求道の道は道楽の道。
ドラゴンフルーツとパパイヤの反復横跳びを繰り返している。食べ過ぎを抑える(夕食以外はすべてフルーツで済ませる)ことで肉体も精神も軽い。昨日は、クアラルンプールで登山をした。海外で登山をするのは最高だと思った。軽い筋肉痛に苛まれているものの、汗を流した後の体調は好調だ。現地人さながらの気分で、さも、私は31年間パパイヤと一緒に大きくなりました的な表情を浮かべながら自然に囲まれた環境の中でフルーツを丸かじりしていると「世界が俺のホームだ」的な余生感が芽生える。これからマレーシアのランカウイ島に足を運び、その後はタイのバンコクに向かう。「お年玉をくださいツアー」なるものが、私をこんな場所にまで運んでくれた。関係者のみなさま、本当にありがとうございます!!
海外在住の方も「海外在住とか夢みたいなこと言ってんじゃねえよ」と言う方も、本日もお疲れ様でした!!みなさまはどのような1日をお過ごしになられましたでしょうか。私は、こんな1日を過ごしました!(本日のハイライトです!)
1・クアラルンプールに来るきっかけを与えてくれたK様と合流をする。K様は、クアラルンプール空港まで車でお迎えに来てくださり「車でお出迎えだなんてVIP対応じゃないか!」と興奮する。
2・そのまま、K様のご自宅にあるゲストルームに宿泊をさせていただく。あまりにも快適すぎるゲストルーム(個室にトイレもシャワーもついている!)に「こんな暮らしをほんの一瞬でも垣間見させていただいたことで、今世は『こんな世界もあるのだな』と知れたことを誇りに思おう」と思う。
3・翌朝、昇る朝日が綺麗で「今日は既にゴールをしたな…」と思う。
4・K様の案内で、車でしかなかなか行くことができないジャングル的な場所にお連れしていただく。本日のクアラルンプールの気候は34度と比較的暑そうな匂いが漂っているものの、樹木の中は死ぬほど涼しい。軽いと登山を終えた後に、K様が「これを持って来たので食べましょう」とかばんの中から袋を取り出す。
5・袋の中から、保冷剤でしっかりと冷やされているドラゴンフルーツとパパイヤの盛り合わせが飛び出す。私は「なんてわかっているひとなんだ!(東南アジアの醍醐味は、ドラゴンフルーツとパパイヤの反復横飛びにありますよね!)」と感動をする。静かな湖畔の森の陰にある巨石の上でフルーツを頬張りながら「本日二度目のゴールをしてしまった…」と思う。
6・静かな湖畔の森の陰にある巨石の上から「ごはんでも食べに行きますか!」と、クアラルンプール市街地を目指す。ブキビンタンという日本でいう銀座的な場所にある伊勢丹界隈でランチを済ませ、その後、本日三度目のゴールを迎えることになる。
7・あろうことか、食後にK様が「私はマッサージが大好きなので、もしもご迷惑でなければマッサージにお連れいたします!」という魅力的すぎる提案をしてくださる。私はマッサージをされることに慣れていないので「緊張しています!緊張していますが、よろしくお願いいたします!」と、足裏マッサージのお店に勇気を出してはいる。
8・想像を絶する気持ち良さに「本日三度目のゴールをしてしまった…」と、軽い眠りに落ちながら何か大きなものに感謝をする。と、ここまで書いて「ああ、もう8番まで来てしまった、、、」ということで本日のすべてを書き尽くすことができないことが情けないのですが、いま、私はホーチミンからはるばるクアラルンプールまで来てくださった方と一緒にカフェにいます。
9・私はこの記事を書き、ホーチミンから来てくださった方は私の目の前で忌野清志郎の「瀕死の双六問屋」を読んでおります。同じ空間にいながらそれぞれがそれぞれのことをしている時間っていいよね、などと思いながら、いま、トイレに行きたい気持ちを抑えながらこの文章を書いています!!
10・という訳で、明日からは非常にありがたいことにマレーシアのランカウイ島からお誘いを受けたのでランカウイ島に飛びます!その後は、バンコク在住の方からご連絡をいただきましたのでおそらくバンコクに向かうことになると思いますので、ランカウイ島の方も、バンコク近郊にお住いの方も、それ以外の方も、何かありましたらお気軽にご連絡ください!!
写真は、静かな湖畔の森の陰です!
【おまけ】湖畔で遊ぶこどもたちの無邪気な笑い声が聞こえた時は「なんて無垢な笑い声をするのだろう!聞いているこちら側まで楽しくなってしまうじゃないか!」などと思いながら近寄った所、なんと、湖畔で遊んでいたのはこどもたちではなくて立派なおとなたちでした。おとなにもこんなにも無垢で純粋な笑い方ができるのか(まるで小鳥のようでした!)と、非常に素晴らしいものを見させていただきました。
【イベント詳細】お年玉くださいツアー 〜僕も、大きくなりました〜
大阪のハイライト。
諸事情が爆発をいたしまして、あべのハルカスにありますマリオットホテル最上階付近の豪華ラウンジでケーキセットなるものをご馳走していただく流れになりました生きとし生けるもののみなさま本当にありがとうございます!!私は幸せ者でございます!!
前回の記事でも「ドトールにまつわるエトセトラ」を投稿したけれど、関西地方では人情に触れる機会が本当に多い。自分に余裕のない時は「お願いだからほっといてください」的な気持ちにもなるけれど、菩薩スイッチがはいっている時は「なんて可愛らしいひとたちなのだろう!」と感動をする。フライト当日も天王寺駅を中心に様々な恩恵を受けた。総勢5名の方々から、食事や飲み物をご馳走していただいたり大量の贈り物をいただいたり、とてもじゃないけれどここには書ききれないほどの恩恵【一度、アゴが外れかけた出来事が関西空港で起きた】を受けた。
【過去記事】真面目に考え過ぎないで、遊べ。 - いばや通信
何者かになろうとしていないひとは朗らかだ。
みなさまからの施しによって生きている私にできるものは、せめて、自分が受け取ってきたものを「次にまわすこと」だろうということで、1月29日(日)に熱海の家で『わたり食堂【0円食堂】』なるものを開催する。この日に海外のお土産的なサムシングも来場者の方々に無料で配れたらと思うので、時間のある方はお気軽に遊びにいらしてください。内容としては「料理を作りたいひとが料理を作り、料理を食べたいひとは料理を食べる、基本的にすべては完全に無料で行われるために、すべては『人間の善意』によって開催されている1日限定の食堂」みたいなものになります。
【イベント詳細】わたり食堂【0円食堂】
現在も提供者側になってくださる方を絶賛募集中ではあるのですが、昨日、中学一年生の女の子の参加が決定しました。彼女は、最近、学校に行くことをやめて「世間の荒波に揉まれることを通じて学習する」という方式にギアをチェンジした。この前は江ノ島の喫茶店の営業を手伝ったりしていたのだけれど、そこで非常に美味しい珈琲の淹れ方を獲得した彼女は、その腕前を「わたり食堂」で振舞ってくださることになった。非常に素晴らしい展開だと思う。さらに、この話を聞いた小学六年生の女の子が「私はエスプレッソマシンでカプチーノを作ることができるよ(坂爪註・余談になりますが、こちらの女の子は佐渡ヶ島で魚の捌き方もマスターしています)」ということになり、もしかしたら中学生の女の子と小学生の女の子が共に珈琲を担当することになるかもしれない。
当日は、全国各地を車中泊で移動するアクティブホームレスのおじさまがコンビーフカレーを作ってくださり、静岡県在住のお坊さま【ガチ】が自家製のけんちん汁を作ってくださることになっている。その真横で、中学生と小学生の女の子がコーヒーを作っている図は「絵的にカオスだな」と思う。私は西洋的な合理主義よりもカオスティックなもの【東洋的混沌】が好きだ。理由は、多分、何だかもう訳がわからなくなることで「なんでもあり!(もう、好きなようにやっちゃってください!)」という肯定感を勝手に見出すからだと思う。そのひとをそのひとのままでまるごと肯定する【みんながバラバラなことをやっている中で不思議と全体的な調和が成立をしている】、私の敬愛する三森さんも言っているけれど、何者かになろうとしていないひとは朗らかだ。正しさを捨てているひとは軽やかだ。執着を手放しているひとは可愛い。(気がする)
【参考記事】1月の合言葉は「ピースフル」 - みっつ通信
『ノルウェイの森』
今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、村上春樹著作『ノルウェイの森(上下巻)』です。こちらの本は、クアラルンプールに飛ぶ直前に関西空港間近で「これは僕にとって本当に大切な本なのです」と、伊丹空港近辺に在住の方がはるばる届けてくれた本です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、クアラルンプールにわたりました ※※※
あなたは誰にも遠慮なんかしないで、幸せになれると思ったらその機会をつかまえて幸せになりなさい。私は経験的におもうのだけれど、そういう機会は人生に二回か三回しかないし、それを逃すと一生悔やみますよ。
孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友だちを作らないだけだよ。そんなことしたってがっかりするだけだもの。
まず第一に相手を助けたいと思うこと。そして自分も誰かに助けてもらわなくてはならないのだと思うこと。第二に正直になること。嘘をついたり、物事を取り繕ったり、都合のわるいことを胡麻化したりしないこと。それだけでいいのよ。ー 村上春樹『ノルウェイの森』【講談社文庫】
【参考HP】わたり食堂・わたり文庫
求道の道は道楽の道。
それにしてもですね、三森さんの「何者かになろうとしていないひとは朗らかだ。正しさを捨てているひとは軽やかだ。執着を手放しているひとは可愛い。(気がする)」という言葉は、本年度稀に見る名言だと思う。素晴らしい言葉だ。本当にその通りだと思う。このような気づきを与えてくれる三森さんは神がかり的な存在だと思う。私は三森さんの言葉も佇まいも大好きだ。あまりにも大好きなものだから29日のわたり食堂に三森さんも何かの形で参加をしてくれないかなと思う。肩叩き担当とかでもいいので、三森さんがこの記事を読んでいることを祈る。
自由を広げる考え方と、自由を制限する考え方がある気がする。道に迷う時、経験則的に後者の考え方を採用すると人生が閉じる。極論、自由を制限する考え方【内側の声】はガン無視をしてもいいような気がしていて、真理とは誰かに何かを強制するものではなく「ひとを自由にするもの」だと思う。宗教も同じ。これをしないと地獄に落ちますよ的な恐怖で信者を縛るものではなく、ただ、このような考え方をすると前よりもちょっとだけ楽になれるような気がしますよ的なアプローチが好きだ。どのような考え方を採用するのかは各人の自由、只、私は「自分のこころを軽くする」考え方や生き方を採用していきたいと思う。
前回の記事で「今世はもう充分に生きたから、あとはおまけみたいなものです」的なことを書いた。それならば、なぜ、生きるのか。死ぬまでに残されている時間を、どれだけ遊び尽くすことができるのか、どれだけ自分の精神を躍らせていくことができるのかということに、自分の主要な関心はある。これはある種の求道的なスタンスと似ているなあと思うこともあるけれど、多分、求道の道は道楽の道と同じだ。求道【言うなれば愚道】の果てに、まだ見たこともない素晴らしい風景が広がっているような気がしている。いまの自分に「これをやるまでは死んでも死に切れない」と思うものは何も思い浮かばないけれど、生きていれば「こんなにも素晴らしい風景を見ることができるのだ!【生まれてきてよかった】」と思う瞬間の中には、これまでの人生を大きく肯定する力がある。多分、私は「それを見たい」から生きているのだと思う。
クアラルンプールの猫。 pic.twitter.com/sPDjJhWq8g
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年1月9日
人生は続く。
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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
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