怒りは人生を駄目にする。
新潟、群馬、神奈川、成田、ドンムアン、バンコク、チュムポーン駅を経由して、爆揺れするフェリーにしがみつきながらタイの南部にあります雨季ど真ん中のタオ島に到着しました。私、坂爪圭吾は基本的に呼ばれた場所なら何処にでも行くスタンスで生きておりまして、11月9日はバンコク、12-13日は関東圏、16日は北海道、17日は福岡、21-22日は山口県及び広島県、24日は東京、30日は新潟で暇を持てあましております。
【11月18日(金)は佐賀県に行くことになりました!】あいつが武雄に帰ってくる! ホームをレスしてヒットした!!! 坂爪圭吾を囲む会
様々な方々と出会う日々を過ごしながら、ひとりの時間と同じ位、人とリアルに対面してお話をする時間も大切なのだということを感じています。もしも、上記の日程で「時間もあるから坂爪圭吾を囲む会的なサムシングを企画してもいーよ!」という方が奇跡的にいらっしゃいましたら、気軽にご連絡をいただけると幸いです。規模の大小などは問いませんので、ピン!と来た方はお気軽にご連絡ください!!
連絡先・坂爪圭吾
keigosakatsume@gmail.com
おはなをあげる。
先日、11月3日は国民の祝日ということもあり、私も「国民の皆様の生命を祝福したい!」と思い立ち、その時はたまたま神奈川県藤沢市にいたので「関東圏でお会いできる方々にリアルで対面をして、おはなをあげる」という企画を敢行しました。私は花を愛していて、また、花を愛するこころの余裕を愛しているので、誠に勝手ながら「是非とも、皆様とこの喜びをシェアしたい!」と思い立ちまして、このような企画を突然(その日の昼過ぎから当日限定で)開催させていただきました。
誰かひとりからでも連絡が来ればいいなあ程度に構えていたのですが、結果的に五組もの方々に実際に対面しておはなをあげることができまして、あろうことか「男性からお花をもらうなんて何年振りかしら!」と、涙を流して喜んでくださる方もいらっしゃり、こちらとしても「そんなに受け取ってもらえるなんて、こっちが幸せ!」と、貰い泣きをしてしまいそうになりました。ただ、おはなをあげてさようなら!程度に終わるものかと思いきや、皆様、ご自宅にあげてくださりお茶やお菓子を振舞ってくださるものだから、こちらとしても「新しい家族が増えた!」的な喜びを強く噛み締めることができた、とても素晴らしい時間になりました。
他にも感動的なシーンは108個位あったのですが、ひとつだけ言えることは「男性はもっと女性に花をあげたほうがいい!」ということです。切り花であればそれほど高価なものではないですし、多分、野花でも構わないのだと思います。大事なものは気持ちであり、今回の裏テーマは「アドバイスではなくおはなをあげよう!【WANDS風に言えば『愛を語るより口づけを交わそう』】」だったのですが、一輪の花が、言葉を超えた力を(受ける側にも与える側にも)授けることも確実にあるのだなということを強く実感した1日になりました。
世界をぼくらの遊び場に。
いまはタイのタオ島にいるのですが、とりわけ特別なことをするでもなく、海辺にあるカフェのテラス席で寄せては返す波の音を聞きながらこのブログ記事を更新しています。私の好きな言葉に「生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ」というものがあるのですが、本当は書きたいと思っていたことが108億個位あったはずなのに、良くも悪くも「いまが幸せならそれでいいよね」的な気持ちになってしまって、小難しいことを書くことができません。
最近思うことは、遊ぶということが人生にとってどれだけ大切なのかということで、誤解を恐れずに言えば「人間には二種類いる。遊んでいる人間と、遊んでいない人間だ」みたいに感じることがあります。これは、巷で頻繁に耳にする「遊びと仕事の境目をなくす」みたいなことを言いたいのではなく、ただ、何かに夢中になって遊んでいるひとたちを見ると、見ているこちらまで楽しさが伝染してきていい感じになってしまう、最高に遊べる瞬間を見つけてそれを実行しているひとの姿は、本人的にも無意識のうちに周囲を「善の循環」に巻き込んでいるのではないだろうか、小さなこどもとかまさにそんな感じだよな、という風に感じています。
生産的であるとか、効率的であるとか、数値化できる損得勘定は一旦脇に置いておいて「なんだか知らないけど、これがやりたい!」と思うことを実際にやってしまっているひとの姿からは、いい風が吹いているなあと感じることの多い昨今です。自分のこころがピースフルであれば勝手にひとにも優しくしたいと思うものであり、自分をピースフルな状態に保つことは単なる自己満足ではなく、巡り巡って世界平和に貢献するのではないだろうか、それならば「まずは自分のご機嫌を死守する!【遊ぶ!】」ということは、とても大切なことではないのだろうかと感じています。
怒りは人生を駄目にする。
病気は身体のサインと言いますが、現代社会においては「言いたいことが言えないあまりに、身体が先に病気になる」ということが、とてもたくさんあるのだと思います。怒りや悲しみなどのネガティヴな感情を自身の内側に溜め込み過ぎると、自分でも気がつかないうちに腐敗をはじめてしまって、病気や体調不良という形を通じて「腐ってますよー!あなた、いま、腐敗してますよー!」というサインを放つ、みたいなイメージがあります。
また、言葉だけではない「肉体を通じたスキンシップ」も死ぬほど大切だと思っていて、どれだけ頭で考えてもどうにもならなかったことが一回のセックスで霧消した、みたいなことは往々にしてあるのだと思います。自分が抱えている問題の多くは表面的なものに過ぎず、実は「(いつも怒ってるひとはいいセックスをしていないだけで)ただ、温もりに触れたかっただけなのだ【あるいは、単なる睡眠不足か運動不足】」ということは、意外とあるあるなんじゃなかろうか、などと思うことがそれなりにあります。
怒りは人生を駄目にする。これは、最近のわたしの課題でもあり、いかに怒らずに日々を穏やかに過ごせるのかが当面の目標でもあり、自分を使った実験でもあります。昨日、タオ島のオフロードをバイクで滑走していたら見事に横転をして膝小僧が悲鳴をあげているのですが、これは神からの「お前、あんまり調子に乗るなよ」というポップな戒めと受け取り、傲慢になりそうな自分の萌芽を発見しては摘み取り、摘み取り、罪を取り、より一層のイノセントな日々に磨きをかけて行きたいと思いました。
最近、怒りは人生を駄目にするということを実感する。怒りはある種の悲しみを内包していて、怒る度に「自分の中にある悲しみや分離感を強化する」感覚を覚える。かといって、言いたいことを言わないでいると病気になるから、最近の課題は「言いたいことは言う。その時は、心を込めて優しく言う」です。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年11月5日
人生は続く。
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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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