がして、「何かをしなければいけない」という強迫観念から自由になれた気がした。
今日は短い時間だったけど楽しかったです!特に何をしたわけでもないし特においしいもの食べたわけでもないですが、楽しかったしなんか感動しました。一番の感動は、みっつさんが弟さんを「愛しています」と真っ直ぐ言い切ったことと、最後に圭吾さんが気持ちを込めてわたしの名前を書いてくれたことです。なんか知らないけど泣きたくなりました!
大事なのは、特別なことをしたりすごいことを言ったりすることじゃなく、とにかく自分の気持ちに素直に行動することだな、というのが今日感じたことです。最高の誕生日です。では、引き続き良い旅を!!!


7・「何か知らないけれど泣きたくなる」

言葉では説明することができない感動があり、それは自分で実際に体験したことがある人にしか分からない「何か知らないけれど泣きたくなる」瞬間がある。それは、算数のような公式がある訳でもなく、『こうすればこうなりますよ』という単純な化学式では到底説明することが出来ない領域がある。

8・「体感こそがすべて」ということ


「自由」も「感動」も「何か知らないけれど泣きたくなる瞬間」も、頭で理解する類のものではないのだろう。それは『自分自身の身体を通じて、実際に体感するもの』であり、おそらく、現在の私たちは色々なことを頭で考え過ぎている。重要なのは「思考」よりも「経験」であり、実際にやったことがある人には分かるけれど、実際にやったことがない人には永遠に知ることが出来ない領域がある。

9・男と女について


女性から教えてもらうことが大量にある。私は男だから、男目線の世界からしか味わうことが出来ない物事がたくさんある。男は考える生き物で、女性は感じる生き物である。そのようなことを考えている(まさにこの瞬間も「考えて」いる)。男は弱い。弱いから吠える。弱いから彷徨い続けている。

10・「生きているだけで嬉しい」ということ

私は今、那覇市内の国際通りにある喫茶店からこの記事を更新している。目の前にはみっつが座っている。四苦八苦しながらブログか何かを更新していて、同じ空間にいながらにして、まったく別々のことに取り組んでいる。ふと、客観的にこの状態を眺めてみた時に、単純に「面白いなあ」と私は思った。

今から一ヶ月前はお互いに話したこともなかった人間同士が、こうして遠く離れた沖縄という場所で、同じ時間を過ごしている。昔の自分には想像することもできなかった未来を、現在の私たちは生きている。一年前には知らなかった人間同士が、一年前には訪れたことのなかった場所で、一年前には考えてもみなかったことを考えながら、感じながら、全身を通じて味わいながら『この瞬間』を生きている。

特別な何かを必要とするのではなく、同じ空間を共有するということ、太陽の光を浴びながら外を歩くということ、海を眺めるということ、喫茶店でお茶を飲むということ、美味しい食事を食べるということ、他人とコミュニケーションを交わすということ、呼吸を繰り返しているということ、生きているということ。ー そんな「ありふれた日常」の中にも、新鮮な輝きは満ち溢れている。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
TEL:07055527106 or 08037252314
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