いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【男と女の違いについて】女性の言葉は「お告げ度」が高い。ー いがみ合っている場合ではなく、お互いに助け合うこと。

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沖縄県に来ている。神の島とも呼ばれている久高島に足を運び、本島では首里城を訪ね、隙間時間は太陽を浴びたり読書をしたり会話をしたり文章を綴りながら時間を過ごしている。北谷町宜野湾市ではトークセッションも開催していただき、様々な方々との対話も重ねた。不思議と「男と女の違い」について考えさせられる機会が多く、その時々で感じたことを10か条(?)にしてまとめます。

1・「張り合う男性」と「受け入れる女性」

私の文章に共感を寄せてくれる方や、実際に私が出演するトークセッションに参加してくれるのは7〜8割が女性で、私が発言する内容に批判を寄せてくるのは大半が男性になる。この現象がずっと不思議だった。過去に「人間は所有することが出来ない」という意味合いも込めて『不倫肯定論』という記事を書いたら見事に炎上してしまって、3日で10万アクセスを越えて多くの賛否両論が集まった。驚いたことに、批判の100%は男性からで、その内容は「けしからん」「気に食わない」「バカなことを言うな」という感情的なもの(一方的に押さえつけるもの)が大半だったのに対して、共感を寄せてくれるのは女性が多く、その内容は『自分自身の実体験に基づいたもの』が大半だった。


2・男性は思考の幅が広く、女性は体験の幅が広い

ある女性の方から連絡が届いた。「私は結婚をしているのですが、旦那のことも愛しているのですが、同時に他の人も好きになってしまったことがあって、その時は『私はなんて罪深いことをしているのだろうか』という自責の念に駆られてしまって本当につらかった。恋人が出来たと言えば「おめでとう!」とみんな言ってくれるし、結婚をしたと言えば「おめでとう!」とみんな言ってくれるのだけれど、旦那さん以外に好きな人が出来たと言えば「やめておけ」と言われてしまいます。『誰かを好きになる』という点においては同じことなのに、人を愛するということは根本的に素晴らしいことだと思うのに、許される愛と許されない愛があるのが不思議だと思っていた中で、坂爪さんの文章に出会えた時は『同じことを考えている人がいるんだ!』と感じることが出来てほんとうに嬉しかったです」

このような形で、自分自身の実体験を交えた共感のメッセージをいただくことが頻繁にある。このような経験を通じて、私は女性自身の『体験の幅』の広さを感じるようになった。私が発言する内容に対して、女性自身の体験と照らし合わせながら、場合によっては「強く共感」してもらえることが多い。

3・考え過ぎる男性と、あまり考えない女性

私自身は男性なので、男性目線から世界を眺めている。乱暴に分けると、男性は「1000(考える):10(感じる)」生き物であるのに対して、女性は「10(考える):1000(感じる)」生き物であるような印象を受ける。男性は考えるのが得意で、女性は感じることに優れている。女性はフットワークが軽く、好奇心の幅も広いので「(あまり考えることなく)とりあえず行ってみる」人が多い。それに対して、男性は「本当に行く価値があるのだろうか」などと考え過ぎて、実際に身動きがとれなくなってしまう場合が頻繁にある。この傾向は私自身にももちろんあり、要するに『頭で考え過ぎている』。

4・女性の言葉が理解できない男性


現在の私に彼女はいないが、昔、付き合っていた女性が「今日はこんなすごいことがあったの!」と、その日の出来事を私につぶさに話してくれることが頻繁にあった。声のトーンから何かに強く感動していることはわかるのだが、口から飛び出す言葉が「とにかくすごいの!」という非常に抽象度の高い言葉であるために、(精神的に貧しい男性視点の頭で理解するには)情報量が足りず、正直に言えば「何がそんなにすごいのか何も伝わってこないぞ!」と思ってしまうことが頻繁にあった。

私が全然理解していない姿を見て、女性の方も「何でわからないの?(こいつはバカなのか?)」みたいな感じで如実にイライラしはじめてくる。ここにひとつの不和が生じる。男性は「もっとわかりやすく話してくれ!」と感じて苛立ち、女性は「なんでわかってくれないの!」と感じて苛立ってしまうシーンは、この世の中に無限にあるような気がしている。

5・実体験に基づいた情報こそ最強

私の文章に共感を寄せてくれるのに女性が多い理由は、女性の「体験の幅の広さ」に理由があるのではないだろうかと感じている。私は、基本的には「自分が実際に体験したこと」をベースに、その時々に感じた自分の感動をもとに文章を綴っている。実体験がベースになっているために、どうしても『実際に体験したことがある人にはわかるが、実際に体験したことがない人には永遠にわからない』領域を含んでしまう。「知っている」ことと「理解している」ことは別物で、どれだけ知識や情報として『朝陽の美しさ』を知っていたとしても、実際に見たことがある人とない人の間には気の遠くなるような違いがある。

6・女性は「自由の定義は何ですか?」なんて聞かない

稀に、トークセッションの最中などに男性陣から「坂爪さんにとって『自由』の定義とは何ですか?」という面倒臭い質問を受ける。私はこうした質問に答えることが非常に苦手で、まるで苦虫を噛んだような苦悶の表情を浮かべてしまう。「自分が自由だと感じたら、その瞬間から自由なんだ」と私自身は思っているが、その程度のアンサーで納得してくれるような男性陣ではない。

私にとって、基本的なすべての事柄は「頭で理解するもの」ではなく「自分自身の体験を通じて理解するもの」だと思っている。砂漠のど真ん中で両手を広げて空を仰いでいる瞬間に「俺は自由だ」と感じる人もいれば、日光を浴びながら散歩をしている時に「私は自由だ」と感じる人もいるし、航空券を予約した瞬間に自由を覚える人もいれば、刑務所の中でも感じることができる自由もあると思っている。

ふと、女性から「言葉の定義」について尋ねられたことは皆無だな、と思った。「(自分自身の『知識』と照らし合わせながら)頭で理解しようとする」のが男性なら、「(自分自身の『体感』と照らし合わせながら)感覚で理解しようとする」のが女性なのかもしれない。

7・女性の言葉は「お告げ度」が高い


現在、沖縄生活を共にしているみっつが「男性は真理や自由を求めて彷徨うけれど、女性は存在そのものが真理であり、自由であるような気がしました」と言っていた。非常に感覚的な話になるが、女性は「とっくに答えを知っている(自分自身の答えの中を生きている)」ような気がしている。

天真爛漫に生きる女性は、ふとした瞬間に「真理を口にしている」ことが多い気がする。しかし、そうした言葉は抽象度が高いために、男性陣は頑張って言葉の本意を汲み取らなければいけない。卑弥呼の時代などは、何かこう「女性が神からお告げを受け取り、それを言葉にし、男性陣が死力を尽くして本意を汲み取る(翻訳する)」みたいな『女性主導(?)』の時代だったのでないだろうかと睨んでいる。男性陣は、女性陣が口にする数少ないヒントの中から、真実を汲み取る必要がある(気がしている)。

8・「男はロマン、女は不満」理論について

「男はロマンに生きる、女は現実を生きる」みたいなことは頻繁に言われている。私自身が男性なので、この感覚は非常によく理解できる。男の子的な心理として「冒険」に憧れる感覚はどれだけ年齢を重ねても自分の中に根強く残っているし、常に同じことばかりをしていると「自分が腐っていくような」感覚を覚えてしまう。ロマンがなければ生きていけない、阿呆な生き物が男であると思っている。

そんな愚かな男性を見て、呆れる女性が多数いることはわかる。「男はロマン、女は不満」とはよく言ったもので、この溝をどのように埋めたらお互いにハッピーになれるのだろうか、私には答えはわからない。ただ、生き物として「ロマンを追い求める」青臭い愚かさが男性(少なくとも私自身)の中には強烈に備わっていると思う。こうした感覚が女性にもあるのかないのか、私には皆目見当がつかない。

9・イメージよりも圧倒的現実

これはすべてに言えることだけれど、自分が自分の頭の中で考えていること(先入観や思い込みや単なるイメージ)と、実際の現実の間には絶対的な違いがある。これは恐怖心や不安を覚える心理とも通じるものがあり、何よりも重要なのは「現実を直視すること」だと思っている。

自分のイメージで相手を判断するのではなく、「これだから女は(これだから男は)」という先入観を持って接するのではなく、相手がどのような気持ちで生きているのかを、先読みすることなくしっかりと受け入れようとすること。わからないところがあれば「わからないから教えて欲しい」と素直に口にすることから、お互いのことを理解するためのコミュニケーションが生まれていくのだと私は思う。

「わからない」と言えることは勇気であり、そこから会話はスタートする。何かを決めつけることはやめて、何かを思い込むこともやめて、先入観やイメージから可能な限りの距離を置いて、「こいつは敵だ!」と決め付ける前に、しっかりと目の前の人間と対話を重ねること。

10・いがみ合っている場合ではなく、助け合うこと

誤解されると困るが、私はひたすら無条件に女性を賛美したい(男性を非難したい)訳ではない。私が思うのは「違いを受け入れて、お互いに足りない所は補いあって、(いがみ合うのではなく)助け合うことはできないのだろうか」ということです。

男から見て「男はこう見えてますよ(女はこう見えてますよ)」とか、女から見て「女はこう見えてますよ(男はこう見えてますよ)」という客観的な感想を伝えることから、会話が生まれ、無駄なイメージが排除され、現実を知り、お互いのことをより深く理解できるようになるのではないだろうか。

「自分と同じであること」をお互いに強制し合うのではなく、必要になるのは「違いを楽しむ」心の余裕だと思っている。男性は女性から学び、女性は男性から学ぶ。(いがみ合うのではなく)相互理解を深めることから、今いる世界がより一層の多様性に溢れたカラフルなものになっていくような気がしている。沖縄の風が心地よく、自然と開放的な気持ちになる。日々に清々しい風を取り入れて行きたい。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
TEL:07055527106 or 08037252314
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