よし、傷ついてやろう。失敗してやろう。
阪急梅田駅前のサンマルクカフェにいる。お世話になっているピアノの先生に「作曲してください」と言った。先生は「あなたはなんであたしが一番やりたくないことを言うの」と。私「やりたくないということは、やりたいということです」と。先生「じゃあ、いつかね」。私「はい。いつでも大丈夫です」。数日後、先生から「曲を作ったので詞をつけなさい」と、驚いたことに曲が送られてきた。やばい。大変なことになった。プレッシャーをかけて楽しんでいたら、今度は自分がプレッシャーをかけられた。下手な作詞はできない。プレッシャーをかけ合う日々だ。
世間なんて、戦わない人間を慰めるだけのもの。だから、自分の好きな人には「世間に負けないでくれ」と思う。常識に、負けないでくれ。常識を、越えてくれ。自分自身に願うように、他人に対しても願う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) October 14, 2019
自由に生きるために、必要なのは金じゃない。勇気だよ。 - いばや通信 https://t.co/BAI5jeJxkx
おおまかなスケジュール
10月18日(金)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
10月25日(金)18時 KEIGO&RYU LIVE@大阪市鶴見区「Cafe de Lien」
10月26日(土)18時 KEIGO&RYU LIVE@大阪市大正区「和み中華 威」
10月27日(日)15時 Agape 定期演奏会@横浜市港北区「わたり食堂」
11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape単独ライブ@大阪市心斎橋「5th-Street」
🌸🌸🌸すべてのイベントで参加者募集中です🌸🌸🌸
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
踊れない革命はいらない。
生き方に迷う時は『美しさ』を大事にしたい。損得勘定ではない。自分のこころが感じる美しさに従えば、迷いはない。反省もしない。後悔もしない。ダメになっても、自分の心に殉じることができたなら、清々しい。それともうひとつ、私はユーモア【うれしさ】を大事にしたい。どれだけ正論でも、笑えないものには惹かれない。思わず笑っちゃうもの。思わずカラダが踊り出しちゃうもの。思わず走り出したくなっちゃうもの。そんな感じのものに『ほんとう』を見る。自分がクスッと笑えているとき、それは、ご先祖様も一緒に笑っているのだと思う(嘉向徹・談)。
フォロワーが減ったかなしみを歌にしました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) March 11, 2019
「知らねえ」とか「うるせえ」という言葉は超絶重要で、これを言えずに溜め込んでしまうと鬱病になったり自殺しちゃったりするのだと思います。出す。溜めずに出す。溜めずに出してスカッとする。大事!!
それでは聞いてください。
さよならフォロワー pic.twitter.com/tZTtbBqrSW
「さよならフォロワー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume
俺で失恋しろ バカ 俺に降参しろ バカ
俺を賞賛しろ バカ バカ バカ バカ
裏切られただとかバカ 人のせいにするなバカ
口にホコリ入れるぞ バカ バカ バカ バカ
「あなたにはがっかりしました」
「悲しくなりました」
そんなこと 俺に言われても 知らねえ
ていうかお前誰だバカ 名前くらい名乗れバカ
世が世ならアレだぞ バカ バカ バカ バカ
「あなたには感謝が足りません」
「真面目に生きなさい」
そんなこと 俺に言われても うるせえ
お前よりよっぽど バカ 俺は俺の道を バカ
真面目に生きてるぞ バカ バカ バカ バカ
バーカバーカ ベロベロベー
バーカバーカ ベロベロベー
バーカバーカ ベロベロベー
ああ あああ あーあ
音楽をはじめてフォロワーが激減した。ただ減るだけならまだしも、みんな、ちゃんと捨て台詞を残す。あなたにはがっかりしたとか、感謝が足りないとか、聞くに耐えないとか、真面目に生きなさいとか。私は(すでに)ミュージシャンなので、フォロワーが減った悲しみを歌にした。誤解を恐れずに言うと、誰かになにかをしてもらうことを期待してばかりの人間が、この国には多い。なんだかもう、そういうゴミみたいなひとには「あなたは本当にゴミですね」と、言ってしまっていいと思う。これは、人格の否定ではなく、思考の否定である。誰もが生まれた時は純潔だから、ゴミみたいな思考を捨て去れば、純潔が残る。だから、ハゲに変なことを言われたら「うるせえ、ハゲ」って言ってもいいと思う。大事なことは、言いたいことを我慢することじゃなくて、ポップに(あとぐされなく)言うことだと思う。
むしゃくしゃした時に、是非!
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) October 10, 2019
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「ハゲ」 作詞・作曲 坂爪圭吾
ハゲなんて言っちゃダメ
でも 言いたい
いま 言いたい
うるせえ、ハゲ。
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸 pic.twitter.com/wvxmravN4s
「ハゲ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume
ハゲなんて言っちゃダメ
でも 言いたい
いま 言いたい
うるせえ、ハゲ。
貧乏生活をしていると思う。選択の余地がある時点で『豊か』なのだ。腹が減る。真の意味で空腹ならば、白米だけでも最高に美味い。だが、腹は減っているけど白米だけは嫌だ、とか思っている時点で『豊か(別に、真の意味で困ってはいない)』なのだと思う。豊かさは、同時に暇人を生んだ。自分で自分の暇を処理できない人間が、誰かをいじめたり、他人の生き方に口を出したり、職場や学校の悪口を言う。何かに夢中になっている人間は、そんなことをする暇はない。多くの悩みは、ただ、暇なだけだと思う。暇だから、暇つぶしに『悩み』を作り出しているだけだ。愚者の暇つぶしに、巻き込まれて終わる人生はごめんだ。そんな時は、この曲を。お祭り野郎。外野のノイズに巻き込まれると、こころの声が聞こえないぜ。
今世は諦めてくださいと思う。ひとには向き不向きがある。諦めるとは、生きることを諦めることではなく「ひとと同じであること」を諦めることだ。諦めるほど軽くなり、諦めるほど自由になる。清々しさを覚えるほど明朗に、潔く、諦めてしまおう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) October 17, 2019
という訳で聞いてください!
🌸🌸🌸お祭り野郎🌸🌸🌸 pic.twitter.com/QmpBF0JQkK
「お祭り野郎」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume
ぼくのママは お祭り野郎
毎朝フェス 毎晩フェス
おきな祭 ねむりな祭 ごはんをしっかりと食べな祭
勉強しな祭 テレビ消しな祭 いい加減お風呂に入りな祭
ぼくの先生 お祭り野郎
一限フェス 二限もフェス
ああしな祭 こうしな祭 話はしっかりと聞きな祭
ちゃんとしな祭 個性出しな祭 空気はしっかりと読みな祭
うるせえな うるせえな ほっといて
こころの声が 聞こえないぜ
ぼくの人生 お祭り野郎
そうなんフェス いやなんフェス
信じな祭 見まもりな祭 瞬間をしっかりと生きな祭
愛しな祭 受けいれな祭 永遠にそのままで行きな祭
バカも 休み 休み yeah!!
バカも 休み 休み yeah!!
バカも 休み 休み yeah!!
バカも 休み 休み yeah!!
生きたくなったり 死にたくなったり
人生は とっても 忙しい
ちゃんと生きること できるなら
こんな生き方は していないよ
バカも 休み 休み yeah!!
バカも 休み 休み yeah!!
バカも 休み 休み yeah!!
バカも 休み 休み yeah!!
ぼくのママは お祭り野郎
よし、傷ついてやろう。失敗してやろう。
自由じゃないひとはいない。自分はダメな人間だと思うひとは、自分はダメな人間だと思う自由を行使している。成功するひとは成功する自由を、失敗するひとは失敗する自由を行使している。愚者でいる自由もあるし、聖者を目指す自由もある。なんでもいいし、なんでもありだ。なんでもありの世の中で、なにを目指すか、どのように在りたいのかを選ぶのは自分だ。私は、否定的なエネルギーに飲まれたくない。どちらかと言えば、否定的なエネルギーを吹き飛ばす側に、結果的に「なんだかいろいろなことがどうでもよくなっちゃった♡」と思わせる側につきたい。なぜならば、私は、それを気持ち良いと思うからだ。正しいからじゃない。ただ、気持ち良いと感じるからだ。ただ、そっちの方を「いい感じだ」と感じるからだ。
生きていれば腹が減るように、心も腹が減る。心は『感動』を食べて生きる。一回食べれば済む話ではなく、食べても、食べても、生きている限り腹は減る。だから、心は常に新しい感動を求めている。心にエサを与えないと、体は生きてても、心は死んだ人間になる。肌と瞳から潤いが消え、黒ずみ、濁り、全体的にどんよりとする。日常的に感動を味わうために、一番手っ取り早い方法が「自分が感動したもののように、自分自身が生きること」だ。漫画の主人公に憧れたなら、漫画の主人公のように生きる。ロックミュージシャンに憧れたなら、ロックミュージシャンのように生きる。感動したものと自分自身を切り離すのではなく、感動したものを、自分の内部に取り入れる。感動そのものになる。感動そのものを生きる。感動したものの素晴らしさを、自分を使って体現する。さすれば、毎日はドラマだ。
私が『美しい』と思う人々は、決して傷つかない人々ではなかった。傷ついても、それでもなお、自分で在ることを諦めなかった人々だ。葛藤を抱えたまま、傷を受けながら、時には血反吐を吐きながらでも「生きる」意思を失わなかった人々に、私の心は反応する。なにかに感動するということは、自分も、そのようにあれたらと願う心の働きがあるからだ。感動したものには、責任が生まれる。それは、自分が受けた感動を『継承する』責任だ。責任という言葉は忌避されがちだが、私は、素晴らしい言葉だと思う。責任の先に、よろこびがある。自分が自分として生まれたよろこびは、自分が感じる責任にある。だから、傷つかないことよりも「よし、傷ついてやろう。失敗してやろう」と思いながら、立ち向かっていくくらいがちょうど良いのだと思う。傷つかないように生きても、最後には死ぬ。死なないように、死なないように、自分を守りながら生きたとしても、最後には死ぬのである。
自由でありたいと思うならば、自分を批判してくるひとの「批判する自由」も認めないといけない。批判に屈するでもなく、認めた上で、話は聞くけど言うことは聞かない。無理解を嘆かず、孤独を恐れず、被害者意識を漂わせず、ただ「ごめん、やっぱり俺はこうだわ」と、自分の道を歩けばいいのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年10月18日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu