本当は、ただ、無邪気に遊びたいだけ。
「お金のかからない飲食店なんてできるのだろうか?」と思い、わたり食堂【0円食堂】を熱海で開催することに決めた。過去に何度かやっているが、食堂とは名ばかりで「ただ、家を開放して好きに使ってくださいと言っているだけ」の内容になる。が、イベント詳細文章を通じて「言いたいことは言えている気がする!」と思ったので、詳細だけでも読んでもらえたら嬉しいです。熱海の家を手放すとか言っていましたが、やっぱり嫌になったので「どうにかして持続させる方法を見つけたい!」と思っているのが最近の心境です。
元来多動症気味な私は、家にひきこもっていると「俺に存在価値はない」とオートマチックに塞ぎ込んで病気になるかハゲる。家を出よう。そう思って野点カンタービレを敢行することに決めた。ら、過去にパリでお世話になりまくったK様から「名古屋でお茶をしましょう!」とご連絡をいただき、会い、話し、生きていてよかったと思った。自分自身「なんで俺はこんな生き方しかできないのだろう」と思うことはしきりだが、こういう時間を通じて「ああ、こんな生き方をしていてよかった!」と心の底から思うことができる。
熱海の売茶翁でおなじみの坂爪圭吾、ただいま、青春18切符で関西方面に向けて電車に揺られております。道中「野点カンタービレ」と称して、出会い頭に🍵or☕️を振る舞う営みを行いますので、界隈で「お茶を飲ませてほしいっちゃ!」的な方がいたらお気軽にご連絡ください。https://t.co/jn8IdjSfe7
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年8月10日
「素直に幸せになれない」自分
金山駅付近のデニーズでK様とお茶をする。私が「ちょっとトイレ行って来てもいいですか?」と言うと、K様は爽やかな笑みを浮かべて「ダメって言っても行きますよね?」と言う。本当、そういうところだよなあと思った。K様はパリ在住で地元が名古屋。たまたま帰省中のタイミングがあって、今回、会うことができた。K様は言う。さかつめさんの地元は新潟ですよね??ちょっと前に長岡花火に行きましたよ。と。
私も過去に長岡花火を見たことがある。国内でも有数の花火大会だ。私は、長岡花火を見た時に「のせられねえぞ」と思った。素直に花火を楽しめたらいいのだろうに、花火を見ながら「絶対に感動してやらねえ」みたいな気持ちになった。多分、泣かせるドラマを見ている時の心境に似ている。製作者の意図が見えるというか、はい、ここが感動するところですよみたいな誘導を感じると「はっ!」となる。長岡花火もあやうく感動しそうになりかけたが、すんでのところで「あっぶねー!」と自分に立ち還った。作為的なもの、人為的なものに対する謎の反骨精神が自分にはある。花火を見たとき、私は「ああ、これは人工的だな」みたいなことを思った。騙されないぞと身を固めたのだ。
誕生日をサプライズで祝われることも苦手だ。カフェ&バーなどで店員さんが「ハッピーバースデー♫」とか歌いながらケーキを持ってきた瞬間は地獄だ。頼むからやめてくれと思う。なぜ、素直に喜べないのだろう。祝福されると「ああ、これは喜ばないといけないやつだ」と負担に感じる。俺は自分が喜びたいときにだけ喜びたいのだとか思ってしまう。私は自然が好きだ。例えば、日光を浴びているだけで「俺は祝福されている」みたいな気持ちになる。自然に対して、反骨精神を持つことは皆無に等しい。が、人間に対しては「お前、それわざとやってないか??」とか「完全に見返りを求めているだろ??」とか、一々疑いを持ってしまう、みたいな話をK様とした。楽しかった。
「ちゃっかりしている」自分
今回の移動は野宿道具を持参している。野宿道具と言ってもヨガマットと蚊帳になる。なぜテントではなくヨガマットなのか。それは、野宿中に警察官的なひとから「おい、君、なにをやっているのだ」と職務質問を受けたときに、ヨガマットで野宿をしていれば「ヨガです」と言えると思ったからだ。最近、家でも旅用のヨガマットで寝ている。コンパクトに折りたためる優れものだ。本当は木の板で眠った方が(骨が矯正されるから)身体にも最高らしいのだけれど、さすがに木の板を持ち運ぶことはできない。次善策としてヨガマットで寝る日々を過ごしている。
私はアウトドアが好きだ。と、ずっと思っていた。が、最近『ぼくは原始人になった』という本を読んで自分を恥じた。その本には「アウトドアが好きだという人間は大量にいるが、テントとか、寝袋とか、結局都会で買い込んだ既製品を自然に持ち込んでいるだけじゃないか。結局、お前自身はなにも作り出していないじゃないか。」的なことが書かれていた。本当にその通りだなと思った。私は、火打ち石みたいなもので焚き火をする。ライターやマッチよりも結構雰囲気が出る。が、結局、火打ち石だって「誰かが作ってくれたものを自然に持ち込んでいるだけ」であり、私自身が作り出したものではない。真の意味でアウトドアを楽しみたいなら、地べたに藁を強いて眠るくらいのことをしなければ、本当ではない。そう思った。
私は末っ子で、末っ子はよく「長男や長女よりも周囲に甘えることができていいよね」と言われる。が、これは正確ではないように思う。確かに、末っ子は甘えることが得意だ。が、その裏側では「このひとにはここまでなら甘えられるな」的な算段が働いている。本当にしてもらいたいことを頼んでいるのではなく、相手にとって負担にならない範囲で甘えているのだと思う。だから、末っ子の悩みとして『(表面的な甘えはいつでも発動できるけれど)自分が本当にしたいことを周囲に頼ることはできない』というものがある。と思う。少なくとも自分はそうだ。私は、自分がなにをしたいのかがあまりよくわかっていない。ひとの気持ちを察するレベルは高まったが、結構、自分のことは置き去りになっている。そのことで自滅をすることが多く、結果、自然の中に身を投じる。
わたり文庫『ぼくは原始人になった』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、マットグレアム&ジョシュヤング著作『ぼくは原始人になった』です。端的に、著者のアホっぷり【愚直さ】が素晴らしいです。著者は過激なランナーでウルトラマラソンを何度も走破しているのですが、自分が絶好調の時は「俺が走っているのではない。大地が、俺の足にあわせて動いているのだ」的な心境になるらしい。この感覚を得たら最強だと思う。著者は、何度も「大地と絆を結ぶことが大事。大地と絆を結べた人間に、自然は奇跡を起こす」と言う。これは鋭い指摘だと思う。私も歩くことは好きだが、大地と絆を結ぶように意識をすることは少ない。もっと意識をしてみたいと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※
腰布にサンダルというスタイルで狩猟採集生活を始め、荒野を走ることで知った、人間の驚異的な生命力と人生のすばらしさ!20年にわたり原始的な狩猟採集生活をおくり、58日間で2700kmを走り、山岳レースで馬と速さを競うなど、数々の驚くべき体験を通して、著者が考え、学んだこととは?大地を信頼し、自然を理解することで得られる心の平穏や健全さとは?大自然と絆を結ぶための20章!
マットグレアム&ジョシュヤング『ぼくは原始人になった』【河出書房新社】
本当は、ただ、無邪気に遊びたいだけ。
昨夜は琵琶湖で野宿をしかけたものの、電子機器類の電池がすべて切れて「このままじゃまずい」となった。ら、京都府在住のM様から「こまったら我が家にどーぞ!」とご連絡をいただき、お言葉に音速で甘えてしまった。真のアウトドアライフとは程遠い生活をしている。シャワーや冷房器具などの文明に触れると「文化的な生活すごー!」みたいな気持ちになる。文明を否定したい訳ではない。文明は最高だと思う。が、当たり前が当たり前になってしまってシャワーや布団にありがたみを覚えなくなることを過度に恐れて、私は、懲りずに野営に乗り出すのだろう。
M様から「坂爪さんなら関西にも知り合いたくさんいるでしょう??そういうひとには連絡しないのですか??」と問われる。私は「自分から連絡なんてできません!」と答える。知り合いはたくさんいるけれど、私は、自分から誰かに連絡をすることができない。多分、迷惑をかけたくないという気持ちが強いのだと思う。相手から「来てください!」とか言われたら安心をしてお邪魔できるのだけれど、自分からお願いをすることができない。末っ子の私にできることは「今日はここで野営をします。でも、本当は、誰かが泊めてくれたらとってもうれしい気持ちでいます」的なことをほのめかすところまでだ。多分、釣り糸を垂らす釣り人の気持ちと似ている。自分ができることは釣り糸を垂らすところまでだ。「なにかつれろ!」とは常に思っているが、何が釣れるのかはわからない。何が釣りたいのかも、実のところ、あんまりよくわかっていない。
自分でも馬鹿だなと思うけれど、私には「面白ければいいのだ」と思っている節がある。それをしていなければきっと出会うことのなかった面白い目に遭えるのであれば、痛い目であれ、喜ばしい目であれ、すべてネタになる。生きている実感につながる。私は深刻になりやすいタイプの人間なので、油断をしていると「俺は太宰治みたいな人間だ」みたいなことを思ってしまう。が、もっとコアの部分は「単に、遊びにいきたくてじっとしていられないクソガキ」なのだろうなと思う。これを読んでいるあなたもきっと同じなんじゃないだろうか。悩む自分、考えすぎる自分、将来に不安を覚える自分、いろいろな自分が顔を出すけれど、一番奥には「本当は、ただ、無邪気に遊びたいだけ」の自分がいるのだと思う。私は、わたり食堂【0円食堂】や野点カンタービレを通じて、ただ、あなたと遊びたいと思っている。世の中を変えたいとか、社会貢献をしたいとか、そういう思いがある訳じゃない。ただ、無邪気に遊びたいだけなのだ。自分が笑えば、世界も笑う。世界がぼくらの遊び場になる。多分、それだけの話なのだと思う。
君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。きちんとやる、大事なことだ。真面目にやる、大事なことだ。でもね、これだけは忘れちゃいけない。僕達のパフォーマンスが一番発揮される瞬間は、肩の力を抜いて、リラックスしながら楽しむことができている瞬間だよ。楽しむことを忘れちゃダメだよ。
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈 (@KeigoSakatsume) 2018年7月15日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu